(5) MP24:11-15, MP26:10-11, MP26:29-32, MP28:1-5, MP28:18-21, MP28:21-24, MP31:11-16/
        33:1-3, MP33:6-11, MP36a:1-2, MP36a:6-7

20.  MP24:11-15
D バッハ  Mein Vater, ists nicht möglich, daß dieser Kelch von mir gehe, ich trinke ihn denn, so geschehe dein Wille.
   直訳  わが父よ、このさかずきが私から去ることが可能でないなら、その時は私はそれを飲みます、そうすれば(私が)あなたの望みを適えます。

  英語版   My Father, if it must be that this cup pass not from me, except I shall drink it, let Thy will then be done.
  ZPA     My Father, if it cannot be that this cup pass from me, unless I have drunk it, then let thy will be done.
  YS文語  わが父よ、この杯、われ飲までは去りがたしとならば、汝の御心を成らせたまえ。
  YS口語  わが父よ、この杯、是が非でも私に飲めとの思し召しならば、どうかあなたの御心がなりますように。
  TM       わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように。
  K·M      わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように。
  RH        父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。
  TI         父よ、私が飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのであれば、御旨が行われますように。
  KT      我が父よ、この盃を私から去らせる事が可能でないのなら、私はそれを飲む事にいたします。あなたの御心が成るために。

マタイ伝26:42
ギリシャ語 わが父よ、それを私が飲まなくては、これ[この杯]が過ぎ去ることかなわぬなら、あなたの望みが成りますように。

                       Πατερ  μου,       ει  ου     δυναται       τουτο         παρελθειν               εαν
                  (2)父よ (1)私の   (9)なら   (8)出来ない  (6)これが   (7)過ぎ去ることが   (5)ては
                           μη     αυτο          πιω,                     γενηθητω  το      θελημα         σου.
                           (4)-    (3)それを   (4)私が飲まなく   (12)成るように   (11)意志が    (10)あなたの

ラテン語  わが父よ、私が飲む以外に、この杯が過ぎ去ること出来ぬなら、あなたの望みがかなうでしょう。

                         Pater  mi       si       non     potest   hic       calyx    transire
                   (2)父よ  (1)私の   (10)なら (9)ない   (8)出来     (5)この   (6)杯が    (7)通過(する)
                            nisi       bibam       illum        fiat                  voluntas    tua
                            (4)以外に  (3)私が飲む   (13)それに   (14)成るでしょう   (12)意志が     (11)あなたの	

決定版    Mein Vater Jsts nicht müglich / das dieser Kelch von mir gehe / Jch trinke jn denn / so  
                             geschehe dein wille.
カロフ版   Mein Vater ists nicht müglich / daß dieser Kelch von mir gehe / ich trinke ihn denn / so 
                             geschehe dein Wille.
現代版          Mein Vater, ist's nicht möglich, daß dieser Kelch an mir vorübergehe, ohne daß ich ihn trinke, 
                             so geschehe dein Wille!
DRB        My father, if this chalice may not pass away, but I must drink it, thy will be done.
KJV           O my father, if this cup may not pass away from me, except I drink it, thy will be done.
RSV           My Father, if this cannot pass unless I drink it, thy will be done.
TEV           My Father, if this cup of suffering cannot be taken away unless I drink it, your will be done.
文語訳        わが父よ、この酒杯(さかづき)もし我飲までは過ぎ去りがたくば、御意(みこころ)のままに成し給ヘ
口語訳        わが父よ、この杯を飲むほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように。
新改訳        わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってくださ
                               い。
新共同訳     父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯(さかずき)が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心(みこころ)が
                                行われますように。

ゲッセマネの第二の祈りである。ルター訳聖書(決定版、カロフ版)と、それを使ったバッハテキストは、ギリシャ語を初め、ほとんど全ての聖書と重大な違いがある。それは現代ドイツ語訳では訂正されている。

決定版とカロフ版、そしてバッハテキストでは、仮定されているのは「(毒)杯が私から去らないなら」であり、「私が毒杯を飲まないなら」ではない。他の聖書では、「私がそれを飲まないかぎり」、「私はそれを飲まなくてはならないなら」、「私がそれを飲む以外には」など、毒杯を飲むことは神の意思として求められているとされており、イエスは飲むことをなかば強制されたかのように読める。毒杯を飲む事はイエスの自由意志ではなく、神の望みをかなえる主体もイエスではない。それは、神自身の意思である。

この点は、エラスムス版から訳されたウルガ−タ本も、KJVも同様なので、エラスムス版から訳したというルターの誤訳なのであろうか。

いずれにしても、バッハは、ルター訳のテキストを使っており、ここをギリシャ語聖書に基づいた現代語訳聖書に従って訂正して訳すと、結果的にバッハテキストの改ざんになる。

イエスはこの祈りで、自発的に「神の子羊」となる決意を表明する。それは、神によって強いられた不本意な選択ではない。イエスの決意とは、人々の罪を背負った子羊として身代わりに死ぬという究極の愛の意志であり、この祈りがロ短調で書かれたことが、《マタイ受難曲》全体を貫くバッハの思想的原点となっている。そして、2章で明らかにしたように、その思想は《マタイ受難曲》以降のバッハの生涯をかけて発展していくのである。

ギリシャ語には「過ぎ去る」の主語は代名詞「τουτο(これが)」であり、「杯(ποτηριον)」という主語はない。RSVを除いてウルガータを含む全ての聖書に「杯」があるのは何故だろうか。正文批判を踏まえて訳されたはずの現代語訳聖書でさえギリシャ語聖書と違うというのは不可解である。ちなみに、フランス語聖書も同様である(Mon Père, si cette coupe ne peut pas être enlevée sans que je la boive, que ta volonté soit faitre!)。


21. MP26:10-11
D  バッハ  Siehe, die Stunde ist hie, daß des Menschen Sohn in der Sünder Hände überantwortet wird.
    直訳     見なさい、人の子が罪人たちの手に渡される、その時が来た。

