(10)MP63c:25-29 & MP63c:31-32


59. MP63c:25-29
D	バッハ  unter welchen war Maria Magdalena, und Maria[,] die Mutter Jacobi und Joses, und die Mutter 
                      der Kinder Zebedäi.
  直訳      その人々の中にはマリア・マグダレーナ、そしてヤコブとヨゼフの母親であるマリア、そしてゼベダイの
                      子供たちの母親がいた。

   英語版   and among them there was Mary Magdalenae, also Mary, the mother of James and of Joses, 
                      and the mother of Zebedee's two children.
   	ZPA     in whose number was Mary Magdalene[,] and Mary, the mother of James and Joseph, and 
                      the mother of the children of Zebedee.
   YS文語  その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフの母[、]マリヤ、またゼベダイの子らの母もいたり。
   YS口語  その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフの母[、]マリヤ、そしてゼベダイの子たちの母なども
                     いた。
   TM       その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母[、]マリア、またゼベダイの子たちの母もいた。
   K·M      その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフとの母[、]マリア、またゼベダイの子たちの母がいた。
   RH       その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母[、]マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
   TI         その中には、マグダラのマリア[、]とヤコブとヨセフの母[、]マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
   KT        その中にはマグダラのマリアと、ヤコブとヨセの母[、]マリアと、ゼベダイの子らの母マリアがいた

マタイ伝27:56
ギリシャ語  彼女らのうちには、マグダラのマリヤ[、]とヤコブとヨセフの母であるマリヤ、そしてゼベダイの子ら
                       の母がいた。

                 εν            αις              ην           Μαρία ἡ Μαγδαληνὴ   και    Μαρια η του    Ιακωβου   και     Ιωσηφ         μητηρ 
                 (2)うちに (1)彼女らの (15)いた (4)マリヤ (3)マグダラの (5)と (10)マリヤ       (6)ヤコブ  (7)と  (8)ヨセフの  (9)母
                               και  η       μητηρ    των  υιων        Ζεβεδαιου.
	      (11)また  (14)母が   (13)子らの     (12)ゼベダイの

ラテン語    彼女らのなかには、マリヤ・マグダレーネ[、]とヤコブとヨセフの母であるマリヤ、そしてゼベダイの
                      息子らの母がいた。

        inter        quas        erat     Maria     Magdalene   et    Maria   Iacobi    et   Ioseph    mater
                (2)なかには  (1)彼女らの (15)いた  (4)マリヤ  (3)マグダレーネ (5)と  (10)マリヤ   (6)ヤコブ (7)と (8)ヨセフの  (9)母
       et     mater       filiorum         Zebedaei
                   (11)と (14)母が      (13)息子らの     (12)ゼベダイの 

決定版     Vnter welchen war Maria Magdalena[,] vnd Maria[,] die mutter Jacobi vnd Joses vnd die mutter 
                   der kinder Zebedei.
カロフ版  Unter welchen war Maria Magdalena[,] und Maria[,] die Mutter Jacobi und Joses/und die 
                   Mutter der Kinder Zebedai.
現代版   unter ihnen war Maria von Magdala[,] und Maria, die Mutter des Jakobus und Josef, und die 
                   Mutter der Söhne des Zebedäus.
DRB       Among whom was Mary Magdalen, and Mary[,] the mother of James and Joseph, and the 
                   mother of the sons of Zebedee.
KJV        Among which was Mary Măg'dȧ-lēne, and Mary[,] the mother of James and Jō'sēs, and the 
                   mother of Zĕbē-dēe's children.
RSV       among whom were Mary Magdalene, and Mary[,] the mother of James and Joseph, and the 
                   mother of the sons of Zebedee.
TEV       Among them were Mary Magdalene, [and] Mary[,] the mother of James and Joseph, and the 
                   wife of Zebedee.
文語訳    その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母[、]マリヤ、及びゼベダイの子らの母なども
                   ゐたり。
口語訳    その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母[、]マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。
新改訳     その中に、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母[、]マリヤ、ゼベダイの子らの母がいた。
新共同訳  その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母[、]マリヤ、、ゼベダイの子らの母がいた。

