(12)MP66a:8-11,MP66a:12-16,MP66b:16-19,MP66b:20-24,MP66c:40-42,MP66c:40-42

62. MP66a:8-11
D  バッハ   Es war aber allda Maria Magdalena und die andere Maria, die satzten sich gegen das Grab.
    直訳    ところで、そこにはマリア・マグダレーナと、ほかのマリアがいて、彼女たちは墓に向かって坐っていた。

   英語版   There were there also Mary Magdalene, and the other Mary, who sat near to Jesus' grave.
   ZPA      In this place was Mary Magdalene and the other Mary, who sat themselves next to the tomb.
   YS文語  そこにはマグダラのマリヤと他のマリヤと残りて、墓に向かいて座しいたり。
   YS口語  そこにはマグダラのマリヤともうひとりのマリヤがいて、墓の方を向いて座っていた。
   TM       マグダラのマリヤとほかのマリアとが、墓にむかってそこにすわっていた。
   K·M      マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。
   RH       マグダラのマリヤともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて坐っていた。
   TI         そこにはマグダラのマリヤともう一人のマリヤが残り、墓に向って座っていた。
   KT        そこにはマグダラのマリヤとほかのマリアたちも居て、墓の前に座っていた。

マタイ伝27:61

ギリシャ語   そして、そこにはマグダラのマリヤと他のマリヤが墓に向かって座っていた。

                         ἦν          δὲ             ἐκεῖ           Μαριὰμ  ἡ  Μαγδαληνὴ  καὶ ἡ    ἅλλη      Μαρία         καθήμεναι   ἀπέναντι
	                    (11)いた (1)そして  (2)そこに  (4)マリヤ    (3)マグダラの (5)と   (6)他の   (7)マリヤが  (10)坐って   (9)むかって
                                   τοῦ   τάϕου.
                                      (8)墓に

ラテン語   ところで、そこにはマリヤ・マグラレーネと他のマリヤが墓に向かって座っていた。

                  Erat     autem     ibi            Maria    Magdalene  et    altera   Maria       sedentes  contra
                      (11)いた (1)ところで (2)そこには  (3)マリヤ  (4)マグダレネ   (5)と  (6)他の  (7)マリヤが   (10)坐って   (9)むかって
                          sepulchrum
                               (8)墓に

決定版         Es war aber alda Maria Magdalena / vnd die ander Maria / die satzten sich gegen das Grab.
カロフ版      Es war aber alda Maria Magdalena / und die ander Maria die satzten sich gegen das Grab/
現代版     Es waren aber dort Maria von Magdala und die andere Maria; die saßen dem Grab
                           gegenüber.
DRB           And there was there Mary Magdalen, and the other Mary stting over against the sepulchre.
KJV            And there was Mary Măg'dȧ-lēne, and the other Mary, stting over against the sepulchre.
RSV            Mary Mag'da-lene and the other Mary were there, sitting opposite the sepulchre.
TEV            Mary Magdalene and the other Mary were sitting there, facing the tomb.
文語訳         其處(そこ)にはマグダラのマリヤと他のマリヤと墓に向ひて座(ざ)しゐたり。
口語訳         マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってすわっていた。
新改訳         そこにはマグダラのマリヤとほかのマリヤとが墓のほうを向いてすわっていた。
新共同訳      マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて坐っていた。

イエスの体が横たえられた墓の前には二人の女性がいた。一人は「Maria Magdalena(マリア・マグダレーナ)」で、他の一人は「die andere Maria(ほかの/もうひとりのマリア)」である。この定冠詞「die」は前出の「ヤコビとヨゼスの母であるマリア」を指す。カロフの注解でも、56節のMaria Josesのこと(nemlich Maria Joses b. 56.)としている。福音書にはイエスの周りに少なくとも6人の「Maria」が登場する。したがって、このマリアを、意味上は複数のマリアを意味すると解釈することも不可能ではない。しかし、たとえ聖書学的根拠がどうであれ、バッハテキストからはこの「die andere Maria」を複数とするのは無理がある。

「Maria Magdalena」を「マグダラのマリア」とせず、「マリア・マグダレーナ」とすべきなのは59. MP63c:25-29で述べたとおりである。これは聖書学的な問題ではない。ここで「二人のマリア」と書かず、一方はあたかも姓名であるかのように「マリア・マグダレーナ」とし、他方は「他のマリア」と表現することは、前者と後者が同格ではなく、前者がより重要な女性であるという含意がある。