   英語版   See ye,  the hour is at hand, and the son of Men to the hands of sinners now shall be 
                             betrayed.
   ZPA      Lo now, the hour has come when the Son of man is delivered over to the hands of sinners.
   YS文語  見よ、時は近づきぬ。人の子は罪人らの手に渡さるるなり。
   YS口語   見たまえ、人の子が罪びとたちの手に引き渡される時が来たのだ。
   TM        見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
   K·M       見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。
   RH        時が近づいた。人の子は罪人たちの手に渡される。
   TI          見なさい、時が来た。人の子は罪人たちの手に渡されるのだ。
   KT         見よ、時が来た。人の子が罪人たちの手に引き渡されるのだ。

マタイ伝26:45 
ギリシャ語  見よ、時は近づいた。そして、そこで人の子は罪人らの手に渡される。

      ιδου         ηγγικεν  η     ωρα      και  ο        υιος         του           ανθρωπου
	(1)見よ   (3)近づいた   (2)時は  (4)そして  (5)そこで  (7)子は     (6)人の
                            παραδιδοται   εισ        χειρας           αμαρτωλων.
                            (11)渡される   (10)に   (9)手(複)   (8)罪人らの

ラテン語   見よ、時は近づいた。そして、人の子は罪人らの手に渡される。

                  ecce      adpropinquavit  hora     et           Filius      hominis   traditur
                   (1)見よ      (3)近づいた                  (2)時は     (4)そして   (6)息子は    (5)人の        (10)渡される
                             in      manus      peccatorum
                                   (9)に    (8)手(複)   (7)罪人らの

決定版      Sihe / die stunde ist hie / das des menschen Son in der Sünder hende vberantwortet wird.
カロフ      Sihe die Stunde ist hie daß des Menschen Son in der Sünder Hände überantwortet wird.
現代版      Siehe, die Stunde ist da, daß der Menschensohn in die Hände der Sünder überantwortet wird.
DRB         behold the hour is at hand, and the Son of man shall be betrayed into the hands of sinners.
KJV         behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners.
RSV         Behold, the hour is at hand, and the Son of man is betrayed into the hands of sinners.
TEV         Look! The hour has come for the Son of Man to be handed over to the power of sinful men.
文語訳      視よ、時近づけり、人の子は罪人らの手に付(わた)さるるなり。
口語訳      見よ、時が迫った。人の子は罪人(つみびと)らの手に渡されるのだ。
新改訳      見なさい。時が来ました。人の子は罪人たちの手に渡されるのです。
新共同訳    時が近づいた。人の子は罪人(つみびと)たちの手に引き渡される。

MP9c:18-20(マタイ伝26:18)の「Meine Zeit ist hie」と同様に、「その時が(すでに)来た」のか「その時が迫っている」のかが決定版、カロフ版と現代版で異なる。バッハは決定版に従って「die Stunde ist hie(その時が来た)」としているが、英語、日本語訳聖書ではTEVを除きギリシャ語に合わせて「at hand」、「近づいた」と訳している。聖書学的にはこのほうが正しい。

ギリシャ語の「ηγγικεν」 は「εγγιζω (近くに来る、近くにいる)」の三人称単数、現在完了形で、決定版の「hie(ここ)」ではなく現代版の「da(そこ)」が近い。

もう一つの違いは「時」の意味である。ギリシャ語は明示していないが、ドイツ語訳聖書では決定版、カロフ版、現代版ともに、関係代名詞の「das(daß)」を使って「人の子が罪人の手に渡されるその時」と限定している。そのうえで、現代版は「hie」を「da」に変えてギリシャ語正文とルター訳の間で妥協している。


22. MP26:29-32
D  バッハ  Jesus aber sprach zu ihm: Mein Freund, warum ist du kommen?
    直訳      しかし、イエスは彼に言った。「わが友よ、あなたはなぜ来たのか?」

   英語版    Jesus spoke and said to Him: My friend, wherefore art thou come here?
   ZPA       Jesus, though, said to him: My friend, wherefore art thou come here? 
   YS文語   イエスこれに言いたもう、友よなにゆえ来たりしや?
   YS口語  するとイエスは彼に言われた。わが友よ、きみの役を果たしにやって来たのか?
   TM        しかし、イエスは彼に言われた。友よ、なんのためにきたのか。
   K·M       しかし、イエスは彼に言われた。友よ、何のためにきたのか。
   RH        イエスは[彼に]言われた。「友よ、あなたはなぜ来たのか」
   TI          しかし、イエスはユダに言った。友よ、なぜ来たのだ。
   KT         しかしイエスは彼に言った、我が友よ、あなたは何故きたのか。

マタイ伝26:50
ギリシャ語 しかし、イエスは彼に言った。友よあなたが来た目的をするが良い。

                   ο   δε        Ιησους       ειπεν        αυτω,      Εταιρε,    εφ      ο
                         (1)しかし  (2)イエスは (4)言った  (3)彼に   (5)友よ     (7)目的(をするがよい
                                 παρει.
                                 (6)あなたが来た

ラテン語  イエスはそれで、彼に親しく言った。あなたは何のために現れたのか。

           dixitque           illi        Iesus       amice     ad               quod	
                    (2,5)それで〜言った   (3)彼に   (1)イエスは  (4)親しく   (8)〜のために   (7)何	
	         venisti
                                   (6,9)あなたは〜現れたのか

決定版      Jhesus aber sprach zu jm / Mein Freund / Warumb bistu komen?
カロフ版 JEsus aber sprach zu jm: Mein Freund (...)  warumb bistu komen
現代版      Jesus aber sprach zu ihm: Mein Freund, dazu bist du gekommen?
DRB         And Jesus said to him: Friend, whereto art thou come?
KJV          And Jesus said unto him, Friend, wherefore art thou come?
RSV         Jesus said to him, "Friend, why are you here?”
TEV         Jesus ansered, "Be quick about it, friend!"
文語訳      イエス[彼に]言ひたまふ『友よ,何とて來る』
口語訳      しかし,イエスは彼に言われた、「友よなんのためにきたのか」。
新改訳      イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか。」と言われた。
新共同訳   イエスは、「友よ、しょうとしていることをするがよい」と[彼に]言われた。

