(8) MP50e:38,MP53a:1,MP53a:2-3,MP53a:4,MP53a:5,MP55:5,MP58a:1-3,MP58a:3-5, MP58a:10-15

       


41. MP50e:38

Dバッハ     aber Jesum ließ er geißeln

  直訳      そこで、彼はイエスを鞭打たせて


  英語版     (Pilate) having scourged and beaten Jesus,

  ZPA         he had Jesus scourged

  YS文語    ここにピラト、...、イエスを鞭打たせ

  YS口語    そこで、ピラトは....、イエスを鞭で打たせた

  TM         そこで、ピラトは....、イエスをむち打ったのち、

  K·M        そこで、ピラトは....、イエスをむちで打たせたのち、

  RH         そこで、ピラトは....、イエスを鞭打ってから、

  TI           そこでピラトは....、イエスを鞭打たせて

  KT        (彼は)イエスの方は鞭打たせ


マタイ伝27:26

ギリシャ語  しかし、(ピラトは)イエスをむち打って


                 τον  δε       Ιησουν          φραγελλωσας

                           (1)しかし     (3)イエスを      (4)むち打って


ラテン語    すると、彼はイエスをむち打って


                Iesum       autem    flagellatum

                   (3)イエスを    (1)すると    (2, 4)彼は むち打って


決定版       Aber Jhesum lies er geisseln

カロフ版    Aber JEsum ließ er geisseln/

現代版       aber Jesus ließ er geißeln

DRB         Then he ...., and having scourged Jesus,

KJV          and when he had scourged Jesus,

RSV         Then he ...., and having scourged Jesus,

TEV         and after he had Jesus whipped,

文語訳      ここにピラト、...、イエスを鞭打ちて

口語訳      そこで、ピラトは...、イエスをむち打ったのち、

新改訳      そこで、ピラトは...、イエスをむち打ってから、

新共同訳   そこで、ピラトは...、イエスを鞭打ってから、


イエスをむち打ったのが、誰かという違いがある。ピラト自身が打ったのか、ピラトがユダヤ兵たちに打たせたのかである。聖書によっても異なる。バッハテキストでは、「ピラトは兵たちにイエスを打たせた」とあるのだが、解釈は分かれている。なぜ、このような混乱が起こるのだろうか。その理由の一つは、《ヨハネ受難曲》との関係にもある。


マリセンは、「ブロッケス受難詞で『ピラトがユダヤ兵にイエスをむち打たせた』とあるが、《ヨハネ受難曲》では、ピラト自身がむち打ったとしているので、バッハにはユダヤ人の責任を軽くする意図があった」と推論する。確かに、《ヨハネ受難曲》のJP18cでは「Da nahm Pilatus Jesum und geißelte ihn.(そこでピラトはイエスを捕え、彼をむち打った)」とあり、現代版ヨハネ伝19:1では、「Da nahm Pilatus Jesus und ließ ihn geißeln.(そこでピラトはイエスを捕え、彼をむち打たせた)」とある。これだけを見ると、イエスの死についてユダヤ人の責任を軽減する意図があったと思えなくもない()。


しかし、この問題はそれほど簡単ではない。なぜなら、ルター訳決定版のヨハネ伝は、「Da nam Pilatus Jhesum vnd geisselte Jn.(そこでピラトはイエスを捉え、そして彼をむち打った)」となっており、バッハがルター訳を書き写しただけという解釈も可能なのである。何よりも、もしバッハがそのような意図を持って、ピラトがイエスをむち打ったとしたのなら、その後に書かれた《マタイ受難曲》で、「ユダヤ兵がむち打った」と変更した理由が説明出来ない。したがって、この点については、マリセンの解釈が間違っていると思える。