ところで、この文章は、一見奇妙である。主節が「Es war 」と単数形なのに従属節は「die satzten(彼女たちは座っていた)」と複数になっている。そこにいたのが二人のマリアであれば、主節も複数形の「Es waren」になるのが普通である。実際に現代版では、「Es waren」に訂正されている。しかし、この表現はドイツ語文法で間違いとはいえない。「Es war」が、それぞれのマリアに一人ずつにかかっていると解釈できるのだという。つまり、「Es war Maria Magdalena und es war die andere Maria」と省略形ということだ。しかも、それを従属節で複数形に受けることも可能という。しかし、聖書学的にはともかく、文法的には「die andere Maria」はあきらかに単数であり複数とするのは間違いである(A. Nordheim教授からの私信)。

63. MP66a:12-16
D  バッハ     Des andern Tages, der da folget nach dem Rüsttage, kamen die Hohenpriester und
                         Pharisäer sämtlich Pilato und sprachen:
	直訳       次の日は(安息日のための)準備の日(すなわち聖金曜日)のあとに続く日だが、祭司長たちと
                       ファリサイ派の人たちがピラトのところにいっしょに来て、言った:

   英語版      Now on the morrow, which followed the preparation, came then together all of the priests 
                          and all the Pharisees to Pilate, and said:
   ZPA         On the day after, the one after the Preparation, came the chief priests and the Pharisees
                          together unto Pilate and said:
   YS文語     あくる日、すなわち準備日(そなえび)の翌日、祭司長らとパリサイ人ら、ともどもピラトのもとに
                          集りて言う、
   YS口語     あくる日、すなわち祭の準備の日[金曜]の翌日に、祭司長らとパリサイ派の者たちが、申し合わ
                          せたようにピラトのもとに集合して言った、
   TM          あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集って
                          言った、
   K·M         あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まっ
                          て言った、
   RH          明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まっ
                          て、こう言った。
   TI            明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに集まっ
                           て、こう言った。
   KT           次の日、備えの日の翌日であったが、祭司長たちとパリサイ派の者らがそろってピラトのもとにやっ
                           て来て、言った。

マタイ伝27:62-63

ギリシャ語  そして翌日、それは備えの日の後であったが、祭司長たちとパリサイ人(びと)たちがピラトの
                          ところに集まって、言った

                  Τη  δε     επαυριον,   τηις        εστιν     μετα    την    παρασκευην,    συνηχθησαν  οι   αρχιερεις    και
                          (1)そして (2)翌日     (3)それは  (6)ある  (5)後で(翌日  (4)備え日の         (12)集った             (7)祭司長ら   (8)と 
                                     οι   Θαρισαιοι       προς	         Πιλατον        λεγοντες,
                                 (9)パリサイ人らは     (11)ところに  (10)ピラトの  (13)言うのには

ラテン語  そして別の日に、それは備えの日の翌日であったが、祭司長たちとパリサイ人(びと)たちがピラト
                           のところに集まって、言った

                   Altera   autem  die   quae    est    post    parasceven   convenerunt  principes  sacerdotum
                         (2)別の    (1)そこで (3)日 (6)それは (7)ある (4)後で(翌日)(5)備え日の (14)集った       (9)長たち    (8)祭司の  
                             et     Pharisaei            ad             Pilatum     dicentes
                                  (10)と  (11)パリサイ人らは  (13)ところに  (12)ピラトの  (15)言うのには

 決定版           Des andern tages der da folget nach dem Rustage / Kamen die Hohenpriester vnd 
                             Phariseer semptlich zu Pilato / vnd sprachen
 カロフ版        Des andern tages der da folget nach dem Rustage / kamen die Hohenpriester vnd 
                             Phariseer sämptlich zu Pilato / Vnd sprachen:
 現代版           Am nächsten Tag, der auf den Rüsttag folget, kamen die Hohenpriester mit den 
                             Pharisäern zu Pilatus und sprachen:
 DRB             And the next day, which followed the day of the preparation, the chief priests and 
                           the Pharisees came together to Pilate, Saying:
KJV              Now the next day, that followed the day of the preparation, the chief priests and 
                           Phar'i-sees came together unto Pilate, Saying,
RSV              Next day, that is, after the day of Preparation, the chief priests and the Pharisees 
                           gathered before Pilate and said,
TEV              The next day, which was a Sabbath, the chief priests and the Pharisees met with Pilate 
                           and said,
文語訳           あくる日、即ち準備日(そなへび)の翌日、祭司長らとパリサイ人らとピラトの許に集りて言ふ、
口語訳           あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人(びと)たちは、ピラトの
                           もとに集まって言った、
新改訳          さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのところに集まって、
                           こう言った。
新共同訳         明くる日、すなわち、準備の日の翌日、祭司長たちとファリサイ派の人々は、ピラトのところに
                           集まって、こう言った。