バッハは決定版、カロフ版の通り、「Mein Freund, warum ist du kommen?(我が友よ、あなたはなぜ来たのか?)」としている。現代版はギリシャ語に沿って修正し、「: Mein Freund, dazu bist du gekommen?(わが友よ、あなたはそのために〔接吻するために、裏切るために〕来たのか)」としている。ギリシャ語では「友よ(Εταιρε)」以下の文で動詞が省略されていて、新共同訳注解によれば確定的な解釈はないという。英語、日本語の現代語訳聖書もわかれている。岩隈直は次のような解釈を紹介している。(1)「君がそのために来ている(ところの)ことを」のあとに「せよ」という命令形の動詞を補う、(2)「君がここに来ている目的のために」のあとに「わたしに接吻するのか?」を補う、(3)「君が捕えに来た者を捕えよ」、(4)「君は何のために来ているのか」、(5)「君はこのため(接吻するため)にきたのか」の五つである。RSVは異読として(1)説の"Do that for which you have come."を紹介しており、TEVは(4)説の"Why are you here, friend?"を紹介している。
決定版、カロフ版、バッハテキストは(4)説に基づいている。


23. MP28:1-5
A  バッハ  Und siehe, einer aus denen, die mit Jesu waren, rekkete die Hand aus, [und zoch sein Schwert]
                         und schlug des Hohenpriesters Knecht und hieb ihm ein Ohr ab.
    直訳     すると見よ、イエスと一緒にいた者たちの一人がその手を伸ばして[剣を抜き]、大祭司の下僕に打ちか
                         かって、彼の一方の耳をそぎ落とした。

   英語版  Behold then, one of His disciples, which were there with Jesus, drew his sword and striking he 
                         smote the high priest's serving man, and cut the man's ear off.
   ZPA     And lo now, one of that number, who were there with Jesus, did stretch out his hand then and 
                         struck the slave of the chief priest and cut off his ear.
   YS文語 見よ、イエスと共にありし者のひとり、手を伸べ剣を抜きて、大祭司の下僕に斬りつけ、その片耳をそぎ
                        落とせり。
   YS口語 すると見よ、イエスと共にいた仲間のひとりが、とっさに手を伸ばして剣を抜き、大祭司の下僕に斬りつ
                        け、その片耳を切落とした。
   TM      すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかって、
                        その片耳を切り落とした。
   K·M     すると見よ、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、そして大祭司の僕に切りかかっ
                        て、その片耳を切り落した。
   RH      イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣を抜き、大祭司の手下に打ちかかって、片方の耳を切
                        落とした。
   TI       すると見よ、イエスと一緒にいた者のひとりが、手をのばして大祭司の下僕に切りつけ、耳をそぎ落とし
                        た。
   KT     そして見よ、イエスとともに居た者たちが一人、手を伸ばして大祭司の下僕を打ち、その耳を切った。


マタイ伝26:51
ギリシャ語 すると、見よ。イエスとともに居た者らの一人がのば手をして、彼の剣を抜いた、そして祭司長の奴隷
                            を打って彼の耳を切り落とした。

                         και             ιδου      εισ των      μετα                       Ιησου           εκτεινας      την   χειρα
                   (1)すると   (2)見よ  (5)一人が   (4)共に居た者らの   (3)イエスと  (7)のばして  (6)手を
	            απεσπασεν την    μαχαιραν   αυτου     και                παταξας      τον  δουλον  του	αρχιερεως
                             (10)抜いた          (9)剣を      (8)彼の    (11)そして    (14)打って   (13)奴隷を   (12)祭司長の
                             αφειλεν                 αυτου           το     ωτιον.
                                (17)切り落とした   (15)彼の       (16)耳を

ラテン語  すると、見よ。イエスと一緒にいたこれらの人々の中の一人が手をのばして彼の剣をとりだし、そして
                            上級祭司の奴隷を打って、彼の耳を切り取った。

                   Et  ecce     unus       ex          his                qui                erant    cum           Iesu
                   (1)すると見よ  (9)一人が    (8)の中の     (7)これらの人々   (6)〜ところの    (5)いた       (4)と一緒に     (3)イエス
                             extendens  manum   exemit        gladium  suum                    et            percutiens
                                   (11)のばして  (10)手を      (14)とりだし   (13)剣を    (12)彼のもの(である) (15)そして   (19)打って
                             servum    principis  sacerdotum  amputavit      auriculam  eius
                                (18)奴隷を   (16)上級の   (17)祭司の         (22)切り取った    (21)耳を       (20)彼の

決定版    Vnd sihe / Einer aus denen / die mit Jhesu waren recket die hand aus / vnd zoch sein Schwert   
                    aus vnd schlug des Hohenpriesters Knecht / vnd hieb jm ein Ohr ab.
カロフ版 Und sihe / einer aus denen (...) die umb [ママ] JEsu waren (...) recket die hand aus / und zog sein   
                    Schwerdt aus / und schlug des Hohen Priesters knecht / vnd hieb jm ein Ohr ab (...) 
現代版    Und siehe, einer von denen, die bei Jesus waren, streckte die Hand aus und zog sein Schwert 
                    und schlug nach dem Knecht des Hohenpriesters und hieb ihm ein Ohr ab.
DRB      And behold one of them that were with Jesus, stretching forth his hand, drew out his sword: and 
                    striking the servant of the high priest, cut off his ear.
KJV       And, behold, one of them which were with Jesus stretched out his hand, and drew his sword, 
                    and struck a servant of the high priest, and smote off his ear.
RSV       And behold, one of those who were with Jesus stretched out his hand and drew his sword, and 
                    struck the slave of the high priest, and cut off his ear.
TEV       One of those who were with Jesus drew his sword and struck at the High Priest's slave, cutting 
                    off his ear.
文語訳    視よ、イエスと偕(とも)にありし者のひとり、手をのべ剣(つるぎ)を抜きて、大祭司の僕(しもべ)を
                    うちてその耳を切り落とせり。
口語訳    すると、イエスと一緒にいた者のひとりが、手を伸ばし剣を抜き、そして大祭司の僕(しもべ)に切りか
                     かって、その片耳を切り落とした。
新改訳    すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣(つるぎ)を抜き、第祭司のしもべに
                     撃ってかかり、その耳を切り落とした。
新共同訳 そのとき、イエスと一緒にいた者の一人が、手を伸ばして剣(つるぎ)を抜き、大祭司の手下に打ちか
                     かって、片方の耳を切り落とした。

