(6) MP38a:1-2, MP42:5-8, MP45a:5-8, MP45a:11-13, MP45a:13-15, MP45a:26-27, MP47:1,
     MP47:1-2, MP50a1-2:, MP50b2-10

30. MP38a:1-2
D バッハ  Petrus aber saß draußen im Palast;
	直訳   さて、ペテロは宮廷で屋外に座っていた。

   英語版   Peter sat in the palace court without,
   ZPA   Peter, meanwhile, sat outside in the court;
   YS文語  さてペテロは外にて中庭に座し至るに、
   YS口語    さてペテロは外の中庭に座っていたが、
   TM    ペテロは外で中庭にすわっていた。
   K·M        ペテロは外で中庭にすわっていた。
   RH    ペテロは外にいて中庭にすわっていた。
   TI    ペテロが屋敷の中庭に座っていると、
   KT     ペテロは大祭司邸で外に座っていた。

マタイ伝26:69
ギリシャ語 そして、ペテロは外で中庭に座っていた

      Ο	δε  Πετρος   εκαθητο   εξω εν τη  αυλη
       (1)そして   (2)ペテロは  (6)座っていた  (3)外で  (5)に   (4)中庭

ラテン語     しかし、ペテロは外で中庭に座っていた

                 Petrus  vero   sedebat   foris in  atrio
       (2)ペテロは (1)しかし (6)座っていた  (3)外で (5)に  (4)中庭

決定版   PEtrus aber sass draussen im Pallast /
カロフ版  Petrus aber saß draussen (...) im Pallast (...)  
現代版   Petrus aber saß draußen im Hof;
DRB     But Peter sat without in the court:
KJV    Now Peter sat without in the palace:
RSV    Now Peter was sitting outside in the courtyard,
TEV    Peter was sitting outside in the courtyard
文語訳     ペテロ外にて中庭に座しゐたるに、
口語訳   ペテロは外で中庭にすわっていた。
新改訳   ペテロが外の中庭にすわっていると、
新共同訳  ペテロは外にいて中庭に座っていた。

決定版は「ペテロは『Palast(宮廷、宮殿)』に入り、屋外に座っていた」として、ギリシャ語正文、ウルガータ本と異なる。多くの聖書は、ギリシャ語に従って訳しているが、ドイツ語訳、英語訳聖書はいずれも、ペテロが入ったのは、イエスの裁判が行われている敷地内であることを「Palast」、「Hof」、「court」、「Palace」などで表現している。「court」には「宮廷」、「中庭」、「法廷」の全ての意味がある。ちなみにフランス語聖書でも「dans la court」としている。


31. MP42:5-8
A  バッハ  Shet, das Geld, den Mörderlohn, wirft euch der verlorne Sohn zu den Füßen nieder!
   直訳    見よ、殺人の報酬のお金を、その失われた息子があなたたちの足もとに投げつけたのを!

   英語版   See he flings it at your feet, flings the price of his deceit, he who did betray Thee;
   ZPA      See the price, this murder's wage, Thrown by this the fallen son at your feet before you!
   YS 文語 見よ、人殺しの報酬とて受けし金を、迷い出でし放蕩息子は汝らの足もとに投げいだせり!
   YS口語  見よ、人殺しの報酬とて受けし金を、迷い出でし放蕩息子は汝らの足もとに投げいだせり!
   TM       みよ、裏切り者は人殺しの礼金を足下に投げ捨てぬ。
   K·M      みよ、人殺しの報酬の金を、放蕩息子はお前たちの足もとに投げ捨てたのだ。
   RH       ご覧なさい、殺しの報酬である金を、放蕩息子はあなた方の足元に投げ出しました。
   TI        見るがいい、殺しの報酬である金を、戻ってきた放蕩息子はお前らの足もとに投げ出した!
   KT        御覧なさい、その金を、殺人の代金を。失われた息子はその代金をあなた達の足もとに投げ返したで
                   はありませんか。

ルカ伝15:24/32
ギリシャ語 24なぜなら、この私の息子は死んでいたが、生き返った、いなくなっていたのが、見つかったのだ、そして彼らは祝宴(楽しみ)を始めた。

                   24οτι             ουτος ο  υιος       μου        νεκρος     ην           και           ανεζησεν,       ην         απολωλως	
	     (1)なぜなら (2)この   (4)子は  (3)私の  (5)死んで (6)あった (7)しかし (8)生き返った (10)いた (9)いなくなって
                                     και        ευρεθη.                 και             ηρξαντο                 ευφραινεσθαι.
                                  (11)しかし  (12)見出され   (13)そして  (15)彼らは始めた   (14)楽しみ