「準備の日」とは「安息日のための準備の日」だから、その次の日であるこの日は、すなわち「安息日」であり、イエスが十字架にかけられた「聖金曜日」の翌日のことである。安息日は、その前日の日没から始まるので、安息日には埋葬はしてはならないというユダヤ教の規則によれば、イエスは処刑された当日の、日が暮れる前に埋葬されたことになる。

その安息日に、祭司長たちとファリサイ派の人々がピラトのところに来た。ドイツ語訳以外の聖書では「集まった」とするものが多いが、DRB、KJVのように「いっしょに来た」とするものもある。違いは、「(彼らは)ピラトのところに来る前に会っていた」のか、「ピラトのところで会った」のかである。バッハテキストでは決定版に従って「いっしょに来た(kamen …… sämtlich)」としており、「ピラトのところに集まった」のではない。音楽的には大した違いではないと感じる人もいるかもしれないが、こういう箇所こそ芸術作品をそれ自身として独立して理解しようとするのか、単に聖書のコピーと理解するかの違いが表れており、その態度は他の重要な楽章、パッセージの解釈にも反映するので重要である。

64. MP66b:16-19
E  バッハ     Herr, wir haben gedacht, daß dieser Verfürrer sprach, da er noch lebete:
  直訳          主よ、あの詐欺師が言ったことを私たちは思い出しました、彼がまだ生きていたときのことです。

   英語版     Sir, we bear it in mind, that that base deceiver said, when He was yet alive:
   ZPA        Sire, we have taken thought how once this deceiver said when he was still alive:
   YS文語    主よ、かの惑わす者、[なお]生きおりしとき、「....」と言いしを、われら思いだせり。
   YS口語    主よ、民を惑わすあの男が、[なお]生前に「....」と言っていたのを、思い出しました。
   TM          長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『....』と言ったのを、思い出しました。
   K·M         長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、「....」と言ったのを思い出しました。
   RH        「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『....』と言っていたのを、わたしたちは思い出し
                           ました。
   TI           閣下、思い出しました。あの惑わし者がまだ生きていたとき、こう言っていたのを。
   KT          ご主人様、私たちは思うのですが、あの詐欺師はまだ生きている間に言っていました、『....』などと。

マタイ伝27:63

ギリシャ語    主よ、あの惑わす者がまだ生きていた時に言ったことを、私たちは思い出しました。

                            Κυριε,   εμνησθημεν                 οτι             εκεινος  ο   πλανος            ειπεν        ετι          ζων,
                     (1)主よ   (8)私たちは思い出した  (7)ことを  (2)あの  (3)惑わすものが    (6)言った  (4)まだ  (5)生きていた時

ラテン語      主よ、あの惑わす者がまだ生きていた時に言ったことを、私たちは思い出しました。

                  domine recordati             sumus  quia     seductor  ille   dixit       adhuc  vivens
                  (1)主よ    (8)私たちは思い出した (7)ことを  (2)あの  (3)惑わすものが     (6)言った   (4)まだ   (5)生きていた時
		
決定版         Herr / wir haben gedacht / das dieser Verfürer sprach / da er noch lebete /
カロフ版      Herr / wir haben gedacht / daß dieser Verfürrer sprach : Da er noch lebete :
現代版         Herr, wir haben daran gedacht, daß dieser Verfürrer sprach, als er noch lebte:
DRB           Sir, we have remembered, that that seducer said, while he was yet alive:
KJV            Sir, we remember that that deceiver said, while he was yet alive,
RSV           Sir, we remember how that impostor said, while he was still alive,
TEV           Sir, we remember that while that liar was still alive
文語訳       『主よ、かの惑(まどは)すもの[なお]生き居(を)りし時「....」と言ひしを、我ら思ひいだせり。
口語訳       「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『....』と言ったのを、思い出しました。
新改訳       「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『....』と言っていたのを思いだしました。
新共同訳    「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『....』と言っていたのを、わたしたちは思い出し
                        ました。