MP24:3で「zu Petro」が「zu ihnen」に書き換えられた箇所に対応している削除である。バッハテキストがすべての聖書と違っている最重要個所の一つである。これら二カ所の変更は、筆頭弟子としてのペテロ、あるいは教会の権威を象徴するペテロの否定を意味する。

マタイ伝26:51では、ユダに先導されたやってきた大祭司の奴隷たちによってイエスが捕縛されるときに、イエスの側にいた一人が、「剣を抜いて(und zog sein Schwert aus)」奴隷の一人の片方の耳を切り落としたとあるが、ヨハネ伝18:10は、この勇気ある弟子がペテロだったとしている。しかし、バッハはこの「剣を抜いて」を削除することで「ペテロの勇気」を否定している。

すでに述べたように、アルトニコル筆写譜として残る初稿譜では、MP24:3は聖書のままに「zu Petro」とのままであるが、ここの「剣を抜いて」は、すでに初稿譜の段階で削除されている(7章2節の表3参照)。「aus und zog sein Schwerd aus und schlug 」と、「aus und」が、近接して二回繰り返されるので、あたかも一度目の「aus」から二度目の「und」に目が飛んで写し間違えたようにも見えるので、この段階であれば単なる不注意という弁解の余地を残している。しかし、完成稿で「Petro→ihnen」と変更したことで、教会からバッハへの憤慨は決定的になったに違いない。完成稿(1736)の3年後に受難曲演奏禁止処分を受けたのも当然である。この処分理由は明らかにされていないが、バッハの反論は残っている。それによれば歌詞に問題があったことをバッハが自覚していたと伺える内容がある。

「剣を抜き」が削除されている以上は、それに続く「schlagen」と「abhauen」を「切りかかる」、「切り落とす」と訳すのは不自然である。


24. MP28:18-21
C  バッハ   Ihr seid ausgegangen als zu einem Mörder, mit Schwerten und mit Stangen, mich zu fahen;
  直訳        あなたたちはまるで殺人犯にでも対するように、剣を持ち、棒を持って私を捕えに出て来た。

   英語版   Are ye come out here as if against a robber, with swords and with staves, that ye may take 
                      me?
   ZPA      Ye are now come forward as against a murderer, with swords and with clubs now to take me;
   YS文語   汝らは人殺しを追うがごとく、剣と警棒をたずさえ、われを捕えんとて出で来たるか。
   YS口語   きみたちは強盗殺人犯を追うように、剣と警棒をもって私を捕まえにやって来たのか。
   TM         あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。
   K·M        あなたがたは人殺しにむかうように、剣や棒をもってわたしを捕えにきたのか。
   RH         まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕えにきたのか。
   TI           お前たちは人殺しに向かうように、剣と棒をもって私を捕えにきた。
   KT          あなた達は殺人犯でもとらえるようなつもりで、剣と棒を持って私をつかまえに出て来たのか。


マタイ伝26:55
ギリシャ語  私を捕らえるために、強盗に対するように剣と棒とをもってあなた方は出て来たのか。

                 Ως            επι             ληστην      εξηλθατε                                μετα           μαχαιρων   και       ξυλων
                       (5)ように   (4)対する   (3)強盗に     (10)あなた方は出て来たのか	   (9)もって  (6)剣(複) (7)と    (8)棒(複)とを
                            συλλαβειν             με
                          (2)捕えるために     (1)私を

ラテン語     私を捕らえるために、強盗に対するように剣と棒とをもってあなた方は出て来たのか。

              tamquam    ad          latronem   existis                         cum       gladiis    et      fustibus 
                     (5)ように        (4)対する    (3)強盗に      (10)あなた方は出て来たのか  (9)もって   (6)剣(複) (7)と   (8)棒(複)を
                         conprehendere   me
                              (2)捕えるために        (1)私を

決定版  Jr seid ausgangen / als zu einem Mörder mit schwerten vnd mit stangen / mich zu fahen /
カロフ版    Ihr seid ausgangen als zu einem Mörder / mit Schwerdten (...) und mit Stangen / mich zu 
                    fahen:
現代版     Ihr seid ausgezogen wie gegen einen Räuber mit Schwerten und mit Stangen, mich zu 
                    fangen.
RDB         You are come out as it were to a robber with swords and clubs to apprehend me.
KJV          Are ye come out as against a thief with swords and staves for to take me?
RSV         Have you come out as against a robber, with swords and clubs to capture me?
TEV         Did you have to come with swords and clubs to capture me, as though I were an outlaw?
文語訳      なんぢら強盗に向かふごとく剣と棒とをもち、我を捕へんとて出で来るか。
口語訳      あなたがたは強盗にむかうように、剣や棒を持ってわたしを捕えにきたのか。
新改訳      まるで強盗にでも向かうように、剣(剣)や棒を持ってわたしをつかまえにきたのですか。
新共同訳  まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。

ギリシャ語では「ληστην(強盗に)」とあるが、ルターは「 Mörder(人殺し、殺人者)」と訳した。現代版は「Räuber(強盗)」と訂正している。英語訳聖書は「thief(盗人)」、「 robber(強盗)」、「outlaw(無法者)」となっている。日本語訳聖書はすべて「強盗」に統一され、聖書に合わせた対訳はバッハの改竄となる。


25. MP28:21-24
A  バッハ  bin ich doch täglich bei euch gesessen und habe gelehret im Tempel, und ihr habt mich nicht 
                       gegriffen.
   直訳      私は毎日、まさにあなた達のそばに座って、寺院で教えていたが、あなた達は私を捕まえはしなかった。

   英語版  for have I not daily mingled with you and daily have taught in the temple, yet laid you not hold 
                      upon me.
   ZPA     but I have daily been sitting with you and have been there teaching in the temple, and ye did 
                      not ever seize me.
   YS文語 われは日々汝らの中に座し、神殿にて教えいたりしに、汝らわれを捕えざりき。
   YS口語 日ごと私はきみたちのもとにあって、神殿で教えていたのに、私を捕まえはしなかった。
   TM      わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。
   K·M     わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。
   RH      わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなた方はわたしをとらえなかった。
   TI        私は毎日お前たちのそばに座り、神殿で教えていたが、お前たちは私を捕らえなかった。
   KT      私は毎日あなた達のところで座り、神殿で教えていたではないか。しかもあなた達は私をつかまえなかっ
                      た。

