(2)MP2:1-3,MP4c:16-19, MP4d:23-26, MP4d:26-33, MP4e:36-37, MP4e:41-44

1. MP2:1-3
A  バッハ    [Und es begab sich] Da Jesus diese Rede vollendet hatte, sprech er zu seinen Jüngern:
     直訳         イエスはこの話を終えると、彼の弟子たちに言った。

   英語版     When Jesus then had finished with all these sayings, he said to his disciples:
   ZPA      When Jesus, then, had finished all these sayings, he said to his disciples: 
   YS文語   イエスはこれらの言(こと)をみな語り終えしのち、弟子たちに言いたもう。
   YS口語   イエスはこれらのことばを語り終えたあと、弟子たちに言われた。
   TM        イエスはこれらの言葉をすべて語り終えてから、弟子たちに言われた。
   K·M       イエスはこれらの話を語り終えてから弟子たちに言われた。
   RH        イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。
   TI          イエスはこの話を終えると、弟子たちに言った。
   KT        これらの言葉をイエスが語り終った時、弟子たちに言った、

マタイ伝26:1
ギリシャ語  そして、イエスがすべてこれらの言葉を終わったとき、次のことが起こった。彼の弟子らに言った。

                        Και            εγενετο                            οτε          ετελεσεν  ο     Ιησουσς      παντας τους    λογους
                        (1)そして    (8)(次のことが)起った    (7)とき     (6)終った             (2)イエスが   (3)すべて              (5)言葉(複)を    
                                       τουτους,        ειπεν  τοις                     μαθηταις         αυτου,
                                       (4)これらの      (11)(イエスは)言った   (10)弟子らに      (9)彼の
     
ラテン語     そして、イエスがこれらのすべての説教をし終わったそのとき、出来事があって、彼の弟子たちに言っ
                         た。
                        et            factum         est           cum               consummasset     Iesus                sermones            hos 
                             (1)そして  (8)出来事が    (9)あって    (7)そのとき       (6)し終った               (2)イエスが   (5)説教(複)を       (3)これらの     
                                                  omnes                 dixit                               discipulis          suis	
                                               (4)すべての         (12)(イエスは)言った   (11)弟子たちに   (10)彼の

 決定版       Und es begab sich / da Jhesus alle diese Rede volendet hatte / sprach er zu seinen Jüngern /
 カロフ版   Und es begab sich / da Jesus alle diese Rede vollendet hatte / sprach er zu seinen Jüngern.
 現代版       Und es begab sich, als Jesus alle diese Reden vollendet hatte, daß er zu seinen Jüngern 
                    sprach:
 RDV        And it came to pass, when Jesus had ended all these words, he said to his disciples:
 KJV         And it came to pass, when Jesus had finished all these sayings, he said unto his 
                  disciples,	
 RSV       When Jesus had finished all these sayings, he said to his disciples,
 TEV       When Jesus had finished teaching all these things, he said to his disciples,
 文語訳     イエスはこれらの言(こと)をみな語りをへて、弟子たちに言ひ給ふ
 口語訳     イエスはこれらの言葉をすべて語り終えてから、弟子たちに言われた。
 新改訳     イエスは、これらの話をすべて終えると、弟子たちに言われた。
 新共同訳 イエスはこれらの言葉をすべて語り終えると、弟子たちに言われた。

決定版のマタイ伝26章はUnd es begab sich(そして、次の事が起こった)から始まる。バッハはこれを削除し、さらに続く「alle(すべて)」も削除して、単数の「diese Rede」にしている。この削除は、《マタイ受難曲》はマタイ伝25章から連続する物語ではないということを意味するのであろう。あたかも、《マタイ受難曲》を独自の福音書解釈たろうとしているかのようである。聖書の「Rede」に相当する語は、ギリシャ語、ラテン語聖書でも複数であり、ルター訳決定版、カロフ聖書以外の聖書は全て複数となっている。エラスムス版から訳されたウルガータ本、RDV、KJVも複数になっているのでエラスムス版に由来するのではなく、ルターの誤訳である。実際に、現代ドイツ語版は「diese Reden」と複数形に訂正されている。ルターは「alle」は訳出して複数に近いニュアンスを残しているが、「alle」を取れば、バッハのテキストように単純な単数になる。