       32しかし、私たちは楽しみ喜ばねばならない。このあなたの兄弟は死んでいたがまた生き返った。
                       いなくなっていたが見いだされた。

                   32ευφρανθηναι           δε           και           χαρηναι    εδει,                              οτι  ο       αδελφος  σου       
                       (2)(私達は)楽しみ (1)しかし (3)そして (4)喜ば    (5)なければならなかった   (17)から (8)兄弟は  (7)あなたの
                                    ουτος   νεκρος     ην           και           εζησεν,              και        απολωλως                  και       ευρεθη.
                           (6)この(9)死んで(10)いた(11)しかし(13)生き返った(12)また (14)いなくなっていた (15)しかし (16)見出された
             
ラテン語   24なぜなら、この私の息子は、死んでいたが生き返り、失われていたが見つけられ、そして彼らは祝い
                        始めた。

                  24quia      hic   filius       meus   mortuus  erat   et         revixit         perierat  et 
                   (1)なぜなら (2)この (4)息子は  (3)私の  (5)死んで   (6)いた (7)そして  (8)生き返った  (9)失われ    (11)そして  
                            inventus     est          et          coeperunt       epulari
                            (10)見つけ     (12)られた   (8)そして   (10)彼らは始めた  (9)祝い

         32しかし、私たちは祝い喜ばねばならなかった。なぜなら、あなたのこの兄弟は死んでいたが生き
                        返った、失われていたが見つけられた。

                  32epulari        autem   et     gaudere  oportebat                 quia         frater     tuus     
                     (2)(私達は)祝い (1)しかし  (3)また (4)喜ば   (5)〜ねばならなかった   (6)なぜなら (9)兄弟は   (7)あなたの 
                             hic       mortuus   erat        et          revixit           perierat       et           inventus
                             (8)この  (10)死んで  (11)いた (12)そして (13)生き返った (14)失われた (15)そして (16)見つけ 
                                est
                                (12)られた
        		

決定版        24Denn dieser mein Son war tod / vnd ist wider lebendig worden / Er war verloren / vnd
                        ist funden worden. Vnd fiengen an fröhlich zu sein /
                 32Du soltest aber fröhlich vnd guts muts sein / Denn dieser dein Bruder war tod / vnd
                        ist wider lebendig worden / Er war verloren / vnd ist wider funden.
現代版        24Denn dieser mein Sohn war tot und ist wieder lebendig geworden; er war verloren und
                        ist gefunden worden. Und sie fingen an, fröhlich zu sein.
       32Du solltest aber fröhlich und guten Mutes sein; denn dieser dein Bruder war tot und
                        ist wieder lebendig geworden, er war verloren und ist wiedergefunden.
DRB    24Because this my son was dead, and is come to life again: was lost, and is found. And
                        they began to be merry.
       32But it was fit that we should make merry and be glad, for this thy brother was dead
                        and is come to life again; he was lost, and is found.
KJV    24For this my son was dead, and is alive again; he was lost, and is found. And they began 
                        to be merry.
      32It was meet that we should make merry, and be glad; for this thy brother was dead, and
                        is alive again; and was lost, and is found.
RSV    24for this my son was dead, and is alive again; he was lost, and is found.' And they began
                        to make merry.
      32It was fitting to make merry and be glad, for this your brother was dead, and is alive;
                        he was lost, and is found.'" 
TEV    24For this son of mine was dead, but now he is alive; he was lost, but now he has 
                        been found.' And so the feating began.
      32But we had to celebrate and be happy, because your brother was dead, but now
                        he is alive; he was lost, but now he has been found.'"
文語訳   24この我が子、死にて復(また)生き、失(う)せて復得られたり。」かくて彼ら楽しみ始む。
      32されどこの汝の兄弟は死にて復生き、失せて復得られたれば、我らの楽しみ喜ぶは当然なり
口語訳     24このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから
                        祝宴がはじまった。
        32しかし、このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったの
                        だから、祝うのは当たり前である』」。
新改訳   24この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』そして
                        彼らは祝宴を始めた。
      32だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返ってきたのだ。いなくなっていたのが見つかったの
                        だから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」
新共同訳  24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、
                         祝宴を始めた。
      32だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。
                         祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

「der verlorne Sohn」の話しは、マタイ伝ではなく、ルカ伝15章に出てくる。したがって、この曲のモチーフはルカ伝からとられているはずである。西欧の宗教画でもこれを題材にしたものが少なくないことはレンブラントの絵画(Fig. 15)を例に8章2節で紹介した。バッハも宗教画においてこの物語が占める重要性をおそらく知っていたから、それを音楽芸術にも応用したと解釈できないこともない。しかし、ルカ伝の物語をわざわざ《マタイ受難曲》で使う事は、たんなる芸術的モチーフではなく、思想的な理由があるはずである。なぜなら、マタイ伝の受難物語にこの話が入ってくる対応箇所はなく、ユダが自殺した(MP41)直後のアリア(MP42)で、この語句が出てくるのは筋としては不自然である。

