9章 聖句対訳批判
       (Critical commentaries on English and Japanese translations of the 
               Biblical text)
対訳、聖書の出典
   (Sources of biblical texts and their translations)

ここで、取り上げた英語対訳2種、日本語対訳7種は次の通りである。

聖句と対訳

バッハ    : Bärenreiter Vocal Score
英語版    : Bärenreiter Vocal Score
ZPA      : Z. Philip Ambroseによる英訳 
YS文語   : 杉山好による文語訳
YS口語   : 杉山好による口語訳
TM	       : 皆川達夫訳
K·M         : 栗山浩・松原茂共訳	
RH	          : 樋口隆一訳
TI          : 磯山雅訳
KT           : 田川建三訳

対応する聖書テキスト

ギリシャ語    :The Greek New Testament, 3rd edition, corrected, 1983
ラテン語        :Biblia Sacra — IUXTA VULGATAM VERSIONEM, VIERTE, VERBESSERTE 
        AUFLAGE, 1994             
決定版            :Die gantze Heilige Schrifft, Deudsch, 1545.
カロフ版        :Die Heilige Bibel nach S. Herren D. MARTINI LUTHERI  Deutscher Dolmetschung und 
                       Erllärung von D. ABRAHAM CALOVIO, 1681
現代版            :Die Bibel nach der Übersetzung Martin Luthers, 1984.
DRB           :The New Testament of Our Lord and Savior Jesus Christ translated from the Latin
                          Vulgate, Douay-Rheims Bible, (1582), 1899
KJV            :The Holy Bible, King James Version (1611), 1997
RSV            :The new testament, revised standard version, 1946.
TEV            :Good News New Testament in Today's English Version,1976.
文語訳            :文語訳聖書(日本聖書教會、代表者今泉眞幸)1949.
口語訳            :口語訳聖書(日本聖書教会)1963.
新改訳            :新改訳聖書(日本聖書刊行会)1973.
新共同訳        :新共同訳聖書(共同訳聖書実行委員会、日本聖書教会)1988.

《マタイ受難曲》の聖句対訳でバッハテキストの解釈に変更、改ざんが見られるものを、ルター訳聖書決定版(決定版)(注1)、カロフ聖書注解本(カロフ版)、現代ドイツ語聖書(現代版)との関係で次のように分類した。

聖句の分類
A. ルター訳聖書決定版、ルター訳聖書カロフ版、ルター訳聖書現代版の全てと異なる、またはマタイ伝には出てこない語を使っている。バッハによって変更された最重要箇所。
B. 決定版、カロフ版と異なり、現代版と同じ。重要箇所。
C. 決定版と異なるが、カロフ版、現代版と同じ。
D. 決定版と同じ、カロフ版またはいずれかの現代語訳聖書と異なる。
 決定版、カロフ版と同じだが、綴りの変更(有声音化、無声音化)や、繰り返しなどの音楽
     修辞学的変更がある。

現代語訳聖書にも各翻訳で微妙な違いがあり、対訳者がどの聖書を参照しているかにより解釈が分かれている。ギリシャ語の翻訳は日本語訳付き聖書(日本語対訳ギリシャ語新約聖書、1マタイによる福音書、監修=左近義慈・平野保、編訳=川端由喜男、教文館、1991)に従った。福音書の章、節番号はすべての版で必ずしも一致していないが、ここでは、新共同訳のものを採用した。ただし、エラスムス版由来の節については新共同訳にないので、別に表示した。
以下は、各対訳とバッハテキストとの異同を表した表記例である。
1. バッハテキストと聖書、対訳が同じ、またはほぼ同じ意味の場合は両者とも黒字で示した。
2.バッハテキストの中で、ルター訳聖書と異なる部分を青字で示し、それがそれぞれの聖書、対訳で同じ場合は対応語句を青字で、異なる場合は赤字で、存在しない場合は[語句]で示した。
3.ルター訳聖書にない語句がバッハテキストにあればその部分を青字で示し、他の聖書や歌詞対訳に存在すれば対応箇所を青字で、対応箇所に[語句]を挿入した。
4. ルター訳聖書にあってバッハテキストに存在しない場合は対応箇所に[語句]を挿入し、聖書、対訳に存在する場合は赤字で、存在しない場合は[語句]を挿入して示した。
例
1.
「聖書」    A  →  A
バッハ   A  →  A 
聖書/対訳   A  →  A 
2.
「聖書」    B  →   B
バッハ   X  →   X
聖書/対訳   X  →   X
聖書/対訳   B  →   B
聖書/対訳  none →  [X]
3.
「聖書」   none →  [Y]
バッハ   Y   →   Y
聖書/対訳   Y   →   Y
聖書/対訳  none →  [Y]
4.
「聖書」    C   →   C
バッハ   none →  [C]
聖書/対訳   C   →   C
聖書/対訳  none →  [C]

上記の「聖書」とあるのは原則としてルター訳決定版を示す。

この章を見ていただくと、多くの訳者が、バッハが見た事もない正文批判的に修正された後世の聖書に影響を受けて、バッハテキストを変更、改ざんしていることをお分かりいただけると思う。また、多くの研究者が、「バッハは《ヨハネ受難曲》では聖句をヨハネ伝以外から引用、追加しているが、《マタイ受難曲》ではマタイ伝の通りにテキストを使用している」とするが、それは事実でない。バッハ学者によっては、バッハの思想は《マタイ受難曲》では聖句テキストにマタイ伝からの逸脱がないために、自由詞テキストにのみ反映されていると前提にしている。しかし、自由詞はバッハ自身の作詞ではなく、その前提には保留が必要である。もし、自由詞部分にバッハの思想が反映しているのであれば、バッハがその詞につけた音楽によってこそ裏付けられるべきである。自由詞は基本的にピカンダーの作詞であり、ピカンダー自身がそれを自作の詩集として別途、出版している以上、そこからバッハの思想を読み取るには音楽的根拠が必要である。なぜなら、バッハは詩人というよりも音楽家であったからである。
一方、聖句テキストに聖書からの逸脱があれば、事情は異なる。それはバッハ自身による変更であり、問題はその変更が意図的なものか、不注意による転記ミスであるかである。本稿は、バッハが重要な語句について、浄書譜で杜撰な転記ミスをすることはないと仮定しているが、その根拠については本章の4節18項で述べる。

  なお、拙訳については、日本語的美しさではなく、バッハテキストに忠実であることを心がけた。

 間違いのご指摘、ご批判を頂ければ幸いです。

注1 ルターはエラスムス版のギリシャ語聖書から直接、ドイツ語に訳したとされるが、同じくエラスムス版
  から訳されたウルガータ本のラテン語から重訳されたと思われる箇所も多い。それらについては必要に応じ  
  て指摘した。

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