25章では、カンタ−タ140番にも使われた「十人のおとめの譬」や「タラントの譬」、「最後のさばき」などの話を、神、教師、裁く者としてのイエスが語る。これらの流れを断ち切る意図がバッハにあったと理解できる。「alle」を削除した意図は、イエスを人として描きたかったバッハが神、教師、裁くものとしてのイエスを思わせる25章からの連続性を断とうとしたと理解できる。《マタイ受難曲》の開曲が「小羊のように(小羊は殺されるときに抵抗しないのでドイツ語では死をも受け入れる従順な意志を象徴する)死に向かうイエス」を描写して、人としてのイエスの身にこれから起こる悲劇を予告しているので、25章からの連続性を想像させて神としてのイエスを想像させることを避けたと思われる。

「alle」を削除する事は、《マタイ受難曲》が独立した受難物語であることを意味する。この解釈を支持するもう一つの証拠は、終曲の合唱(MP68)で、バッハはイエスに墓の中で安らかに休んでくださいと呼びかけ、28章の復活を予告しない。十字架から下ろされたイエスはまだ息絶えてはいなかったものの、最終的には息絶えて、墓で安らかな眠りについたという形で受難物語は完結しているのである。その意味では、「alle」の削除が、バッハが《マタイ受難曲》に込めた思想を象徴的に予告しているのである。カール・バルトが正しく批判したように、バッハはマタイ伝の26章、27章を一つの物語として完結させて、独自の福音書解釈たろうとしているのである(『教会教義学・和解論II/2』)。殆どの対訳は、「alle(all、すべて)」を入れるか、少なくとも「Rede」を複数に訳している。TIだけがバッハに忠実である。


2. MP4c:16-19
D   バッハ     trat zu ihm ein Weib, die hatte ein Glas mit köstlichem Wasser
     直訳           ひとりの婦人が貴重な香水の入ったグラス一つを持って彼に進み出て、
  英語版        came a woman there, and brought him a box of costliest ointment,
  ZPA         unto him came a woman who carried a jar of precious ointment
  YS文語      ある女、石膏の壺に入りたる貴重の香油を持ちて近づき来たり、
  YS口語      高価な香油の入った壺を持った女性がみもとに近づいて、
  TM          ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏の壺をもってきて、イエスに近寄り、
  K·M         ひとりの女が、高価な香油入りの壺をもってきて、イエスに近寄り
  RH          一人の女が極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り、
  TI            ひとりの女が高価な香油の入った壺をもってイエスに近寄り、
  KT           一人の女がガラスの器を持って彼のもとに来た。その中には高価な香水が入って

マタイ伝26:7
 ギリシャ語	  一人の婦人が高価な香油の入った石膏の器を持って、彼に近づいた。

                        προσηλθεν    αυτω       γυνη                              εχουσα    αλβαστρον   μυρου	    βαρυτιμου
	(7)近づいた       (6)彼に       (1)(一人の)婦人が       (5)持って    (4)石膏の器を  (3)香油の    (2)高価な

 ラテン語       一人の婦人が高価な香油の入った石膏の器を持って、彼に近づいた。

                        accessit       ad        eum     mulier                     habens       alabastrum     unguenti     pretiosi
	(8)近づいた    (7)に      (6)彼      (1)(単)婦人が    (5)持って      (4)石膏の器を  (3)香油の        (2)高価な
		
		
 決定版           trat zu jm ein Weib / das hatte ein glas mit köstlichem Wasser /
 カロフ版       trat zu ihm ein Weib (...)  das hatte ein Glaß mit (...)  köstlichem (...)  Wasser 
 現代版           trat zu ihm eine Frau, die hatte ein Glas mit kostbarem Salböhl
 DRB           There came to him a woman having an alabaster box of precious ointment,
 KJV            There came unto him a woman having an alabaster box of very precious ointment,
 RSV           a woman came up to him with an alabaster jar of very expensive ointment
 TEV           a woman came to him with an alabaster jar filled with an expensive perfume,
 文語訳           ある女、石膏の壺に入りたる貴き香油(においあぶら)を持ちて、近づき来り、
 口語訳           ひとりの女が、高価な香油が入れてある石膏の壺をもってきて、イエスに近寄り、
 新改訳           ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、
 新共同訳       一人の女が、極めて高価な香油の入った石膏の壺を持って近寄り