「lebet」の最後に母音の"e"を加えて「lebete」とし、その「-te」に四分音符をあてて強調している。その意味では、趣旨はMP63cの「Leichnam→Leib」、MP66aの「legete→legte」の変更に共通している。これらは、イエスの生命を強調しているという意味では一貫している。しかし、MP45a:11-13の「gesagt→gesaget」もそうだったように歌詞として訳し分けるのは難しい。ただ、「生前に」とするのはイエスの生命を軽く感じさせる。

ここでピラトを「Herr」と呼ぶのは、神に対して使う「Herr(主よ)」と同じ。したがって、同じ訳語をあてるべきだろう。日本語としては違和感があるが、対訳はあくまでも対訳であり、独立した日本語詩ではない。ギリシャ語、ラテン語でも「Κυριε(Kurie)」、「Domine」とあり、神に対するのと同じ呼びかけであり原意を表現するべきではないか。会衆は同じ響きを聞いたはずである。

65. MP66b:20-24
A  バッハ   Ich will nach dreien Tagen wieder auferstehen.
    直訳      私は三日後に再び立ち上がるつもりだ。

   英語版   Upon the third day I will rise again in glory.
   ZPA       I will in three days' time again stand here arisen."
   YS文語  われは三日ののちに甦えらん
   YS口語  私は三日ののちに甦る
   TM        三日の後に自分はよみがえる
   K·M       三日ののちに自分はよみがえる
   RH        自分は三日後に復活する
   TI          私は三日後に復活するだろう
   KT        自分は三日後に復活するだろう、

マタイ伝27:63
ギリシャ語  私は三日後によみがえらされる

                 Μετα    τρεις   ημερας              εγειρομαι
	           (4)後に  (2)三  (3)日 (複)の   (1,5)私は、よみがえらされる

ラテン語    私は三日後によみがえる

                 post    tres  dies             resugam
                 (4)後に   (2)三  (3)日 (複)の   (1,5)私は、よみがえる

決定版       Jch wil nach dreien tagen [wieder] aufferstehen.
カロフ版  Jch wil nach dreyen Tagen [wieder] auferstehen.
現代版       Ich will nach drei Tagen  [wieder] auferstehen.
DRB         After three days I will rise again.
KJV          After three days I will rise again.
RSV          After three days I will rise again.
TEV           I will be rased to life three days later.
文語訳       われ三日の後に甦へらん
口語訳       三日の後に自分はよみがえる
新改訳       自分は三日の後によみがえる
新共同訳    自分は三日後に復活する

カトリックで最も重要な概念とされる「イエスの復活」を、イエス自身が予告した言葉である。このイエスの言葉に、バッハは、いずれのドイツ語訳聖書にもない「wieder」を加えている。DRB、KJV、RSVにも「again」があるが、バッハがこれらの英語訳聖書を参照したという証拠は無い。デュルの報告でも、この「wieder」は当時のドイツ語聖書(6つの版)のいずれにもにないとされているので(7章2節)、バッハはおそらく意識して追加したと思われる。

「auferstehen」の原意は、「auf(-あがる)・er(〜する)・stehen(立っている)」であり、本来は「立ち上がる」、「起き上がる」の意味。転じて「蜂起する」や「反乱を起こす」の意味にもなる(ギリシャ語の「εγειρω」も同様)。すでに述べたように、これを原意から離れて「復活する」と意訳したのは日本のキリスト教である。日本語で「復活祭」と呼ばれる祝日に意味上対応する語が欧米語にはないことも同じことである(ゲルマン系のOsternなどは古代ゲルマン信仰の女神の名に由来し、ラテン系のPaqueなどはユダヤ教の過越祭が語源)。しかし、「auferstehen」や「rise」が、原意から転じて、「イエスが死からよみがえる」ことを意味している事も確かである。バッハがここで、「再び」を加えた理由は何か。「再び」をつける事で「復活する」のニュアンスを消したとは考えられないだろうか。なぜなら、「再び復活する」や「再びよみがえる」では明らかにおかしいからである。「再び」をつけるなら「立ち上がる、起き上がる」という意味に解するしかない。もちろん、ここだけをとりあげて、「バッハがイエスの復活を否定した」証拠というのは無理がある。しかし、そのニュアンスが出てきうるとは言えるだろう。