「der verlorne Sohn」を「放蕩息子」と訳すのは、日本的キリスト教の習慣である。この文脈で、英語版やZPA対訳も、「betray(裏切り者)」、「the fallen son(堕ちた息子)」と否定的に訳している。このアリアの不自然さを理解できない訳者の困惑が目に浮かぶようである。ギリシャ語、ラテン語、決定版、DRBの聖書で、「放蕩」や「堕落」の意味で使われている語は、同じ章の13節に出てくる「ασωτως(放蕩に)」、「luxuriose(贅沢に、淫乱に)」、「mit brassen (贅沢に)」、「riotously(放埒に)」である。「いなくなった」、「失われた」という意味の「απολωλως」、「perierat」、「verlorne」、「lost」は24章、32章に出てくる。

バッハがこのアリアで表現したのは、「生前贈与された親の遺産を使い果たしたあげく、死んで、いなくなっていたと思っていた息子が悔いて帰郷したことを父が喜び、赦して祝福したこと、それに抗議した長兄(ギリシャ語や現代語訳では『兄』)を父が戒めたこと」である。言うまでもなく、弟とはユダであり、長兄とは筆頭弟子のペテロである。MP42が自由詞アリアであるにも関わらず、これをピカンダーではなくバッハ自身の思想であると結論できる根拠は、この詞につけられた曲が、ユダの自殺直後に置かれていることと、祝宴曲風の明るいト長調で書かれていることである。

これらの事実を、ルカ伝15:24と同32で繰り返される、「死んでいた」、「いなくなっていた」、「祝い喜ぶ」の3つのキーワードと比べれば、バッハの思いがどこにあるかは明らかである。ピカンダー作の自由詞アリアとはいえ、これがユダの自殺の直後におかれたことと、祝宴曲風に書かれたことはバッハの意志である。訳にあたっては、同じルカ伝15章の13節にある「prassen(放蕩する)」ではなく「verloren(失われた)」が使われていることに留意すべきである(8章2節参照)。


32. MP45a:5-8
D バッハ Er hatte aber zu der Zeit einen Gefangenen, einen sonderlichen vor andern, der hieß Barrabas.
  直訳     ちょうどその時、彼は一人の囚人を捕らえており、バラバと呼ばれて、他の囚人たちからは際立って
                     いた。

   英語版   It happened that there was there a notable prisoner [for him], one whom all the people 
                     knew well, whose name was Barabbas.
   ZPA      He had, however, on this occasion a prisoner, who stood out above the others, whose name 
                     was Barabbas.
   YS文語  ときに、バラバという名だたる囚人、ピラトのもとにあり。
   YS口語   当時ピラトは、とくに問題のある囚人をかかえており、その名をバラバといった。
   TM        ときに、[彼には]バラバという評判の囚人がいた。
   K·M       ときに、[彼には]バラバという評判の囚人がいた。
   RH        そのころ、[彼には]バラバという評判の囚人がいた。
   TI          彼のもとには当時並外れた囚人がいて、その名をバラバと言った。
   KT         ちょうどその時は、[彼には]特別によく知られた逮捕者が居た。バラバという名前であった。


マタイ伝27:16
ギリシャ語  そして、その時バラバ[・イエス]と呼ばれる悪名高い囚人を彼らは持っていた

                        ειχον                       δε            τοτε          δεσμιον    επισημον     λεγομενον    [Ιησουν]        Βαραββαν.
	(8)彼らは持っていた (1)そして (2)その時  (7)囚人を (6)悪名高い  (5)言われる  (4)[イエスと]   (3)バラバ・

ラテン語     ところで、その時バラバと呼ばれる悪名高い囚人を彼は持っていた

                  Habebat       autem    tunc     vinctum   insignem        qui          dicebatu    Barabbas
                  (8)彼は持っていた  (1)ところで  (2)その時  (7)囚人を    (6)悪名高い   (5)ところの  (4)言われる    (3)バラバと