イエスに香油をかけた「女性」は、マルコ伝,マタイ伝では特定されていないが,ルカ伝ではマグダラのマリアとされ,ヨハネ伝ではラザロとマルタの姉妹のマリアとされている。ヨーロッパでは古来マグダラのマリア説が民間伝承されており、彼女は元売春婦または姦通の罪により離婚された女と言われる。イエスにより罪を許されイエスに付き従って(マリアとはイエスの身の回りの世話をする女性への一般的呼称ともいう説もある。実際に、新約聖書にはイエスの母を初めとして「マリア」という名の女性が数多く登場する。イエスの廻りに少なくとも6人のマリアが出てくる。中には姉妹がマリアという例もあり固有名詞とすれば不自然)いたとされる。いずれにしても、ここでein Weib(中性名詞)を、日本語で「ある女、一人の女」と訳すのはあまり適切ではない。ただ、ここでは話し手が福音史家で、不定冠詞なのでそれほどの違和感はないが、後述するイエスが話す「das Weib」の場合は明らかに不適切である。

決定版、カロフ版のköstlichem Wasserは「貴重な香水」、現代版のkostbarem Salböhlは「高価な香油」の意味だが、バッハの時代には前者も「高価な」と同義に使われたのかもしれない。ギリシャ語、ラテン語では「高価な」と訳されているが、筆者にはどちらが正しいかはわからない。どちらの訳も可能なように思える。しかし、次の文章で、どちらの訳をとるかで、重要な違いが生じる。ここではZPA、YS文語訳が「貴重な」と訳している。聖書ではRSV、KJV、文語訳が「precious、貴き」としている。一般的に古い翻訳は「貴重な」と訳す傾向があるように見える。エレスムス版のためか? 

ドイツ語のtreten zu ihm は、単に「近づく」のとは違って、「歩を運んで彼に近づく」「彼に対して歩み出る」というニュアンスがある。 

Glasは「ガラスで出来た製品一般」の意味から「ガラスで出来た容器」、さらに転じていわゆる日本語でいう「グラス(通常ガラス製だが必ずしもそうとは限らない)」を意味した。これは現在も、ルター、バッハの時代も同様である。TM、RH、YSは《マタイ受難曲》にはない「石膏の」を補っている。ただし、石膏(αλαβαστρον、alabastrum)は、現在では粒状に固化した不透明なものを意味するが、古来その結晶化したものは透明なガラスになり窓にも使われていたので、ルターがGlasと訳したのもあながち間違いとも言えない。「石膏の器」に相当する語はウルガータでは alabastrum で、これは alabaster の対格(英語の目的格に相当)。alabaster は羅英辞典では 「小さな香びん、香料入れ」となっており、羅英辞典では ギリシア語αλαβαστρον 由来、1. a perfume-box  2. a rose-bud となっており、石膏の意味はどこにもありません。ちなみに、Webster's New College Dictionary の alabaster の項には、Old French > Latin: alabaster > Greek: alabastros = vase for perfumes (often made of alabaster), probably Egyptian: a-labaste, vessel of the goddess Bast.」 と記されている。Alabasterがいつごろから不透明な石膏という意味になったのかは筆者にはわからない。

WeibとFrauは時代によりニュアンスは違うが、どちらも婦人、女、妻などの意味に使われる。この文脈では意味は変らないが、現代版ではFrauに訂正されている。新共同訳注解では、この女性の行為は次のように解説されている。「伝承の古い形が確定し難いので、女の突然の行為がどのような動機によるのか推測の域を出ないが、おそらく単純にイエスに対する敬意を表すために彼に油を注いだのであろう。」

しかし、ルターやバッハのこの部分に対する解釈はこれとは違うようである。次に出てくる弟子たちのこの女に対する批判も新共同訳注解は正しい批判であるとしているが、ルター訳からはルターがそう解釈していたとは思えない。