一般的にカトリックでは復活祭を受難節よりも重要視するためか、カトリック側も参画した新共同訳は訳語に「復活する」をあてているが、その前は日本語聖書も「よみがえる」としている。ギリシャ語ではイエスは使役動詞の受動形になっているが、ウルガータ本のラテン語訳では使役動詞ではなくイエス自身が「よみがえる」と変更している。意訳が過ぎるという批判が多いTEVであるが、ここだけは他の聖書よりもギリシャ語に近い。この書き換えはロ−マ教会派が東方教会との戦いの過程で三位一体説をとったため、イエスを聖人ではなく神としたことと関係があるのだろう。神がイエスをよみがえらせるのではなく、イエス自身が神であり、自分の意志でよみがえったとする必要があった。

「auferstehen」は現在のドイツ語ではイエスの復活にしか使われないので、「wieder auferstehen」を「復活する」としてもキリスト教の立場からは間違いとは言えない。しかし、上で述べたように「wider」を挿入することで「復活、死からのよみがえり」をバッハが強調したとは考えにくい。むしろ、「イエスは息絶えなかったので、『もう一度起き上がる』ことが出来た」と解釈する方が、イエスの人間性を強調する《マタイ受難曲》の思想と整合的である。

66. MP66c:40-42
D  バッハ   Da habt ihr die Hüter; gehet hin und verwahret’s, wie ihrs wisset!
	直訳	あなた達には守り主がいるのだから、そこへ行き、あなた達がわかるように墓を守りなさい。

   英語版   Ye have many watchmen, go your way, make your watch as sure as may be.
   ZPA      Ye have your watchmen; go ye forth and secure it as best ye can! 
   YS文語  番兵を汝らに出ださん。行きて、得心ゆくごとく、これを固めよ!
   YS口語  それなら番兵を出そう。きみたちは行って、納得のいくように墓を固めておくがよかろう!
   TM       番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい。
   K·M      番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい。
   RH       あなた達には、番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい」。
   TI         番兵を出そう。行って、知恵のかぎり守るがいい。
   KT        守衛がいるだろう。行って、思いどおりに番をするが良い。

マタイ伝27:65

ギリシャ語  あなた方は番兵隊をもっているのだから、行って出来るだけ守りなさい

                    Εχετε                                 κουστωδιαν    υπαγετε   ασφαλσασθε    ως                    οιδατε.
                            (1, 3)あなた方は持っている (2)番兵隊を     (4)行け   (7)守れ            (6)だけ            (5)あなたがたの出来る

ラテン語    あなた方は番兵隊をもっているのだから、行って出来るだけ守りなさい

                    habetis                      custodiam  ite     custodite  sicut    scitis
                      (1, 3)あなた方は持っている (2)番兵隊を    (4)行け (7)守れ         (6)だけ   (5)あなたがたの出来る

決定版           Da habt jr die Hüter / gehet hin / vnd verwaret / wie jr wisset.
カロフ版    Da habt ihr die Hüter / gehet hin / und verwahrets / wie ihr wisset.
現代版           Da habt ihr die Wache; geht hin und bewacht es, so gut ihr könnt.
DRB             You have a guard; go, guard it as you know.
KJV              Ye have a watch: go your way, make it as sure as ye can.
RSV             You have a guardp of soldiers; go, make it as secure as you can.q
                     p0r take a guard ; qGreek know.