決定版         Er hatte aber zu der Zeit einen Gefangen / einen asonderlichen fur andern / der hies
                        Barrabas.
カロフ版      Er hatte aber zu der Zeit einen Gefangenen / einen sonderlichen fur andern / (...)  der hies
                        Barrabas.
現代版         Sie hatten aber zu der Zeit einen berüchtigten Gefangenen, der hieß Jesus Barabbas. 
DRB           And he had then a notorious prisoner, that was called Barabbas.
KJV            And they had then a notable prisoner, called Bär-abbas.
RSV           And they had then a notorious prisoner, called Barab'bas.
TEV            At that time there was a well-known prisoner named Jesus Barabbas.
文語訳        ここにバラバといふ隠れなき囚人(めしうど)[彼に]あり。
口語訳        ときに、バラバという評判の囚人が[彼に]いた。
新改訳        そのころ、バラバという名の知れた囚人が[彼に]捕えられていた。
新共同訳     そのころ、バラバ・イエスという評判の囚人が[彼に]いた。

バラバ(父の子の意)の名の前に「イエス」があるギリシャ語聖書の写本もあり、悪人とされるバラバの名がイエス・キリストと同じでは良くないとして、正文にはあったものが、後に削除されたと考えられている。「イエス」という名は当時はかなりありふれたものだった。新共同訳やTEVはそれを採用している。聖書でイエス・バラバとイエス・キリストが並んで書かれていることは、「父の子イエス」と「救い主イエス」が対比されていることになる。新共同訳に依拠する対訳でも、さすがにここではバラバにイエスをつけていない。

それ以上に、この一節で重要な問題は、そのバラバを(囚人として)持っていたのは誰かである。決定版、カロフ版、バッハテキストは「Er(彼は)」としており、ピラト個人を指している。それは、ピラトがバラバの処決を左右できる立場にいることを示している。しかし、聖書学的にはギリシャ語原文の主語「eicon」は「人びと」の意で、個人を指していない。単にそういう囚人がいた、あるいは民衆が大赦の候補として持っていた、それともローマ兵たちが捕えていたなども意味しうる漠然とした表現である。ウルガ−タ本の「Habebat」は三人称単数の不完了過去形(英語の過去進行形に相当)であり、ルターはそれから重訳したのかもしれない。ウルガータ本とおなじくエラスムス版を底本にしたKJVは「they」になっているので、ギリシャ語聖書と同じ不特定主語である。

いずれにしても、バッハの《マタイ受難曲》では明らかに主語はピラトであり、そのこととバッハの《マタイ受難曲》での音楽的表現との関係は重要である。なぜなら、強い権限をもつピラトがバラバではなくイエスの釈放を望んでいたにもかかわらず、イエスが人々のために、自らの意志として犠牲の小羊になる(身代わりとなって死ぬ)ことを選び、その自由意思としての愛がロ短調で表現されているからである。言い換えれば、イエスが上手く振る舞えば、ピラトが彼を赦免できた可能性があったことを、この「Er hatte」が示唆しているのである。ここで、ギリシャ語正文、または現代語訳聖書に従って「彼に」、「彼は」を訳出しないことはバッハテキストの変更を意味するだけでなく,《マタイ受難曲》の音楽的思想を否定することにつながる。


33. MP45a:11-13
E  バッハ   Barrabam oder Jesum, von dem gesaget wird, er sei Christus?
   (直訳) バラバか、あるいはあなた達が救い主(キリスト)と呼んでいるイエスをか?

   英語版   Barabbas or this Jesus, the one whom all ye people call Christ?
   ZPA      Barabbas or Jesus, of whom it is said that he is the Christ?
   YS文語  バラバなるか、はたキリストと称うるイエスなるか?
   YS口語  バラバか、それともキリストと言われるイエスをか?
   TM        バラバか、それともキリストといわれるイエスか。
   K·M       バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか。
   RH        バラバか、それともメシアといわれるイエスか。
   TI         バラバか、それとも、キリストだと言われるイエスか。
   KT        バラバか、それともキリストと言われているイエスか。


マタイ伝27:17
ギリシャ語  バラバ・イエスか、あるいは救世主(キリスト)と言われているイエスか

                  [Ιησουν  τον]   Βαραββαν  η                Ιησουν τον    λεγομενον    Χριστον;
	(2)イエスか    (1)バラバ    (3)あるいは  (3)イエスか   (2)言われる   (2)キリストと

ラテン語  バラバか、あるいは救世主(キリスト)と言われているイエスか

                  Barabban   an            Iesum      qui          dicitur      Christus
	(1)バラバか	   (2)あるいは   (6)イエスか  (5)ところの  (4)言われる  (3)キリストと

決定版       Barrabam / oder Jhesum / von dem gesagt wird / Er sey bChristus?
カロフ版    Barrabam /  (...) oder Jesum / von dem gesagt wird / er sey Christus?
現代版       Jesus Barabbas oder Jesus, von dem gesagt wird er sei der Christus?
DRB          Barabbas, or Jesus that is called Christ?
KJV           Bär-ab'bas, or Jesus which is called Christ?
RSV          Barabbas or Jesus who is called Christ?"
TEV          Jesus Barabbas or Jesus called the Messiah?
文語訳       バラバなるか、キリストと稱(とな)ふるイエスなるか)
口語訳       バラバか、それとも、キリストといわれるイエスか」。
新改訳       バラバか、それともキリストと呼ばれているイエスか」。
新共同訳    バラバ・イエスか。それともメシアといわれるイエスか。」