3. MP4d:23-26
D   バッハ     Wozu dienet dieser Unrat?
    直訳         この糞が何の役に立つのか?

   英語版     For what purpose is this wasted?
   ZPA      What end serveth all this nonsense?	
   YS文語    なにゆえにかかる濫費をなすか?
   YS口語    この気違いじみた濫費はなにごとか?
   TM        なんのためにこんなむだ使いをするのか。
   K·M       何のためにこんなむだ使いをするのか?
   RH        なぜ、こんな無駄遣いをするのか。
   TI          そんな無駄遣いをして、何になるのか。
   KT        このつまらぬ行為が何の役に立とう。

マタイ伝26:8
 ギリシャ語   この浪費は何のためか

                        Εις              τι   η        απωλεια     αυτη;
                        (4)ためか      (3)何の      (2)浪費は       (1)この

 ラテン語       この破滅は何のためか

                            ut            quid     perditio      haec
                     (4)ためか   (3)何の  (2)破滅は   (1)この

 決定版           Wo zu dienet dieser vnrat
 カロフ版       Wozu dienet dieser Unrath  / (...)  
 現代版           Wozu dieser Vergeudung?
 RDV           To what purpose is this waste?
 KJV            To what purpose is this waste?
 RSV           Why this waste?
 TEV           Why all this waste?
 文語訳           何故(なにゆえ)かく濫(みだり)なる費(つひえ)をなすか。
 口語訳           なんのためにこんなむだ使をするのか。
 新改訳           何のために、こんなむだなことをするのか。
 新共同訳       なぜ、こんな無駄使いをするのか。
 
ギリシャ聖書を初めとして、決定版、カロフ版とバッハのテキスト以外のすべての聖書、対訳では、弟子たちはマグダラのマリア(と思われる女性)に「むだ使い、浪費」などと、理性的、理論的な批判をしている。新共同訳注解では、マグダラのマリアがしたことは「客観的に見れば、弟子たちが批判するようにむだなことであり、高価な油を売って貧しい人たちに施す方がより広く愛を実行することができる」と解説する。しかし、ルターはこれとは違う解釈をしたと思える。ルター訳聖書(決定版、カロフ版)は「Unrat(糞)」という汚い言葉を使って、弟子たちの批判が決して理性的なものでなく、感情的なものであったことを示す。日本語でも「糞の役にも立たない」という表現がある。「香油、香水」を「Unrat(糞、汚物)」にたとえるのは当時のドイツ語の用法においても、敵意に近い感情的表現である。しかも、8章5節で述べたように、この曲は《マタイ受難曲》で初めて現れるイ短調で書かれている。バッハのイ短調が憎悪、嫌悪を表す最初の合唱である。これはロ短調仮説にとっても重要である。MP45b(イ短調)とMP50b(ロ短調)の伏線となっているからである。ここで聖書に基づいてバッハのテキストを上品に訂正することはほとんど改竄に等しい。

6章で紹介したように、当時のフランクフルトのマイン川にかかる大橋のタワ−内壁には250年間もかけられたユダヤ人を侮辱する壁画があり、「Unrat(糞)」を食べる豚の乳房を吸うユダヤ人の赤子、その豚の背に後ろ向きに跨がり尾を持ちあげて豚の肛門をさらけ出すユダヤ人のラビ、その肛門から落ちる排泄物の下で口を開けて、「Unrat(糞)」を食べようとするユダヤ人男性が描かれていた。当時、ユダヤ人が住むゲットーには「下水道にフタをしてはいけない、風通しのよい窓は作ってはならない」という「不衛生」を強制する規制があり、「Unrat(糞)」は、ユダヤ人差別の象徴でもあった。この文章で、「Unrat」を「むだ使い」と修正することで、「Unrat」からドイツ人が連想する敵意、侮辱、差別意識が伝わってこなくなる。