[,]や[,]などは、「カンマ」が存在しないギリシャ語やラテン語も含め、バッハテキストとの比較であり、正誤を意味するものではないことはこれまでと同様である。

日本では、「Maria Magdalena」を「マグダラのマリア」と表記するのが一般的である。ドイツ語現代版でも「Maria von Magdala」となっており、それが聖書学的に間違いというわけではない。しかし、バッハテキストでは、「von」の後に都市名(○○)をつけて「○○からの」を意味する表現は、「von Kyrene(MP55:5)」や「von Arimathia(MP63c:31-32)」などで見られ、「Maria Magdalena」はそれらとは区別されていることがわかる。つまり、「Maria Magdalena」は「マリア・マグダレーナ」という名として扱われている。

19世紀前の宗教的音楽作品というものは、Eberhard Nestle(1851-1913)ら新約聖書の正文批判的研究結果に基づいた聖書学的再解釈をするべきではなく、あくまでも成立時の時代的背景と、作者の思いに基づいて解釈をすべきであるという例である。「Μαγδαλά(マグダラ)」は、アラム語のギリシャ語音写で、ガリラヤ湖西岸に実在した町だが、正確な所在地はわかっていない。しかし、ルターやバッハはこれを、名前の一部(あるいは姓)と理解したと思われる。実際に、ギリシャ語ルカ伝8:2では「Μαρία ἡ καλουµενη Μαγδαληνὴ   (マグダレーネと呼ばれるマリア)」 としており、ルターも決定版で「Maria die da Magdalena heisset(マグダレーナと名乗るマリア)」と訳している。

「Mary Magdalenae」あるいは「マリア・マグダレーナ」という表記は、バッハの妻「Anna Magdalena」に通じる。バッハの妻への想いが、「マリア・マグダレーナ」へのイエスの想いに重なる可能性に気づく。「Anna Madidalena」を「Mary from Magdala」や「マグダラのアンナ」と表記することはありえない。バッハテキストで「Maria Magdalena」となっていれば、「Maria Magdalena」の「Magdalena」は名前の一部として表記すべきである。

デュル監修のベーレンライタースコアーでは、このパッセージに出てくる二人目の「Maria」の直後に置かれた「,(カンマ)」は、自筆譜のファキシミリ版には存在しない。



Fig. 19. In MP63c:27, no comma on the autographic score by J. S. Bach (1736) (a), but one on the Bärenreiter Vocal Score (1974) (b). The arrows indicate the corresponding positions without and with a comma after ‘Maria’ in (a) and (b), respectively.

イエスの最期に立ち会った女性の人数は、はっきりしない。最初に書かれた福音書であるマルコ伝は「マグダラのマリア」、「小ヤコブとヨセとの母マリア」、「サロメ」の三人をあげ(15:40)、ルカ伝は名前も人数も特定していない(23:49)。最後に書かれたヨハネ伝は「イエスの母マリア」、「イエスの母の姉妹でありクロパの妻であるマリア」、そして「マグダラのマリア」の三人の女性をあげている。決定版のヨハネ伝(19:25)には「Es stund aber bey dem creutze Jhesu seine Mutter vnd seiner mutter schwester Maria Cleophas weib vnd Maria Magdalene.」とあり「イエスの母の姉妹とクロパの妻」は分離されておらず、同一人物の「マリア」となっているが、すべての現代語訳聖書は、「イエスの母の姉妹」と「クロパの妻であるマリア」は別人物として、最期に立ち会った女性を4人としている。イエスの母とイエスの母の姉妹がどちらもマリアという名を持つのは不自然としたためであろう。

いずれにしても、イエスの周囲に現れる女性がやたらと「マリア」と名乗っているというのは、やや不自然である。「マリア」はモ−ゼの姉妹の名前「ミリアム」のヘブライ語読みに由来すると言われており、当時のユダヤでもありふれた名前だったのかもしれない。それにしても、「ここまで多いのは偶然ではないのでは」という疑問を持つのは当然である。その意味では、マリアは本来は預言者の身の回りを世話する女性を意味する、一種の身分の呼称であるという説はもっともらしい。それについては筆者は判断できないが、そう考えれば納得はできる(B. Thiering著、高尾利数訳「イエスのミステリ−」p.121)。そうであれば、姉妹がマリアであっても不思議ではない。その結果、三人の女性がイエスを看取ったことになり、新約聖書で「3」という数字が頻出することとも符合する。