TEV              Take a guard,(Pilate told them;)go and make the tomb as secure as you can.
文語訳          なんぢらに番兵あり、往きて力限り固めよ
口語訳          番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい。
新改訳          番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい。
新共同訳      あなたちには番兵がいるはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい。

史実としては「κουστωδια(koustwdian)」はユダヤ教の神殿警備兵ではなく、集合としてのローマ兵である。従って、ギリシャ語にある「あなたたちが持っている番兵隊」とはピラトの兵であり、ピラトが見張り兵を彼らに「貸し与えた」と理解されている(ただし、「ブロッケス受難詩」ではユダヤ人奴隷兵とされている)。決定版はここに複数形の「die Hüter」をあてている。「Hüter」の原意は「監督(者)、監視人」だが、ルター派では「羊の監視者→羊飼いの牧者→牧人→守り主→守り神→救い主(キリスト)」と転じてイエスの別称にもなる。例えば、MP15のコラールに使われたパウル・ゲルハルト作受難節コラ−ルの第5節は「Erkenne mich, mein Hüter, (私を知って下さい、私の守り主よ)」となっている。ここで「erkennen(知る)」とは性的に交わるの意味であり、信徒がイエス(mein Hüter)との肉の交わりを願っていることを表す(erkennenは、男を知る、女を知るの「知る」の意味に近い)。たとえば、創世記には次のように出て来る。

"Adam erkannte sein Weib Eva."(4:1)

ちなみに、このコラールはいわく付きのコラールでバッハの自筆譜では、歌詞が例外的に赤インクで書かれており(他では、赤インクは聖書由来の歌詞にしか使われていない)、その前にバッハは「Es dient zu meinem Freüden(それはわたしの喜びに役立つ)」で始まる第7節をいったん記入しそれを抹消して調性を嬰二長調に指定した上で第5節への歌詞変更を赤インクで指示している(Fig. 21)。



Fig. 21. Bach’s autographic score of MP15.

バッハがこのコラール歌詞の変更に何らかの意図があったこと、しかも、紙の余白の使い方からそれはこの部分を入稿したすぐあとではなく、全体の完成間近、または完成後にその変更がされたと理解されている。筆者にはバッハがMP66cに至って、《マタイ受難曲》で二度目に出てくる「Hüter」で、あるアイデアが湧いたのではないかと思える。そして、そのアイデアを生かすために、MP15コラ−ルにさかのぼって歌詞の変更をしたのではないだろうか。

ピラトは、イエスが冤罪であるにもかかわらず、自発的な意志(voluntarily will)によって、虚偽の自白をして「受難」を受け入れたことを知っていた。そのうえで、「私が釈放するのをあなた達が望むのはどちらか?バラバか、あるいはキリスト(救い主)であると言われているイエスか?(MP45a:10-13)」と、群衆に問う。バッハはそこで、「(Jesum,)von dem gesaget wird, er sei Christus?(キリストと言われている(イエス)か?)」に使われた音型を、半音高くして使う(Fig. 22)。



Fig. 22 キリストの音型がピラトの言葉に使われている二カ所、MP45a:12-13とMP66c:2-3。

ここで「Hüter」を「守り主(=キリスト)」の意にかけることが出来るとバッハは気づき、それを意図したことをこの音型が示唆している。イエスが神の子羊として自発的に死を受け入れたことを、ピラトの皮肉を使って再び確認したのである。なぜなら、これはピラトによるユダヤ人たちへの、最大限の皮肉になっているからである。つまり、「あなたたちはイエスではなくバラバが自分たちの『守り主』だと言ったのだから、そのバラバと墓の見張りをすればよいではないか」と言わせているのである。従ってMP15のコラ−ルと、ここの「Hüter」は共通の訳語が使われるべきである。

各対訳で二つの「Hüter」がどのように訳されているかを、ピラトの兵を示す語(MP53a)と比較したのが表10である。



表10イエスを意味する「Hüter」(MP15)と、ピラトの兵を意味するとされる「Kriegsknechte」(MP53a)と「Hüter」(MP66c)に当てられた訳語を、聖書を参考に各対訳間で比較した。
1) 口語訳、新改訳、新共同訳聖書。NA: Not applicable

ルターはここで「Hüter」を本来の意味である「監視人」の意味で使ったのであろうが、ルター派の中では「Hüter」は「羊の監視人=(牧人)」の意味になり、転じてキリスト(救い主)を意味するようになった。それを知っていたバッハは、イエスの愛を再び確認するためにピラトの皮肉を使ったのである。それを示している証拠が、コラール(MP15)の歌詞を7節から「Hüter」を含む5節に変更したことと、「救い主(=キリスト)」の音型(MP45a:12-13)をここで使ったことである(Fig. 22)。