また、ここではイエスがマグダラのマリアだけには、自分の死が近いことを打ち明けていたことが暗示され、イエスとマリアが親密な関係にあったことが伺える。それを感じた弟子たちが彼女に激しい嫉妬を覚え、憎悪感情を爆発させることになったのであろう。それを象徴するのが、「Unrat(糞)」である。ルター訳と同様にエラスムス版を底本しているウルガ−タ訳は「perditio(破滅、地獄落ち、永罰)」という憎悪を連想させる訳語をあてて、類語の「consumptio(消費、浪費)、consumo(消費する、浪費する、殺害する)、consumptor(消費者、破滅者、破壊者)」を使っていない。しかし、同じくエラスムス版を底本とするKJVも、ウルガ−タから重訳されたRSVも「waste(無駄使い)」になっているので、エラスムス版やウルガータ本に由来するのではなく、ルターが前文のunwillig(憤慨して)に対応して、弟子達の批判を不当なものと解釈して意訳したのであろう。ZPAとKTだけがテキストにやや近い。


4. MP4d:26-33
D   バッハ     Dieses Wasser hätte mögen teuer verkauft und den Armen gegeben werden.
       直訳       この香水は高く売れるだろうから、貧しい人たちに与えればよかったのに。
   英語版     For a goodly sum this ointment might have been sold and been given the poor and needy.
   ZPA      For this ointment might indeed have been sold for much, and the sum to the poor been 
                     given. 
   YS文語   この香水は高き価に売りて、貧しき者に施すことをえたりしものを。
   YS口語  その香油は高く売って貧しい人たちに施せばよかったものを!
   TM        それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに。
   K·M      この油は高く売ることができるのに。そうすれば貧しい人びとに施すことができるのに。
   RH      (無目的語)高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。
   TI         その香油を高く売って、貧乏人に施しでもしたらよかろうに!
   KT        この香水は高く売れるだろう。それを貧しい人たちに与えればいいではないか。

マタイ伝26:9
 ギリシャ語   これは高く売られ、そして貧しい人々に与えられることが可能であった。

                        εδυνατο              γαρ        τουτο        πραθηναι    πολλου    και           δοθηναι                       πτωχοις.
                         (7)可能であった    (8)から    (1)これは    (3)売られ       (2)高く        (4)そして   (6)あたえられることが    (5)貧しい人々に

 ラテン語       なぜなら、それはよほどに売られ、そして貧乏人に与えられえた。

                        potuit          enim            istud           venundari     multo           et              dari               pauperibus	
	(8)〜えた        (1)なぜなら    (2)それは       (4)売られ         (3)よほどに    (5)そして    (7)与えられ      (6)貧乏人に	

 決定版           Dieses wasser hette mocht tewr verkaufft vnd den Armen gegeben werden.
 カロフ版       Dieses Wasser hätte mögen theuer verkaufft / und den Armen gegeben werden.
 現代版           Es hätte teuer verkauft und das Geld den Armen gegeben werden können.
 DRB           For this might have been sold for much, and given to the poor.
 KJV            For this ointment might have been sold for much, and given to the poor.
 RSV           For this ointment might have been sold for a large sum, and given to the poor.
 TEV           This perfume could have been sold for a large amount and the money given to the poor!
 文語訳           之を多くの金に売りて、貧しき者に施すことを得たりしものを
 口語訳           それを高く売って、貧しい人たちに施すことができたのに。
 新改訳           この香油なら、高く売れて、貧乏な人たちに施しができたのに。」
 新共同訳       高く売って、貧しい人々に施すことができたのに。

「貧しい人たちへ与えられる」ものが香水(または香油)そのものか、香水を売ったあとに得られる「現金」なのかというニュアンスに分れる。ルタ−訳現代版、TEV、文語訳はギリシャ語原文にない「Geld」、「sum」、「money」、「金」という単語を使って与えるものが現金であることをはっきりとさせる。 これらは弟子たちが「女を感情的にののしっている」のか、「女のやったことの不合理を理論的に批判している」かの違いを反映する。「糞にたとえられた香水を与える」というのは非合理的であり、弟子達の批判が感情的であったことを意味し、ルターの訳には一貫性がある。「香水を売って得られた多額の現金を与える」という解釈もありうるが、それは合理的であり、弟子達が冷静に批判したことを想像させ、ルターが「Unrat」と使ったことと調和しない。