古来、ヨ−ロッパでは「マグダラのマリア」がイエスの妻となったと言う民間伝承があり、バッハもそれを知った上で《マタイ受難曲》を作曲した可能性は高い。

また、バッハは、マタイ受難曲初演(1727/1729)の数年前に、妻のアンナ・マグダレ−ナに『アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィ−ア小曲集第二巻(1725)』を捧げたが、その中にはバッハがとくに彼女のために書いたという一遍の詩がある。

御身がともにあるならば
喜び行かん死の安らぎへ
美(うるわ)し御身の手
わが眼(まなこ)を閉ざすなら
死の時もいかで楽しき!
(角倉一朗訳、リュック=アンドレ・マルセル著「バッハ」白水社刊)

これはゴータの宮廷楽長だったG.H.シュテルツェルの曲(BWV508)につけられた作者不詳の歌詞だが、バッハらしい死と愛の統一を歌っており、作詞者不祥とはいえバッハの自筆による歌詞であることは確かであり、この詩が彼女に捧げられていることは間違いない。

バッハがイエスの死を見取るマリア・マグダレーナに、我が死を見取るアンナ・マグダレーナを重ね合わせたと想像するのは荒唐無稽だろうか。平均年齢が50歳にも満たないこの時代に、《マタイ受難曲》初演が1729年とすれば、バッハはすでに44歳であり、16歳年下のアンナ・マグダレーナは28歳だった。自分の死を看取る妻を想像しても不思議ではないし、バッハがこの歌詞を彼女に捧げた時の想いに妻への愛の深さを感じる。

次のマリアについては、「υιων Ζεβεδαιου(uiwn Zebedaiou)」の原意は「ゼベダイの息子たち」だが、ウルガータ、現代版、DRB、RSVはそれに従っている(filiorum、Söhne、sons)が、決定版、KJVは「ゼベダイの子供たち(Kinder、children)」となっており、男女を特定していない。バッハテキストも「ゼベダイの子供たち(Kinder)」としている。

ここのカンマの位置については、バッハ自筆総譜では、上記の通りだが、各種対訳で取り上げられているドイツ語テキストにも違いがあり混乱している。

参考のために以下に例を示す。

YS: Maria Magdalena[,] und Maria, die Mutter Jacobi und Joses, und die Mutter der Kinder Zebedäi.
(注1)
TM1: Maria Magdalena, und Maria, die Mutter Jacobi und Joses, und die Mutter der Kinder Zebedäi. 
(注2)
TM2: Maria Magdalena[,] und Maria, die Mutter Jacobi und Joses und die Mutter der Kinder Zebedäi. 
(注3)
RH: Maria Magdalena[,] und Maria, die Mutter Jacobi und Joses und die Mutter der Kinder Zebedäi.
TI: Maria Magdalena, und Maria, die Mutter Jacobi und Joses, und die Mutter der Kinder Zebedäi.
KT: Maria Magdalena, und Maria, die Mutter Jacobi und Joses, und die Mutter der Kinder Zebedäi.

(注1)「バッハ大全集」(音楽之友社編集、ポリグラム発、1993)に納められたYS文語対訳のドイツ語テキストも、1985年の聖ト−マス教会合唱団とゲヴァントハウス管弦楽団日本公演で配付されたドイツ語テキストも同じで最初のMaria Magdalenaのあとにカンマはない)
(注2)全音楽譜出版社刊、ボーカルスコア、TM対訳より。
(注3)Karl Münchinger《マタイ受難曲》CD(Ⓟ1965)添付のTM対訳より (POLYDOR K.K.)。

ここで、バッハは、三人の女性に重要な音楽的処理をほどこしている。そのことに、言及した解説を見つける事はできなかったが、これらの差別化は重要な意味を持つと考えられる。まず、三人の女性の間には八分休符が挿入され、明確に区別されている。そして、Maria Magdalena だけが変ホ長調で八分音符が7つ並ぶ明確な上向音階になっている。しかし、あとの二人の女性は、16分音符と8分音符が、細かく転調する不安定な上下音で描かれ、いかにも、Maria Magdalena だけが特別の存在として扱われている。バッハの彼女を妻のイメージに重ねて特別の想いを表現していると解釈できる(Fig. 20)。


Fig. 20. The three women as indicated by double, solid and broken underlines are clearly separated by two quavers as shown in circles. 