ここでもバラバの名前に「イエス」を挿入したギリシャ語写本がある。文語訳は、イエス自身がキリストと名乗ったように訳している。

ここはイエスを赦そうとするピラトの意思がにじみ出ている言葉である。《マタイ受難曲》のなかで、イエス自身は決して「神の子」とは名乗っておらず「人の子(des 〔der〕Menschen Sohn)」と称している。アラム語では、「人の子」という表現は、必ずしも生物的な「ヒト」を意味しないらしいが、ドイツ語で「der Mensch」は「人間」である。

ピラトはユダヤ人達に「彼はあなた達の救い主(Christus)と呼ばれているのだから、あなた達は彼の釈放を望むはずである」という意味を込めて尋ねている。これは、浄書譜のMP15コラ−ルがあとから歌詞変更され「Hüter」が使われたこと(MP17コラール逐語訳の脚注参照)や、MP66cでピラトが、ユダヤ人たちに「あなた達は(バラバという)守り主(Hüter)をもっているはずだ」という皮肉(「Da habt ihr die Hüter」の「die Hüter」はバラバをさしていると思われる)を言う節に対応している。それは、これらの音型(MP45a:12-13とMP66c:40-41)を比べても明らかである。詳しくはMP66cの対訳批判で述べる。メシア(原意は『油を注がれた人』)は旧約聖書では救世主の意味で使われるヘブライ語。

この節には、さらに重要なルタ−訳聖書からの変更がある。訳文として表現するのは難しいが、バッハはルター訳聖書の「gesagt」を「gesaget」に変えている。マタイ伝26章、27章には「saget」と「gesagt」が7度出てくるが、バッハが「gesagt」の「-gt」を有声音化して「-get」としているのはここだけである。後に(MP45a:33-34、マタイ伝27:22)ピラトの言葉で同じ文章「Jesu, von dem gesagt wird, er sei Christus?」が出てくるが、その「gesagt」では原文のまま「-kt」と無声音で発音させている。意味としても、前後関係から言っても、11-13小節は(33-34小節ではなく)「救世主(キリスト)であると言われている」の「言われている」に、ピラトの強気、自信が現れている。「ピラトが、この場面で、この言葉を強調している」とバッハが理解していることを、この有声音化が示している。バッハは実際に、11-13小節では旋律も上向音階に、あとに出てくるMP47の同じくピラトが主語である「sagete」では、逆に「sagte」に無声音化して、自信喪失し弱々しくなったピラトを表現している。バッハが「g」音を有声音化したり、無声音化することで主語の精神状態を差別化していることは間違いないようである。ここでは、あえて受動形を能動形に訳してそれを表してみた。


34. MP45a:13-15
D  バッハ   Denn er wußte wohl, daß sie ihn aus Neid überantwortet hatten.
   直訳       というのは、ピラトは、彼らが妬みからイエスを彼に引き渡したとよく知っていたからである。

   英語版    For he knew full well that for envy they delivered Him up.
   ZPA       For he knew full well that it was for envy that they had delivered him. 
   YS文語  これ、ピラト彼らのイエスを渡ししは、妬みによると[よく]知るゆえなり。
   YS口語  ピラトは彼らがイエスを渡したのは妬みからだと[よく]知っていたからである。
   TM        彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたから
                      である。
   K·M       彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたから
                      である。
   RH        人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと[よく]分かっていたからである。
   TI          なぜなら彼は、イエスがねたみのために渡されたことをよく知っていたからである。
   KT         すなわち彼は、彼らが妬みからイエスを引き渡したにすぎないと[よく]知っていたのである。


マタイ伝27:18
ギリシャ語  嫉妬のために彼を渡したことを、彼は[よく]知っていたから、

                  ηδει                       γαρ        οτι           δια             φθονον         παρεδωκαν     αυτον.
	(6)彼は知っていた	(7)から	(5)ことを	(2)ために    (1)しっとの	 (4)わたした      (3)彼を

ラテン語   嫉妬ゆえに彼を引き渡すのだろうと、彼は[よく]知っていたから、

	sciebat            enim     quod             per          invidiam  tradidissent               eum
	(6)彼は知っていた   (7)から      (5)ということを   (2)によって   (1)嫉妬         (4)彼らが引き渡すのだろう   (3)彼を
	
	