5. MP4e:36-37
C   バッハ    Was bekümmert ihr das Weib?
       直訳      あなたたちはなぜこの婦人を困らせるのか?

   英語版    Wherefore trouble ye her so?
   ZPA      Why trouble ye so this woman?
   YS文語   [あなたたちは]なんぞこの女を悩ますか?
   YS口語   きみたちはなぜこの女性を困らせるのか?
   TM       [あなたたちは]なぜ、[この]女を困らせるのか。
   K·M        あなたたちはなぜこの女を困らせるのか。
   RH        [あなたたちは]なぜ、この人を困らせるのか。
   TI          [あなたたちは]なぜこの女を悩ますのか、
   KT         あなた方は何故この女の邪魔をするのか。

マタイ伝26:10
 ギリシャ語   何で数々の困難をこの婦人にあなた方はあたえるのか

                       Τι              κοπους                   παρεχετε  τη                              γυναικι;	
                       (1)何で       (2)困難(複)を         (4)あなた方は〜をあたえるのか     (3)この婦人に

 ラテン語       何であなた方はこの婦人(妻)にとっての数々の難儀になるのか

                        quid         molesti              estis                                   mulieri	
                            (1)何で        (3)難儀(複)   (4)(あなた方は)になるか     (2)この婦人(妻)に(とって)

 決定版            Was bekümmert jr das weib
 カロフ版        Was bekümmert ihr das Weib?
 現代版            Was betrübt ihr die Frau?
 DRB           Why do you trouble this woman?
 KJV            Why trouble ye the woman?
 RSV            Why do you trouble the woman?
 TEV            Why are you bothering this woman?
 文語訳            [汝らは]何ぞこの女を悩ますか、
 口語訳             [あなたたちは]なぜ、[この]女を困らせるのか。
 新改訳             [あなたたちは]なぜ、この女を困らせるのです。
 新共同訳         [あなたたちは]なぜ、この人を困らせるのか。

決定版と現代版はbekümmern、betrübenという別の動詞をあてている。両者はともに「悲しませる」の意味だが、前者の方には否定文、疑問文では「かかわる」、「煩らわせる」の意味がある。現代日本語訳聖書、日本語対訳のほとんどが「困らせる」としている。「悲しませる」という訳でもよいと思うが、YSが文語訳聖書からとり、そのYS文語訳をベ−スにしたTI対訳も「悩ます」をあてている。ギリシャ語原文、ウルガ−タでは「困難」が名詞の複数形になっており、その場にいたイエスの弟子たちの一人ではなく、大勢または全員が彼女への非難を合唱した様子がうかがえる。集団的な「いじめ」行為だったのだろう。弟子たちのマグダラのマリアへの憎悪の激しさは、彼女だけがイエスから、彼の死が近いことを知らされていたこと、弟子たちがイエスを巡ってマリアへ強い嫉妬を感じていたらしいことを伺わせる。

実際に、マグダラのマリアはイエスと特別な関係にあった女性、あるいは妻であったという民間伝承がヨーロッパの歴史にはあった。ここで、日本語聖書にならって「この女」と訳すのは、福音史家ではなく、イエス自身が彼女を蔑んでいた印象を与える。文法的な間違いではないが、「この女」と訳すのは適正ではない。ギリシャ語のγυνη、ラテン語のmulierには婦人と妻の両方の意味があり、決定版/カロフ版のWeibも同様である。現在ではWeibにも蔑みを込めた用法が口語ではあるが、イエスが彼女を蔑んでいたと、バッハが考えていたとは思えない。新共同訳にならって「この人」とするのは苦心の訳だが、Weibが中性名詞とはいえ、人と訳すのはやはりおかしい。日本語で、「この人」には蔑みの意味がなく、「この女」だとあるということがおかしいと言えばいえる。


6. MP4e:41-44
D   バッハ     Daß sie dies Wasser hat auf meinen Leib gegossen, hat sie getan, daß man mich begraben   
                       wird.
     直訳        彼女が私の体に香水を注いだのは、人が私を葬るだろうということだ。