60. MP63c:31-32
D/D  バッハ   Am Abend aber kam ein reicher Mann von Arimathia, der hieß Joseph,
  直訳            ところが、夕暮れになって、ヨゼフと名乗る金持ちの男がアリマチアからやって来た。

   英語版    At even came a certain wealthy man from Arimathia, by name Joseph
   ZPA      At evening, though, there came a wealthy man of Arimathia, whose name was Joseph,
   YS文語  日暮れて、ヨセフというアリマタヤ出の富裕の人来る。
   YS口語  日暮れになると、アリマタヤ出身のヨセフという名の富裕な人物がやって来た。
   TM       夕方になってから、アリマタヤの金持ちで、ヨセフという名の人がきた。
   K·M      夕方になってから、アリマタヤの金持ちで、ヨセフという名の人がきた。
   RH       夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。
   TI         夕暮れに、アリマタヤの金持ちで、ヨセフという人がやってきた。
   KT        夜になると、アリマタヤ出身でヨセフという名の裕福な男がやって来た。

マタイ伝27:57
ギリシャ語   そして、夕方になったとき、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという名の人がやって来た。

                   Οϕιας    δε            γενομενης     ηλθεν       ανθρωπος  πλουσιο     απο      Αριμαθαιας,   τουνομα   Ιωσηφ,
                    (2)夕方に (1)そして (3)なったとき (10)来た  (9)人が    (6)金持ちで (5)出身の (4)アリマタヤ  (8)名の (7)ヨセフという


ラテン語  ところが、夕方になるとともに、ヨセフという名の、アリマタヤ出身の金持ちの人がやって来た。

                Cum    sero   autem     factum     esset      venit    quidam     homo    dives     ab    
                (4)と共に  (2)夕方  (1)ところが (3)になる  (13)〜した  (12)来た (10)金持ちの  (11)人が   (9)出身の (8)〜の          
                              Arimathia   nominee   Ioseph 
                              (7)アリマタヤ (6)名の        (5)ヨセフという

決定版    Am abend aber/kam ein reicher Man von Arimathia/der hies Joseph/
カロフ    Am Abend aber kam ein reicher Man von Arimathia der hieß Joseph
現代版    Am Abend aber kam ein reicher Mann aus Arimathäa, der hieß Josef
DRB      And when it was evening, there came a certain rich man of Arimathea, named Joseph,
KJV       when the even was come, there came a rich man of Ăr’ĭ-mȧ-thē’ȧ, named Joseph,
RSV      When it was evening, there came a rich man from Ar-i-ma-the'a, named Joseph,
TEV       When it was evening, a rich man from Arimathea arrived; his name was Joseph,
文語訳    日暮(ひく)れて、ヨセフと云ふアリマタヤの富める人来る。
口語訳    夕方になってから、アリマタヤの金持ちで、ヨセフという名の人が来た。
新改訳    夕方になって、アリマタヤの金持ちでヨセフという人が来た。
新共同訳 夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。

「Am Abend」は「晩に」とも「夕方に」とも訳せるが、「日暮れて」、「夜になって」は聖書学的には正しくない。イエスの処刑は安息日の前日であり、日が暮れると安息日が始まり処刑された者の埋葬はできないからである。ルター訳では、日没の前か後かがわからないが、バッハテキストがここはルターに従っている以上、日没との前後関係を曖昧に訳すべきだろう。聖書学者の田川があえて「夜になると」と訳している理由は何か?

「アリマタヤのヨゼフ」については、4つの福音書で異なる記述がされている。マタイ伝は彼を「アリマタヤ出身の金持ち」とさりげなく表現しているだけだが、最初に書かれた福音書であるマルコ伝は「アリマタヤ出身で身分の高い(最高法院の)議員(15:43)」とし、彼がイエスの死刑判決を下したユダヤ教の裁判に立ち会っていたことを示唆している。ルカ伝は「ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、同僚の決議や行動には同意しなかった、神の国を待ち望んでいた善良な正しい人(23:50-51)」と肯定的に書く。しかし、ヨハネ伝は否定的に「イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ(19:38)」としている。いずれも、現代語訳聖書は「アリマタヤ出身」と訳している。ギリシャ語の「απο(apo)」は、英語の「from」と同様に、行動の起点を意味するので「von」に相当する。ここで多くの対訳は、聖書学的に「von(〜から)」を「aus(〜出身の)」として解釈している。しかし、バッハテキストに沿うなら、「of」ではなく「from」、「〜出身の」ではなく「〜から」とするほうが良い。


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