決定版         Denn er wuste wol / das sie jn aus neid vberantwortet hatten.
カロフ版      Denn er wuste wol / daß sie ihn aus Neid (...) überantwortet hatten. 
現代版         Denn er wußte [wohl] , daß sie ihn aus Neid überantwortet hatten.
DRB            For he knew [well] that for envy they had delivered him.
KJV             For he knew [well] that for envy they had delivered him.
RSV            For he knew [well] that it was out of envy that they had delivered him up.
TEV            He knew very well that the Jewish authorities had handed Jesus over to him because 
                         they were jealous.
文語訳     これピラト彼らのイエスを付(わた)ししは嫉(ねたみ)に因ると[よく]知る故なり。
口語訳     彼らがイエスを引きわたしたのは、ねたみのためであることが、ピラトにはよくわかっていたからである。
新改訳     ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことに[よく]気付いていたからである。
新共同訳   人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと[よく]分かっていたからである。

聖書との違いは、ピラトが「よくわかっていた」か、単に「わかっていた」かの違いだが、現代語訳聖書でも分かれている。ピラトを免罪するというマタイ伝の意図に沿うのは、「よく分かっていた」であろう。TEV、口語訳はルターと同様にギリシャ語にはない「よく」を補っている。さらに、TEVは「Jewish authorities(ユダヤ人当局者達)」を挿入し、「well」に「very」を付けることでマタイ伝の意図をさらに強調する。

ギリシャ語の「γαρ(gar)」もラテン語の「enim」も「なぜなら」という意味と「確かに、本当に」という意味があるので、その一語をルターは「denn」と「wol」に分けて訳したとも考えられる。


35. MP45a:26-27
D  バッハ   Welchen wollt ihr unter diesen zweien, den ich euch soll losgeben?
     直訳     私があなたたちに赦し与えるべきは、これら二人のうちのどちらであると望むのか?

   英語版   Choose ye whether of the twain ye will that I [shall] release unto you?
   ZPA      Which one would ye have of these two men here, that I [shall] set free to you? 
   YS文語  この二人のうち、いずれを[汝らに]わが赦免せんことを願うか?
   YS口語  この二人のうち、どちらを[あなたたちに]赦免してほしいのか?
   TM       ふたりのうち、どちらを[あなたたちに]ゆるしてほしいのか。
   K·M      ふたりのうち、どちらを[あなたたちに]ゆるしてほしいのか。
   RH      「二人のうち、どちらを[あなたたちに]釈放してほしいのか」
   TI         この二人のうちのどちらを[あなたたちに]釈放しろと言うのか。
   KT        この二人のうち、汝らのために、どちらを釈放してほしいのか。

マタイ伝27:21
ギリシャ語  二人のうち、どちらをあなた方に私が赦すことを、あなた方は望むのか

            	Τινα            θελετε                              απο     των  δυο          απολυσω                   υμιν;
                  (3)どちらを  (6)あなた方は欲するのか   (2)うち       (1)二人の    (5)私がゆるすことを  (4)あなた方に


ラテン語  二人のうち、どちらがあなた方のために解放されることを、あなた方は望むのか

            	quem       vultis                      vobis       de       duobus          dimitti
                  (2)どちらが   (5)あなた方は欲するのか  (3)あなた方のために  (1)二人のうち      (4)解放されることを

決定版         Welchen wolt jr vnter diesen zweien / den ich euch sol los geben?
カロフ版      Welchen wolt ihr unter diesen zween / den ich euch [soll] loß gebe? /  (...)
現代版         Welchen wollt ihr? Wen von den beiden soll ich euch losgeben?
DRB           Whether will you of the two to be released unto you?
KJV            Whether of the twain will ye that I [shall] release unto you?
RSV         Which of the two do you want me to release for you?"
TEV            Which one of these two do you want me to set free for you?"
文語訳         二人の中(うち)いづれを[汝らに]我が赦さん事を願ふか
口語訳         ふたりのうち、どちらを[あなたたちに]ゆるしてほしいのか。
新改訳         あなたがたは、ふたりのうちどちらを[あなたたちに]釈放してほしいのか。
新共同訳      二人のうち、どちらを[あなたたちに]釈放してほしいのか

現代版はピラトの群衆への問い掛け「どちらをのぞむのか?」を二つの疑問文に分けている。また、ウルガ−タとRDVでは「解放する」が受動形になっている。英語版は命令形を使って訳し、群衆の答えが自分の望むものでないことを予期しながらも強気に出ているピラトの心理を表現している。バッハテキストは決定版と同じだが、カロフ版は聞き手の意思を示す助動詞「soll(〜すべき)」がない。

