JS バッハ・コード

「理解のないところに愛はない。優れた芸術作品を愛するとはそれらをより深く理解したいと願うことである。」

マドレーヌ・ウール(“Les secrets des chefs-d’œuvre“ by Madeleine Hours, Robert Laffont, Paris, 1964)

本稿は「ダヴィンチ・コード(ダン・ブラウン著)」のパロディではない。似たような擬史的ミステリーフィクションでもない。また、数象徴を使った際物的バッハ論でもない。多くの音楽家やバッハ学者が、いままで不問にしてきた、西欧音楽の最高峰にあると言われるバッハの《マタイ受難曲》に込められた「ある謎」を科学的に解明しようとする試みである。その謎は《マタイ受難曲》の第50曲d(以下、MP50dなどと表す。《ヨハネ受難曲》はJP、《ロ短調ミサ曲》はMB)に使われた2#調(ロ短調とニ長調)についての疑問から始まった。詳しくは、本論を読んでいただくとして、その謎を解明するために使われた方法は、「(1)現存するバッハの器楽、宗教声楽曲の調性分布を比較解析し、2)宗教声楽曲における調性使用頻度の年代変化を統計学的に傾向分析(コクラン=アーミテージ検定)したのちに、バッハの2#調へのこだわりが《マタイ受難曲》に始まり、その後の生涯をかけて年代的に発展したことを明らかにする。さらに、(3)2#調によってバッハは自らの思想を音楽的に表現したことを、歌詞と調性、旋律との相互関係、聖書テキストの文脈との比較検討を通して明らかにし、(4)その思想的結実が《ロ短調ミサ曲》であって、バッハはそれを遺書として将来の我々に遺したことを明らかにする」というものである。特に、《ヨハネ受難曲》と《マタイ受難曲》で使われた調性分布の違いと、マタイによる福音書(以下、マタイ伝などとする)とヨハネ伝の違いに着目して、バッハが《マタイ受難曲》でロ短調とニ長調に込めた思いを読み解いていく。得られた結論は、《ロ短調ミサ曲》は音楽的にも、思想的にも《マタイ受難曲》の延長上にあり、バッハが後世に遺した遺書であったというものである。さらに、これまでの《マタイ受難曲》歌詞の英語訳、日本語訳に見られる多くの解釈は、バッハが敬虔なクリスチャンであったという先入観にとらわれて、聖書的に改変され、多くが訳者によるバッハの改ざんに近いものである事を明らかにする。本研究で明らかになった事は以下の通りである。《マタイ受難曲》に書き込まれたバッハの思想とは、「イエスがもっとも愛した使徒は偽善者ペテロではなく、イエスを裏切ったのちに、それを真に悔いたイスカリオテのユダであった。さらに、そのユダへの愛と救済は、彼一人に留まらず、イエスを憎み、嘲笑し、十字架に掛けよと叫んだユダヤの人々にも及ぶ」というものである。さらにいえば、バッハはイエスを神というよりも人として描いている。また、十字架から降ろされた直後のイエスは息絶えていなかったとし、最終的には、個々の「私」の心の中でイエスは永遠の安息についた(心に残った)とする。「私」とはイエスによる救いの対象になった者たちであり、バッハ自身でもある。つまり、バッハはイエスの復活神話を否定しているのである。本論の骨格は1998年に完成し、京都のあるアマチュア合唱団が《マタイ受難曲》公演に参加するに先立ち、団員に冊子として配布された。その小論に加筆したうえで、Web上で公開するために、改めてダイジェストしたものが本稿である。それを世に問おうと思ったきっかけは、ベルファスト大学の富田庸教授に紹介されて「Lutheranism, Anti-Judaism, and Bach’s St. John Passion by Michael Marissen, 1998, Oxford University Press, New York」を読んだことと、そのあとでNHKが放送した「20世紀の映像」というBBC放送制作のドキュメンタリーを見たことである。それらは、それぞれが別の意味でバッハの受難曲を誤解しているように思えた。その後、諸般の事情があって10年を経た。

本書が想定する読者は、J. S. バッハの音楽を愛する、あるいはこれから愛するであろうすべてのバッハファン、潜在的なバッハファンである。しかし、一般のバッハファンにだけでなく、バッハを演奏し、研究する人たちへの問題提起でもある。私自身は、長く、骨粗鬆症、アルツハイマー病3、不安障害7などの分子遺伝学的研究に携わってきた者で、音楽学を専門に学んだことはない。従って、科学的に研究したとは言え、本稿は学術書の条件を満たしていない。利用した資料の多くは二次資料、しかも大部分は日本語文献であり、一般には入手が難しい原著、原譜にあたっているものは少ないからである。一般のバッハファンにとって読みづらいものになると懸念しながらも、少なからず注釈を挿入したのはそのためである。周知となっている事実については、出典を示していない場合もあるが、音楽家、音楽学者であれば、本論が参考にした原資料は容易に取得できる筈であり、上記のような限界を持つとはいえ、結論の再現性は確認できるはずである。建設的な批判はありがたく受けるが、根拠のないものや、感情的な中傷は容赦いただきたい。また、できるだけ多くの方に読んでいただくために、論理的記述の厳密さよりも、表現の平易さ、読みやすさに心がけたところもある。なお、引用した文献、資料のリスト、助言をいただいた方々への謝意は、最後に記させていただく。

                                                                                                     橋本=後藤 保

                                                                                                     2010年12月25日京都にて


補足:筆者は、本論において今日のいかなる宗教的、政治的立場について、肯定的、否定的を含む何らの評価を下す意図がないことを明確にする。この研究は、取り上げた芸術作品が描かれ、演奏され、公表されたそれぞれの歴史的時代とその時々の社会的文脈の中で主流であった考え方についてのみ言及するものである。                         2012年5月29日


                                                                                           

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