マタイ伝26:55
 ギリシャ語  毎日、神殿で私は座って教えていたが、あなた方は私を捕らえなかった
 
                 καθ ημεραν  εν  τω   ιερω      εκαθεζομην   διδασκων        και   ουκ εκρατησατε                       με.	
                        (1)毎日         (3)で    (2)神殿  (4)私は座って (5)教えていた  (6)そして (8)-  (8)あなた方は捕らえなかった (7)私

 ラテン語  毎日、神殿の中で、あなた方のそばで教授し、座っていたが、あなた方は私を捕らえはしなかった

      cotidie  apud         vos             sedebam            docens     in            templo  et       non   
	(1)毎日  (5)〜のそばに (4)あなたがた  (7)私は座ったものだ  (6)教授しつつ (3)〜の中で (2)神殿 (8)そして (11)なかった
                             me      tenuistis
                               (9)私を   (10)あなたがたは捕らえはし

 決定版     Bin ich doch teglich gesessen bey euch / vnd habe geleret im Tempel / vnd jr habt mich nicht 
                  gegriffen.
 カロフ版  Bin ich doch täglich gesessen bey euch / und habe gelehret im Tempel / und ihr habet mich 
                  nicht gegriffen (...) 
 現代版     Habe ich doch täglich im Tempel gesessen und gelehrt, und ihr habt mich nicht ergriffen.
 DRB        I sat daily with you, teaching in the temple, and you laid not hands on me.
 KJV      I sat daily with you teaching in the temple, and ye laid no hold on me.
 RSV     Day after day I sat in the temple teaching, and you did not seize me.
 TEV     Every day I sat down and taught in the Temple, and you did not arrest me.
 文語訳   我は日々宮に座して教えたりしに、汝ら我を捕へざりき。
 口語訳   わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、わたしをつかまえはしなかった。
 新改訳   わたしは毎日、宮ですわって教えていたのに、あなたがたは、わたしをとらえなかったのです。
 新共同訳 わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなた方はわたしを捕らえなかった。

ヨハネ伝ではイエスを逮捕に来たのはロ−マ兵(18:3)とされているが、マタイ伝では直接には記述されていない。ただし、祭司長、民の長老たちから送られた群衆とある(26:47)のでユダヤ人であると暗示している。しかし、決定版で「bey euch(あなた達のそばに)… im Tempel(神殿の中で)」とあるので、逮捕に来たのはユダヤ人ということになる。なぜなら、ロ−マ兵はユダヤ教の神殿には入れないからである。ただし、事実は多少複雑で、当時のローマ兵はユダヤ人が奴隷兵として採用されていたとバッハの時代のドイツ人達は信じていたらしい(例えばブロッケス受難詞)。これは史実としては間違っており、ユダヤ人がローマ兵になることはなかった。

いずれにしても、このパッセージは、イエスが語っている相手が、ローマ人ではなくユダヤ人であることを示している。いわば、ここでもヨハネ伝の否定的引用が見られるのである。しかもバッハは「gesessen bey euch」→「bei euch gesessen」と、語順を逆にして「あなた達のそばに」を前に出して強調している。

新共同訳注解によればマルコ伝をベースに書かれたマタイ伝は一般に「あなたたち」、「わたし」などのマルコ伝にはない代名詞を加筆している例が多く、そのために話者の思いが強く表れるという。しかし、この「bey euch」にあたる語はギリシャ語聖書にはない。ウルガータ本には「apud vos(あなた方のそばに)」とあるので、エラスムス版に由来するのかもしれない。RDV、KJVには「with you(あなた方と一緒に)」とある。KJVはそのほとんどがウィリアム・ティンダルの英語訳聖書(1526)に由来し、ティンダル訳聖書はウルガータ本からの重訳ではなく、エラスムス版のギリシャ語聖書から直接訳された最初の聖書ということなので、「with you」はエラスムス版に由来するのであろう。現代版ではネストレ=アーラント版のギリシャ語原文に沿って、この語句は削除されており、他の現代訳聖書にもない。バッハはここで、決定版とも、カロフ版とも違って、bei euchをgesessenの前に置いている。これはデュルによれば、当時、バッハが利用可能な全てのドイツ語聖書にない変更であるという。ルター訳よりもさらに「あなたたちのそばに」を強調するのは、自らを死に追いやる者らへの、イエスからの「普遍的な愛」を表現している《マタイ受難曲》の思想と合致する。ここで、バッハがわざわざ聖書から離れて強調している「あなた達のそばで」を訳出しないのは、バッハテキストの改竄であると言われても仕方ない。

ドイツ語の「bei」が人名または人称代名詞の前につくと「〜のもとで、〜のところで」と訳すのは不可能ではない。例えば、A氏の家にB氏が訪れて来ているとき、A氏が偶然、電話に出られない状況で電話がかかり、A氏に頼まれてB氏が代わって電話に出る時には、B氏は「(Ich bin) B bei A」と答える。しかし、ここは神殿の中であり、「〜のそばで(に)」のほうがよいだろう。


26. MP31:11-16〜33:1-3
D  バッハ   31Die Hohenpriester aber und Ältesten und der ganze Rat suchten falsche Zeugnis wider Jesum, auf daß sie ihn töteten, und funden keines. 33Und wiewohl viel falsche Zeugen herzutraten, funden sie doch keins.
   直訳     31また祭司長たちと長老たち、そして全議会がイエスを殺すためにあちこちで彼に対する偽りの証言を探し求めたが何も見つけられなかった。33そして、多くの偽証人たちが進み出たにもかかわらず、彼らはやはり何も見つけられなかった。