ここで、重要なことは日本語以外の全ての聖書で「losgeben(許し与える)」の目的語である「euch(あなたたちに)」にあたる代名詞があり、「誰に」が特定されていることである(フランス語もje vous libèreと「vous(あなたたちに)」がある)。これは赦免される囚人がユダヤ人達の頭目、指導者、守り人であることを示唆する。単に、第三者を赦免するのではなく、ユダヤ人達に与える人物であることを意味するので訳出すべきだろう。

日本語聖書ではそのあたりは自明であるとして日本語的にくどくなる代名詞の訳出を避けたのかもしれないが、聖書学的にもこの「あたなたちに」は訳出すべきだろう。《マタイ受難曲》でも、これは重要な意味を持つ。MP66cピラトが、ユダヤ人達に半ば憤って言う皮肉「Da habt ihr die Hüter(しかし、あなた達には自分たちの守り主がいるではないか))の「die Hüter」はバラバをさしているからである。


36. MP47:1
E  バッハ   Der Landpfleger sagte:
   (直訳) 総督はつぶやいた(弱々しく言った)。

   英語版   The governor asked them:
   ZPA     The governor said then:
   YS文語  総督言う。
   YS口語  総督は言った。
   TM       ピラトは言った。
   K·M      総督は言った。
   RH       総督ピラトは言った。
   TI         総督は言った。
   KT       代官が言った。

マタイ伝27:23
ギリシャ語 しかし、彼は言った

            	ο            δε             εφη,
                      (2)彼は  (1)しかし  (3)言った

ラテン語  総督は彼らに言った

            	ait	        illis         praeses
                      (3)言った  (2)彼らに    (1)総督は

決定版      Der Landpfleger sagete:
カロフ版   Der Landpfleger sagete:
現代版      Er aber sagte:
DRB       The governor said to them:
KJV        Pilate saith unto them,
RSV       And he said,
TEV       But Pilate asked,
文語訳     ピラト言ふ
口語訳     しかし、ピラトは言った、
新改訳     だが、ピラトは言った。
新共同訳   ピラトは、「...........」と言ったが、

ギリシャ語聖書は主語が「彼は(ο)」、ウルガータ本は「praeses(総督は)」と分かれる。バッハは、決定版と同じ「総督」である。

また、バッハがMP45:12とは逆に「sagete」を「sagte」に変えて有声音の「-ge-」を無声音化して「-g-」とする。ピラトの発言は、「彼がいったいどんな悪いことをしたたのか?」というユダヤ人たちへの問いであり、ここでは、イエスに恩赦を与えたいと思っていたピラトが興奮するユダヤ人群衆に恐怖を覚えて、仕方なくバラバに恩赦を与えたことで、自信喪失し、弱気になったことが無声音化によって表現されている。

この解釈では、ピラトはもはやユダヤ人と議論を戦わす気力はなく、たんにつぶやいた、あるいは弱々しく独り言を言ったにすぎない。実際に彼の声はユダヤ人達には聞き取れなかったようである。なぜなら、この質問は無視され、彼らはその問いに直接答えることはなく、「彼を十字架にかけろ!」と返す。

なぜか、Neue Ausgabe Sämtlisher WerkeのKritischer Berichtでデュルは、この箇所をルター訳聖書と違うリストに入れていない。ニュルンベルグ版に「sagte」とするものがあったのか。筆者はここをあえて「言った」ではなく「つぶやいた」とした。


37. MP47:1-2
C  バッハ   Was hat er denn els getan?
    直訳       彼がいったいどんな悪いことをしたというのか?

   英語版    But what evil deed has He done?
   ZPA       Why, what evil hath this man done?
   YS文語   彼[いったい]なんの悪事をなしたるか?
   YS口語   彼は[いったい]どんな悪事を行ったのか?
   TM    あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか。
   K·M     あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか。
   RH     いったいどんな悪事を働いたというのか。
   TI    この人がいったいどんな悪いことをしたのか?
   KT   だがこの者は[いったい]どういう悪事をなしたのか。

マタイ伝27:23
ギリシャ語  いったい、どんな悪事を彼はしたのか

                       Τι             γαρ           κακον   εποιησεν;
                     (2)どんな  (1)なぜ-   (3)悪を  (4)彼はしたか

ラテン語  いったい、どんな悪事を彼はしたのか

                 quid       enim        mali     fecit
                    (2)どんな   (1)いったい  (3)悪を   (4)彼はしたか

決定版       Was hat er denn vbels gethan?
カロフ版    Was hat er denn übels gethan?
現代版       Was hat er denn Böses getan?
DRB         Why, what evil hath he done?
KJV          Why, what evil hath he done?
RSV         Why, what evil has he done?
TEV         [Why,] What crime has he committed?
文語訳      かれ[いったい]何(なに)の悪事をなしたるか
口語訳      あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか。
新改訳      あの人が[いったい]どんな悪い事をしたというのか。
新共同訳   いったいどんな悪事を働いたというのか