その意味では、ルターの誤訳(もちろんルター自身にもその意図があってあえて誤訳した可能性も否定出来ない)が結果的にバッハのこのような音楽的表現を可能とさせたといえる。現代版で、ここの「Hüter」は、ギリシャ語聖書に合わせて「Wache(監視人、歩哨、衛兵)」に訂正されており、これだとバッハのアイデアは成立しない。RSV、TEVの「guard(衛兵)」も同様であり、文語訳、新共同訳の「番兵」もギリシャ語原文に沿っている。「wisset」は「知る」だが、ギリシャ語原文の「οιδατε(oidate)」の本来の意味も「知る」なので問題はない。意味としては、ルター訳現代版の「könnt(出来る)」と大きな違いはない。

67. MP66c:40-42
D  バッハ   Sie gingen hin und verwahreten das Grab mit Hütern und versiegelten den Stein.
       直訳   彼らは出ていって、守り主とともに墓を見守り、石に封印をした。

   英語版    So forth they went, and the Sepulchre made sure with watchmen, and they sealed it 
        with a stone.
   ZPA       So they went forth and made safe the tomb with watchmen and did seal in the stone.
   YS文語   すなわち彼ら行きて、番兵をもて墓を固め、石に封印を施せり。
   YS口語   そこで彼らは行って、墓を番兵で固め、さらに石には封印を施した。
   TM         そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。
   K·M        そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。
   RH         そこで、彼らは行って番兵とともに墓を守り、墓石に封印をした。
   TI           彼らは出ていって、墓を番兵たちと守り、石に封印をした。
   KT          彼らは行って、守衛たちとともに墓の番をし、石に封印をした。


マタイ伝27:66
ギリシャ語 そこで、彼らは出て行って、石に封印をして番兵隊とともに墓を見張った

                 οι              δε               πορευθεντες  ησφαλισαντο  τον  ταφον           σφραγισαντες	τον   λιθον   
                     (2)彼らは  (1)それで  (3)出て行って  (9)見張った           (8)墓を        (5)封印をして            (4)石に    
                                 μετα  της  κουστωδιας.
                              (7)共に     (6)番兵隊と

ラテン語  そこで、彼らは出て行って、石に封印をして番兵隊とともに墓を見張った

                  illi           autem    abeuntes    munierunt  sepulchrum  signantes   lapidem  cum  custodibus
                       (2)彼らは   (1)それで   (3)出て行って  (9)見張った    (8)墓を             (5)封印をして  (4)石に     (7)共に (6)番兵隊と          

決定版       Sie giengen hin / vnd verwareten das grab mit Hütern / vnd versiegelten den Stein.
カロフ版  Sie giengen hin / und verwahreten das Grab mit Hütern / und versiegelten den Stein.
現代版   Sie gingen hin und sicherten das Grab mit der Wache und versiegelten den Stein.
DRB          And they departing, made the sepulchre sure, sealing the stone, and setting guards.
KJV    So they went, and made the sepulchre sure, sealing the stone, and setting a watch.
RSV    So they went and made the sepulchre secure by sealing the stone and setting a guard.
TEV      So they left and made the tomb secure by putting a seal on the stone and leaving 
                           the guard on watch.
文語訳   乃(すなは)ち彼らゆきて石に封印し、番兵を置きて墓を固めたり。
口語訳   そこで、彼らは行って石に封印をし、番人を置いて墓の番をさせた。
新改訳   そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。
新共同訳  そこで、彼らは行って墓の石に封印をし、番兵をおいた。

「Hütern」は「mit」の支配を受けて複数形3格。「verwahren」は、「安全に保管する、保存する」なので、「番をする」するよりも、「固める」や「守る」の方が近い。英語、日本語も含め、聖書も、対訳も誰が「墓を見守った」のか、「番をした」のかについて分かれている。ユダヤ人たち(彼ら)が兵とともに番をしたのか、兵にさせたのか?ギリシャ語でも、バッハテキストでも、普通に読めば、「彼らは守り主/番兵と一緒に墓を見守った」と読めるが、ギリシャ語の「μετα」もドイツ語の「mit」も、「〜を使って」という意味もあるので、「番兵を使って〜させた」と使役のように訳すことも可能かもしれない。しかし、前項でも述べたように、「Hüter」にキリスト(救い主)の音型が使われているという音楽的表現との整合性をとるなら「〜と一緒に見守った」のほうがよい。 「Sepulchre」は墓の中にある部屋。
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