  英語版   31The chief priests then, and all of the elders, too, and the  [whole] council sought lying witnesses accusing Jesus, that He might be put to death, yet found they no one. 33Yea, tho' many lying witnesses were offered, they [still] could find them none.
   ZPA    31The chief priests, though, and also the elders and the whole assembly sought untrue witness against Jesus in order to kill him, and they did find none. 33And although there came there many false witnesses, they still did find none. 
   YS文語  31祭司長らと長老らと全議会、イエスを死に定めんとて、偽りの証拠を求めたれども[何も]得ず。33また多くの偽証者ら立ち出でたれども、なお[何も]証拠を得ざりき。
   YS口語  31大祭司、祭司長、長老らの全議会[サンヘドリン]はイエスを殺せるよう、告発のための偽証をしきりに求めたが、[何も]見出せなかった。33多くの偽証者たちが出廷したが、[何も]決め手は得られずにいたところへ、(ついに、、、、)。
   TM      31さて祭司長たちと[長老たち、そして]全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていたが、何も見出せなかった。33そこで多くの偽証者が出てきたが、[やはり何も]証拠があがらなかった。
   K·M     31さて、祭司長たちと[長老たち、そして]全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていたが、[何も]証拠があがらなかった。33そこで多くの偽証者が出てきたが、[やはり何も]証拠はあがらなかった。
   RH     31さて、祭司長たちと長老たち、最高法院の全員は、死刑にしょうとしてイエスにとって不利な偽証を求めたが、何も得られなかった。33偽証人は何人も現れたが、[やはり何も]証拠は得られなかった。
   TI      31祭司長たちと長老たち、そして全議会はイエスを殺そうとして不実な証拠を求めたが、何もみつからなかった。33そこで多くの不実な証人が出てきたが、やはり何もみつからなかった。
   KT     31祭司長や長老たちと全議会はイエスに対する偽の証言を探した。何とか死刑にしようと思ったからだが、うまく見つからなかった。33そしていくら多くの偽証人が登場しても、[やはり]何の証拠も得られなかった。

マタイ伝26:59-60
 ギリシャ語 59また祭司長らと[長老たち]、そして全議会は彼を殺すためにイエスに対する偽証を求めていた[が、何も見つからなかった]、60そして多くの偽証者が出て来たが彼らは[やはり]何も見いださなかった。

                    59οι   δε   αρχιερεις   και  το   συνεδριον  ολον  εζητουν           ψευδομαρτυριαν κατα του    Ιησου         οπως 
                   (1)また    (2)祭司長らは (3)と     (5)議会は    (4)全  (12)求めていた (11)偽証を        (10)対する  (9)イエスに (8)ために
                       αυτον  θανατωσωσιν, 60και        ουχ  ευρον                                    πολλων     προσελθοντων   ψευδομαρτυρων.
                             (6)彼を  (7)殺す            (13)そして (17)彼らは証拠を見出さなかった (14)多くの (16)出てきたが   (15)偽証者(複)が


 ラテン語  59さて主要な司祭たちと[長老たち]、そして全議会はイエスに対立する虚偽の法廷証言を、彼を死に導くため求めていた[が、何も見つからなかった]、60そして多くの虚偽の証人が近づいたが、[やはり]彼らは見つけられなかった。

                   59Principes autem  sacerdotum et        omne concilium quaerebant   falsum  testimonium
                    (2)主要な      (1)さて    (3)司祭たちと   (4)そして(5)全    (6)議会は      (15)求めていた   (9)虚偽の   (10)法廷証言を
	           contra    Iesum      ut           eum     morti  traderent 60et      non      invenerunt
                          (8)対立する (7)イエスに (14)ために (11)彼を  (12)死に (13)導く   (16)そして (23)られなかった(22)彼らは見つけ               
                               cum     multi       falsi        testes       accessissent
                           (21)のに  (17)多くの  (18)虚偽の  (19)証人が   (20)近づいた

 決定版   59Die Hohenpriester aber vnd Eltesten / vnd der gantze Rat / suchten falsche Zeugnis wider Jhesum / Auff das sie jn tödten 60vnd funden keins / Vnd wiewol viel falscher Zeugen erzu traten / funden sie doch keins.
 カロフ版 59Die Hohen Priester aber / und Eltesten / und der gantze Rath (...) suchten falsche Zeugniß wider JEsum auf daß sie ihn tödteten und funden keines.  (...)60Und wiewol viel falscher Zeugen herzutraten funde sie doch keines.
 現代版  59Die Hohenpriester aber [und Eltesten] und der ganze Hohe Rat suchten falsches Zeugnis gegen Jesus, daß sie ihn töteten [und funden keines]. 60Und obwohl viele falsche Zeugen herzutraten, fanden sie doch [keines]
 DRB   59And the chief priests [and the elders] and the whole council sought false witness against Jesus, that they might put him to death: 60And they found not [any], whereas many false witnesses had come in [but they found still none]. 
 KJV    59Now the chief priests, and elders, and all the council, sought false witness against Jesus, to put him to death; 60but they found none, though many false witnesses came forward [but they still found none] .
 RSV    59Now the chief priests [and the elders] and the whole council sought false testimony against Jesus that they might put him to death, 60but they found none, though many false witnesses came forward forward [but they still found none].
 TEV   59The chief priests [and the elders] and the whole Council tried to find some false evidence against Jesus to put him to death; 60but they could not find any, even though many people came forward and told lies about him [but they still found none].
 文語訳  59 [さて、] 祭司長らと[長老たちそして]全議會と、イエスを死に定めんとて、いつはりの證據を求めたるに、 60多くの偽證者いでたれども得ず。
 口語訳  59さて、祭司長たちと[長老たちそして]全議会とは、イエスを死刑にするため、イエスに不利な偽証を求めようとしていた[が証拠があがらなかった]。 60そこで多くの偽証者が出てきたが、[やはり何も]証拠があがらなかった。
 新改訳  59さて、祭司長たちと[長老たちそして]全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える偽証を求めていた[が証拠はつかめなかった]。60偽証者がたくさん出て来たが、[やはり何も]証拠はつかめなかった。
 新共同訳 59さて、祭司長たちと[長老たちそして]最高法院の全員は、死刑にしょうとしてイエスにとって不利な偽証を求めた[が証拠は得られなかった]。 60偽証者は何人も現れたが、[やはり何も]証拠は得られなかった。

決定版は60節冒頭の「vnd funden keines(何も見つけなかった)」(ただし、この節番号は決定版にはなく、1973年の復刻版に従っている。カロフ版や現代版の文頭は次の「Vnd wiewol viel falscher Zeugen」である。)と最後の「funden sie doch keins(彼らはやはり何も見つけなかった)」で二度、同じ否定形を繰り返すことでイエスの有罪を証明できる証人がいなかったことを強調している。バッハのテキストはそのまま使っている。ただしMP31の最後と、MP33の冒頭に分けている。この繰り返しが見られるのは決定版とカロフ版だけで、他の聖書では、この句は一度しか現れない。