ギリシャ語、ラテン語の「γαρ(gar)」、「enim」はともに、MP45a:13-15の項で述べたように「なぜに」と「本当に」の両方の意味があるので「denn(いったい)」と訳したルターは間違っていない。英語の「Why」も同様である。

ここでも、ピラトが「イエスは無実である」と思っていたというニュアンスが「denn(いったい)」で表現されているので、イエスが望むなら助かり得たこと、逆に言えば、彼は自由意志で死を選択したことを示唆しており、重要な語である。


38. MP50a:
D  バッハ   Sie schrieen aber noch mehr und sprachen:
   直訳       しかし、彼らはさらにいっそう叫んで、言った。

   英語版   But cried they out yet the more and shouted:
   ZPA     [But]They cried again even more and said:
   YS文語 [しかし]彼らはますます 声を大にして叫びて言う、
   YS口語 [しかし]彼らはますます 声を大にして叫んで言った。
   TM      [しかし]すると彼らはいっそう 激しく 叫んで言った。
 	K·M    [しかし]すると彼らはいっそう 激しく 叫んで言った。
   RH      [しかし]群衆はますます 激しく 叫び 続けた。
   TI        [しかし]彼らはさらに 大声で 叫び、言った。
   KT   しかし、彼らはますます叫んで、言った。

マタイ伝27:23
ギリシャ語  しかし、彼らはますます叫んで言った

                 οι               δε             περισσως     εκραζον     λεγοντες,
                     (2)彼らは  (1)しかし  (3)ますます   (4)叫んだ   (5)言うのには

ラテン語 そこで、しかし、さらに叫んで彼らは言った

                at          illi         magis    clamabant   dicentes
                   (2)しかし  (1)そこで  (3)さらに  (4)叫んで         (5)言った

決定版     Sie schrien aber noch mehr / vnd sprachen
カロフ版  Sie schryen aber noch mehr / und sprachen :
現代版     Sie schrien aber noch mehr [und sprachen]:
DRB       But they cried out the more, saying:
KJV        But they cried out the more, saying,
RSV        But they shouted all the more, [saying,]
TEV        Then they started shouting at the top of their voices, [saying,]:
文語訳     彼ら烈(はげ)しく 叫びて いふ
口語訳     すると彼らはいっそう 激しく 叫んで、(...)と言った。
新改訳     しかし、彼らはますます激しく(...)と叫び続けた。
新共同訳    (〜と言った)が、群衆はますます 激しく、(...) と叫び 続けた。

ギリシャ語の「δε(de)」には「しかし」、「さらに」、「また」などの意味があり、ドイツ語の「aber」も、「しかし」、「再び」、「すると」などの意味があるので、「しかし」や「But」が訳出されていなくても、間違いであるとはいえない。しかし、MP47で総督が弱々しく言った言葉が無視されたことを、「aber」が示している意味もあり、できれば訳出したい。


39. MP50b
D  バッハ Laß ihn kreuzigen!
   直訳     「彼を十字架につけろ!」

   英語版   Have Him crucified!
   ZPA  Have him crucified! 
   YS文語  [彼を] 十字架ににつくべし!
   YS口語  [彼の]処分は十字架に!
   TM     [彼を]十字架につけよ。
   K·M      彼を十字架につけよ。
   RH   [彼を]十字架につけろ。
   TI   [彼を]十字架につけろ!
   KT      [彼を]十字架につけよ。

マタイ伝27:23
ギリシャ語  彼は十字架につけられよ

                 Σταυρωθητω.
                       彼は十字架につけられよ

ラテン語  彼は十字架につけられよ

                     crucifigatur
                   彼は十字架につけられよ

決定版     Las jn creutzigen.
カロフ版    Laß ihn creuzigen.
現代版       Laß ihn kreuzigen!
DRB         Let him be crucified.
KJV          Let him be crucified.
RSV         Let him be crucified.
TEV         Crucify him!
文語訳      [彼を]十字架につくべし
口語訳      [彼を]十字架につけよ
新改訳      [彼を]十字架につけろ。
新共同訳   [彼を]十字架につけろ

ギリシャ語、ラテン語では動詞の受動形人称変化で「彼は」の意味を含むので、ドイツ語、英語で能動形に訳す場合は「ihn」、「him」が必要。

Back                目次                 NextIX-5.htmlContents.htmlIX-7.htmlshapeimage_2_link_0shapeimage_2_link_1shapeimage_2_link_2