   英語版     For in that she hath poured this ointment on my body, she hath done that I may be 
                      buried so.
   ZPA      That she hath poured this ointment over my body hath she done because I am to be buried. 
   YS文語   この女の、わが体に香油を注ぎくれしは、わが葬りの備えをなせるなり。
   YS口語   この女が私の体にこうして香油を注いだのは、私の葬りの準備をしてくれたのだ。
   TM        この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
   K·M       この女が私のからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
   RH        この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。
   TI          この女が私の体に香油を注いでくれたのは、私の埋葬への備えなのだ。
   KT        彼女がこの香水を私の身体に注いでくれたのは、私の埋葬の準備をしてくれたのだ。

マタイ伝26:12
 ギリシャ語   この婦人が私のからだにこの香油を注ぎ、私の葬りの備えをしたのだ

                        βαλουσα    γαρ           αυτη   το         μυρον        τουτο     επι      του    σωματος    μου        προς   το
	(7)注ぎ           (12)から     (1)この婦人が     (6)香油を      (5)この     (4)に                (3)からだ       (2)私の    (10)ために
                               ενταφιασαι               με               εποιησεν.
                               (9)葬りの備えをする     (8)私の          (11)したのだ

 ラテン語      この女性が私のからだにこの香油を注いだというのは私の葬り(のため)にした

                    Mittens       enim                  haec	                                 unguentum   hoc        in        corpus         meum
                      (7)注いだ      (8)〜というのは    (1)この人(女性)が     (6)香油を       (5)この	  (4)に   (3)からだ        (2)私の
                                     ad            sepeliendum    me           fecit
          (11)に        (10)葬り              (9)私の        (12)した	

 決定版            Das sie dis wasser hat auff meinen Leib gegossen / hat sie gethan / das ‖man mich 
                       begraben wird.
 カロフ版      Daß sie dis Wasser hat auf meinen Leib gegossen / hat sie (...)  gethan / daß man mich (...) 
        begraben wird (...).
 現代版           Daß sie das Öl auf meinen Leib gegossen hat, daß hat sie für mein  Begräbnis getan.
 DRB           For she in pouring this ointment upon my body, hath done it for my burial.
 KJV            For in that she hath pouted this ointment on my body, she did it for my burial.
 RSV            In pouring this ointment on my body she has done it to prepare me for burial.
 TEV            What she did was to pour this perfume on my body to get me ready for burial.
 文語訳            この女の我が體に香油を注ぎしは、わが葬りの備をなせるなり。
 口語訳            この女がわたしのからだにこの香油を注いだのは、わたしの葬りの用意をするためである。
 新改訳            この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。
 新共同訳        この人はわたしの体に香油を注いで、わたしを葬る準備をしてくれた。

多くの聖書、対訳でギリシャ語正文に基づき「葬りの備え、埋葬の準備」などが訳出されているが、ラテン語、ドイツ語、英語訳聖書では「備え」にあたる語はない。バッハのテキストでも同様である。マグダラのマリアがイエスに香油をかける行為は、決定版、カロフ版、現代版とバッハのテキストでは「イエスが誰かに殺される(葬られる)ことを弟子たちに知らせようとした」ともとれる。では、「イエスを葬る」のは誰かという疑問がでてくる。決定版では主語はmanとあり、文法的にはこれは不特定の人を示すので、彼女が葬る可能性もないことはないが、彼女ではなく他の誰かである可能性もある。ギリシャ語も、他の訳もそれを示していない。ルター訳を使ったバッハは、「『イエスが誰かに殺されること、そして、イエス自身がそれを知っており、その死を受け入れる覚悟をしている』ことを彼女が知っている」ということを示している。つまり、彼女は「イエスを葬る準備をした」のではなく、「香油をかけることで、十字架の死へと向かうイエスの覚悟を知らせようとした」、または「彼女はイエスから死の覚悟を密かに打ち明けられていて、それを知らずに能天気に振る舞う弟子たちにイエスが死ぬかもしれないことを示して、弟子たちにイエスを止めてもらい、救って欲しい」と暗に示したのかもしれないという設定になっている。現代版は、für mein  Begräbnis(私の埋葬のために)と、ギリシャ語に近くルターを修正している。イエスは、ここでマグダラのマリアを「sie(彼女は)」という代名詞で呼ぶ。多くの日本語対訳は日本語聖書にならって、見下した表現で「この女」としている 。


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