ルターが底本にしたエラスムス版を同じく底本にしたと言われるウルガ−タ本、DRV、KJVにも一度しか出てこないのでルター訳のオリジナルである。ルターの意図はともかく、バッハが《マタイ受難曲》を作曲するにあたり、これは重要な点である。バッハは、ユダヤ議会によるイエスの有罪立証はことごとく失敗したことをいろいろな局面を使って強調しているからである。それが意味するのは、自白さえしなければ、イエスへの死刑判決は免れえたものであったこと、言い換えれば、それにもかかわらず、イエス自身が、自由意志により神の子羊となることを選択したということである。ここでは、二つの曲に分かれているためか、すべての対訳は、現代語訳聖書にとらわれずバッハに忠実に繰り返して訳している。

一方で、イエスに死刑を望む主体は決定版とバッハテキスト、KJVは祭司長たち、全議会に加えて「長老たち」があるが、ギリシャ語、ラテン語にはない。

「Συνεδριον (sunedrion)」のドイツ語訳は一般に「Sanhedrin」または 「Hohe Rat (最高法院)」が使われるが、ここでは、バッハは決定版の通りに単に「Rat」としている。

ここで出てくるdie HohenpriesterはMP4a(マタイ伝26:3)でも出てくるが、日本語聖書、英語聖書では単数型で「大祭司、high priest」、複数形で「祭司長たち、chief priests」と異なる訳語をあてている(ただし、川端由喜男のギリシャ語逐語訳では一貫していない)。しかし、ルター訳や《マタイ受難曲》では、両方に同じ語をあてて、ギリシャ語原文に対応させて単数型と複数形にしている。《マタイ受難曲》の直訳としてはそれぞれ「上級祭司」、「上級祭司達」としたほうが良いのだろうが、音楽的理解に重要な意味上の違いを生じさせるとは思えない。新共同訳注解によれば、もともと大祭司は終身の職であったが、ヘロデ大王の時代から更迭される者が相つぎ、こうした退職大祭司は複数形で表され、日本語では単数形で「祭司長」と訳されているという。その意味ではここではdie Hohenpriesterは大祭司と祭司長たちの集団を意味するとも考えられるので、「大祭司、祭司長」の両方を訳出しても間違いではないだろうが、敢えて両方を訳出する意味があるのかは不明。


27. MP33:6-11
E  バッハ  (Alto); Ich kann den Tempel Gottes abbrechen und in dreien Tagen denselben bauen, denselben bauen.
                    (Tenor); Ich kann den Tempel Gottes abbrechen und in dreien Tagen denselben bauen.
  直訳        (Alto);   彼は言いました。「私は神の寺院を壊して、三日の内にもとのままに建て直す、もとのままに建て直すことができる。」と。
                    (Tenor);  彼は言いました。「私は神の寺院を壊して、三日の内にもとのままに建て直すことができる。」と。

   英語版      (Alto); God's temple can I raze and destroy it and again in three days, in three days build it [as before], in three days build it [as before].
                  (Tenor); God's temple can I raze and destroy it and again in three days, in three days build it [as before].
   ZPA          God's temple can I fully demolish and within three days' time I can rebuild it [as before].
   YS文語      われ神の宮をこぼちて、三日にて[もとのままに]建てうべし。
   YS口語      私は神殿を壊して、三日で[もとのままに]建てなおせる。」と。
   TM           わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に[もとのままに]建てることができる、
   K·M          わたしは神の宮を打ちこわし、3日の後に[もとのままに]建てることができる、
   RH           神の神殿を打ち倒し、三日あれば[もとのままに]建てることができる
   TI             自分は神殿を打ち壊し、三日で[もとのままに]建てることができる、
   KT        自分は神の宮を壊して、三日のうちに同じ宮を立てる事ができる、と。


マタイ伝26:61
 ギリシャ語 神殿をこわし、そして三日で[もととのままに]建てることが私に出来ると

                  Δυναμαι              καταλυσαι τον  ναον του  θεου       και         δια     τριων  ημερων     οικοδομησαι.
	(9)私に出来ると (3)こわし         (2)神殿を   (1)神の  (4)そして  (7)で  (5)三   (6)日(複) (8)建てることが

 ラテン語 神殿をこわし、そして三日後にそのまま建てることが私に出来ると

       possum       destruere  templum  Dei     et          post   triduum  aedificare   illud
                    (9)私に出来ると (3)こわし      (2)神殿を     (1)神の  (4)そして  (6)後に  (5)三日      (7)そのまま     (8)建てることが    
		
 決定版   Jch kan den tempel Gottes abbrechen / vnd in dreien tagen den selben bawen.
 カロフ版 Ich kan (...) den tempel Gottes (...) abbrechen / vnd in dreyen Tagen denselben bauen. 
 現代版  Ich kann den Tempel Gottes abbrechen und in drei Tagen [denselben] aufbauen.
 DRB    I am able to destry the temple of God, and after three days to rebuild it [as before].
 KJV   I am able to destroy the temple of God, and to build it in three days [as before].
 RSV    I am able to destroy the temple of God, and to build it in three days [as before].
 TEV    I am able to tear down God's Temple and three das later build it back up [as before]..
 文語訳   われ神の宮を毀ち三日にて[もとのままに]建て得べし。
 口語訳    わたしは神の宮を打ちこわし、三日の後に[もとのままに]建てることができる。
 新改訳    わたしは神の神殿をこわして、それを三日のうちに[もとのままに]建て直せる。
 新共同訳  神の神殿を打ち倒し、三日あれば[もとのままに]建てることができる。

ここにはマタイ伝と微妙に異なる三つの問題がある。一つは、マタイ伝は二人の証人が出てきたとはするものの証言そのものは一つしか書かれておらず、二人の証言が一致したことを示唆している。これは、ユダヤ人達の偽証の企みが成功し、それゆえにイエスは冤罪死したことを意味する。マタイ伝に流れる意図、即ち「イエスの死の責任がユダヤ人にある」とする思想と一致する。しかし、バッハはアルト(証人I)とテノール(証人II)の二人を一拍あるいは二拍とずらして、アルトの証人が先導してテナーの証人をそそのかすかのように歌わせている。そして、それがうまく行かなかったことを、臨時記号の♭を使って音楽的処理により表現する(8章4節参照)。

