最初にことわっておくと、MP50dのテキストとロ短調の美しい旋律が乖離していることに言及した文献を探したが、音楽家でも、音楽学者でもない私が入手できる範囲では見つける事は出来なかった。調性と歌詞の関係にさしたる意味は無く、楽器編成や前後の曲との関係などでたまたまロ短調が選ばれた可能性がなくもない。その解釈に立てば、この乖離を特に説明する必要はない。しかし、血なまぐさい「祟り」や「呪い」を予感させる聖句に付けられた美しいロ短調はいかにもそれにそぐわない。しかも、この合唱が「über uns, über uns und unsre Kinder」と繰り返す最後の8拍で突然、明るいニ長調に転調するのは希望さえ感じさせ、何らかの意図なしに転調させたとは、考えにくい。この曲を速く、荒々しく演奏すれば、この乖離に悩む必要はない。結果的に、それはマタイ教団の反ユダヤ主義を喧伝していることになり、それなりに演奏者の主張である。倫理的な問題はともかく、一つの解釈であることには違いない。磯山雅氏(以下、敬称略)は、その著『マタイ受難曲』初版で、《マタイ受難曲》の中には5つ(後に7つに訂正)のロ短調の曲があり、「いずれも痛切な表現を特色とし、その多くがイエスを心から案じ、思いやる内容をもっている」としている。しかし、それは必ずしも当たっていない。最初に指摘した5曲(MP3、MP5、MP8、MP30、MP46)は確かにそう言えるが、あとから追加した2曲のうち、MP25は神への堅き信仰を歌い、MP39は信仰弱き者へも神の慈悲があるようにと願っている。イエスへの痛切な気持ちを歌っているわけではない。しかし、MP50dだけでなく、《マタイ受難曲》には他にもMP50b、MP58bがロ短調で書かれており、これらはイエスへの憎悪、殺意、嘲笑を歌っている。たとえ開始と終結の小節が、前後の曲と重なっていても、これら3曲は調性的には独立した曲と数えるべきである。現に磯山らが編纂した『バッハ事典(磯山雅、小林義武、鳴海史生編著)』でもそのように扱っている。以上の10曲を見る限りは、バッハのロ短調が、イエスへの愛、イエスを思いやる気持ちに特化して使われていないことは明らかである。

バッハと同時代のJ.マッテゾン(1681-1764)は「新設のオーケストラ(1713年)」の中で、ロ短調を次のように説明している。「ロ短調は、奇異で不快、メランコリックなものである。このため、めったに用いられない。昔の人達が、この調を修道院と僧房から排斥しただけでなく、心に思い浮かべることをも禁じたのは、おそらく、ロ短調がこうした性格をもっているからであろう。」(『新設のオルケストラ』第3部第2章の「各調の性質とアフェクト表現上の作用について」、1713年より。山下道子訳)」。バッハはこのマッテゾンの調性論を読んでいたはずであり、その彼に対してバッハは個人的に良い感情を抱いていなかったことが知られている。マッテゾンが書いた調性論が意味するのは、本質的には鍵盤楽器の調律法の問題であるが、基本的にア・カペラで歌うグレゴリオ聖歌が発展する過程で生まれた全音階からなる教会旋法でも、ロ音から音階を始めると、ロ(H)↔ ヘ(F)という不協和な増四度(三全音または減五度)が中央に現れて、歌いにくいことから「悪魔の音階(diabolus in musica)」として排除されていた(注1)。つまり、バロック期前ではロ短調には、反キリスト教的、あるいは反教会的なニュアンスがあったのである。そのことから、磯山は「バロック期においてロ短調は2#という単純な見かけにもかかわらず、いわば音楽的表現の処女地であり、バッハの想像意欲を刺激したために、マタイ受難曲で多用された」という。さらに彼は《平均律クラヴィーア曲集》だけではなく、バッハは頻繁にロ短調を使っているという。しかし、実際にはそうとは言えないことを、土田英三郎が明らかにしている(角倉一朗監修、「バッハ事典」の『調』の項参照)。したがって、「表現の処女地ゆえにバッハがロ短調を好んだ」という説は、器楽作品でロ短調が好んで使われたという事実がないことや、声楽曲でも《マタイ受難曲》のわずか数年前に書かれた《ヨハネ受難曲》でロ短調がほとんど使われていないことを説明できない。従って、字義通りの意味では、この主張には説得力があるとは言えないのである。

一方、ロ短調に悪魔的ニュアンスがあったと言われていたことを逆手にとり、バッハがそれを意識してMP50dに「悪魔的な意味で」ロ短調を使ったという可能性はあるのだろうか。バッハなら、そのくらいのことをしても不思議ではない。もしそうであるなら、ロ短調で書かれた多くの曲はネガティブな意味を持つはずである。しかし、そうではない事は磯山自身があげた上記7例が示しているとおりである。ならば、バッハの調性選択にはさしたる意味はなく、調性格論的な意味付けには無頓着であったと結論してもいいのだろうか。それを検証するために、次節では、《ヨハネ受難曲》や《マタイ受難曲》でロ短調がどのように使われているかを具体的に比較検討したうえで、さらに現存するバッハの器楽曲、宗教曲間で調性分布を比較する(注2)。


(注1) 「ア・カペラ」はイタリア語の「聖堂で」、あるいは「教会で」を意味する「a cappella (at chapel)」という副詞句に由来する。かってはグレゴリオ聖歌の合唱を指していたが、現在では、原義から派生して、多声部の曲を器楽伴奏なしで合唱するという一般的な意味で使われる。グレゴリオ聖歌は、教皇グレゴリウス1世(590-604)が編纂したと信じられているが、9〜10 世紀のローマカトリックで発展した。歴史的には、教会では男性によって、修道会では修道僧、修道女によって歌われた。聖霊の象徴である鳩に霊感をうけてグレゴリウス1世が書いたとされたことから、聖歌自身に聖性が備わったとされる。ローマカトリックの公式な聖歌として、典礼に基づくミサや修道院で歌われ、その発展過程で、教会旋法が成立し、グレゴリオ聖歌は8つの旋法で体系づけられた。音階は12音音階ではなく、6音音階が使用され、現代の全音階に含まれる音と、変ロにあたる音が使用される。

(注2) バッハの器楽作品における短調と長調の使用頻度(コラ−ル、疑作、偽作を除く307曲)を土田英三郎のデ−タをもとにグラフにして、バッハのクラヴィーア曲、作曲年代別教会カンタ−タ、バッハの四大宗教曲(ヨハネ受難曲,マタイ受難曲、クリスマス・オラトリオ、ミサ曲ロ短調)中での調性使用頻度の割合を比較していく。ただし、後に述べるように、転調が繰り返されて、主要調性の決定が困難なレチタチーボや福音史家の曲は解析の対象外とした。


Back                            目次                       Next

2章 調性分析Key distribution analysis)

(1) 宗教曲でロ短調が持つ意味 (Significance of using B minor key in sacred musical works)