バッハが所持し、使用したカロフ聖書注解本の申命記19:15に、この音楽的処理の意味を示唆する書き込みがあることも既に述べたとおりである。


28. MP36a:1-2
C  バッハ   Und der Hohepriester antwortete und sprach zu ihm:
   直訳       そこで大祭司が答えて、そして彼に言った。

   英語版   And the high priest gave Him answer and spake thus unto Him:
   ZPA      And the chief priest then, answering, spake thus to him: 
   YS文語  大祭司は問いただして言う、
   YS口語  大祭司は問いただして言った。
   TM       そこで大祭司は[答えて]言った。
   K·M      そこで大祭司は[答えて]いった。
   RH        大祭司は[答えて]言った。
   TI         そこで大祭司が答えて、言った。
   KT        そして大祭司が答えて、彼に言った、

マタイ伝26:63
 ギリシャ語 そして、大祭司は[答えて]、彼に言った

                          και     ο     αρχιερευς    ειπεν    αυτω,
	(1)そして	(2)大祭司は  (4)言った  (3)彼に

 ラテン語  そして、大祭司は[答えて]、彼に言った

       et           princeps  sacerdotum  ait         illi
                    (1)そして  (2)主席の     (3)祭司は          (5)言った  (4)彼に

 決定版       Vnd der Hohepriester antwortet vnd sprach zu jm / 
 カロフ版  un  (ママ)  der Hohepriester antwortete (...)  und sprach zu ihm:
 現代版       Und der Hohepriester [antwortete und] sprach zu ihm:
 DRB         And the high priest [answered and] said to him:
 KJV          And the high priest answered and said unto him,
 RSV         And the high priest [answered and] said to him,
 TEV          Again the High Priest [answered and] spoke to him,
 文語訳       大祭司[答えて彼に]いふ
 口語訳       そこで大祭司は[答えて彼に]言った、
 新改訳       それで、大祭司は[答えて]イエスに言った。
 新共同訳    大祭司は[答えて彼に]言った。

ここに取り上げた聖書で「antwortete」、「answered」、「答えて」にあたる語があるのは、決定版、カロフ版とKJVだけである。両者が底本にしたエラスムス版に由来するのだろう。しかし、同じくエラスムス版を底本にしたウルガ−タ本が「ait」だけをあてているのは、「ait」には「肯定した」と「言った」の両方の意味があるので、「ait」の一語に両方の意味をこめて訳したと考えられる。これは前文の大祭司のイエスへの言葉「Antwortest du nichts(答えないのか)」に対応しているので、「イエスが黙秘しているから、大祭司がイエスに代わって答えようとしている」という福音史家の危機感が反映されている。大祭司がイエスに「冤罪」の罪をかぶせようとしていることが強調される。


29. MP36a:6-7
D  バッハ  Jesus sprach zu ihm: Du sagests.
   直訳      イエスは彼に言った。あなたの言うとおりです。

   英語版   Jesus saith to him: Thou sayest.
   ZPA     Jesus said to him:  Thou sayest.
   YS文語 イエス[彼に]言いたもう、汝の言えるごとし。
   YS口語 イエスは[彼に]言われた。あなたの言われるとおり。
   TM      イエスは[彼に]言われた。あなたの言うとおりである。
   K·M     イエスは[彼に]言われた。あなたの言うとおりである。
   RH      イエスは[彼に]言われた。それは、あなたが言ったことです。
   TI        イエスは大祭司に言った。あなたの言うとおりだ。
   KT       イエスが[彼に]言った。 それはあなたが言っていることだ。

マタイ伝26:64
 ギリシャ語 イエスは彼に言う、あなたは言った

                   λεγει       αυτω  ο  Ιησους,        Συ               ειπας.
	(3)言う   (2)彼に   (1)イエスは (4)あなたは  (5)言った

 ラテン語  イエスは彼に言う、あなたは言った

                  dicit   illi       Iesus         tu             dixisti
                     (3)言う (2)彼に   (1)イエスは   (4)あなたは    (5)言った

 決定版     Jesus sprach [zu jm] / Du sagests
 カロフ版  JEsus sprach zu ihm: Du sagests.
 現代版     Jesus sprach zu ihm: Du sagst es.
 DRB       Jesus saith to him: Thou hast said it [ママ].
 KJV        Jesus saith unto him, Thou hast said [it]:
 RSV        Jesus said to him, "You have said so.
 TEV        Jesus answered him, "So you say.
 文語訳     イエス[これに]言ひ給ふ『なんぢの言へる如し。
 口語訳     イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。
 新改訳     イエスは彼に言われた。「あなたの言うとおりです。
 新共同訳  イエスは[彼に]言われた。「それは、あなたが言ったことです。

「zu ihm(彼に)」が決定版にはないが、バッハテキストでは補われている。ラテン語、DRV、KJV、カロフ版もあるが、口語訳と新共同訳も分かれているのでエラスムス版とネストレ=アーラント版の違いという訳でもないのだろう。ただし、TEVは他動詞answerを使っているので目的語としてhimを使用している。

「Du sagests.」のギリシャ語原文の「Συ ειπασ.」の解釈としては、ドイツ語とは同じ意味ではないという。ドイツ語では、この用法は「あなたが言うとおり」と相手に同意する意味であり、ここでイエスは「私は『神の息子』と名乗りました」という自分の罪状を認める告白をしたことになる。

しかし、新共同訳のように「あなたが言ったことです」と訳すと、「それはあなたが勝手に言っていることで、私は言っていない」という意味になり、相手に不同意で、ぬれぎぬの罪に抗議していることになる。つまり、イエスは罪を逃れたいと思っていたことになる。イエスの死の責任をユダヤ人に負わせるというマタイ伝の目的から言えば、そのほうが正しいのであろう。しかし、このような聖書学的訂正をバッハテキストの解釈に適用するのは《マタイ受難曲》に込めたバッハの思いを裏切ることになる。バッハがイエスにロ短調で歌わせるこの言葉が、自ら十字架を選択したイエスの「自由意志による愛ゆえの死」を意味するのか、あるいは罪を否認し死を逃れたいと意図したものかは、決定的な違いである。聖書学的に正しく解釈することは、バッハテキストを改竄することになるという代表的な例である。

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