ヨハネ伝19:1を英訳聖書で見ると、DRBは「Then therefore, Pilate took Jesus, and scourged him.(その時、かくしてピラトはイエスを捉え、そして彼をむち打った)」、KJVも「Then Pilate therefore took Jesus, and scourged him.(その時、ピラトはかくしてイエスを捉え、そして彼をむち打った。)」となっている。ラテン語のウルガータも「Tunc ergo  adprehendit Pilatus Iesum et flagellavit(その時、かくしてピラトはイエスを捉え、そしてむち打った)」であり、ギリシャ語正本でも「Τοτε ουν ελαβεν ο Πιλατοζ τον Ιησουν και εμαστιγωσεν.(さて、それからピラトはイエスを[連れて行って]そして鞭打った]となっていて、いずれもピラト自身がイエスをむち打ったとしている。エラスムス版では確認していないが、それを底本にしたウルガータ本やKJVが、ピラト説をとっているのでおそらく正本と同じと思われる。


したがって、ピラト説は、ルターの間違いでも、バッハの逸脱でもなく、バッハは聖書の通りに写した結論してもよいことになる。つまり、このことをもって、バッハが《ヨハネ受難曲》では、ユダヤ人の免責を企図したと結論することはできない。岩隈によれば、ヨハネ伝のこの箇所には「打たせた」とあるギリシャ語写本の異本もあるそうなので(岩隈直訳注希和対訳脚注つきヨハネ福音書下)、それがブロッケス受難詞で使われた可能性はあるが、バッハがその異本を知っていたかどうかは疑わしい。


一方、ここのマタイ伝の対応個所(27:26)では、決定版は「Jhesum lies er geisseln(彼はイエスをむち打たせた)」となっていて、ヨハネ伝の「Da nam Pilatus Jhesum vnd geisselte Jn(そこでピラトはイエスを捕らえて、むち打った)」とは違う。この「ließ (不定形lassen)」は、「兵たちがするがままにさせる」(放置)の意味にも、「ピラトが命令によりイエスをむち打たせる」(使役)の意味にもなる。前者であれば、ユダヤ兵の意志によりイエスは打たれたことになり彼らのイエスに対する憎悪を強調する。しかし、どちらであるかはルター訳からは判然としない。ちなみに、フランス語訳聖書では、特にヨハネ伝の場合は「打つように命じた」とあり、ユダヤ人の意思ではない事が明白である(表8注3参照)。


《ヨハネ受難曲》のこの場面で、ユダヤ人免責の意図をバッハが込めたのであれば、その後に作曲された《マタイ受難曲》の同じ場面で、「むち打たせた」とするのは不自然である。ウルガタ本でも「ピラトが打った」ことになっており、バッハの時代にすでに存在していたDRB、KJVでもそうなっている。決定版はヨハネ伝では「打った」、マタイ伝では「打たせた」だが、ドイツ語現代版はヨハネ伝もマタイ伝も「打たせた」となっている。ヨハネ伝と同様に、ウルガータ本、KJVも「ピラトが打った」なので、マタイ伝に関しては、ルターが誤訳した可能性がある。


参考までに、打ったのは誰かという視点で、筆者が知る範囲で福音書を分類すると以下のようになる。


表8 捕らえられたイエスをむち打ったのは誰か?

 


















この表を見ると、ヨハネ伝とマタイ伝に関する限り、4通りの組み合わせがすべてある。定本とする写本の違いだけでは説明できない。聖書の翻訳がこれほどに分かれる原因は不明。

1)バッハの《マルコ受難曲》、《ルカ受難曲》については真偽に議論があるが、いずれにしても思想的な資料価値はない(後述)。

2)ヨハネ伝には「兵たちに打たせた」とする異本あり。

3)マタイ伝では「il fit frapper Jésus à coups de fouet」と使役動詞(faire、〜させる)を使っているが、ヨハネ伝では「Pilate ordonna d'emmner Jésus et de le frapper à coups de fouet」と、ordonner de〜(〜するように命じる)を使って、ピラトの意志を明確にしている。

4)「むち打ちにした」とあり、どちらともとれる。


結論的に言えば、バッハはこの場面で《ヨハネ受難曲》、《マタイ受難曲》ともにルター訳聖書にしたがっているだけであり、マリセンが主張するように、《ヨハネ受難曲》ではユダヤ人の責任を軽くする意図でブロッケス受難詞を書き換えたという推論は成立しないようである。


(注)マリセンによれば、ここでピラトがむちで打たせた「兵たち」とは聖書学的にはロ−マ兵のことだが、当時のドイツでは、一般に「ユダヤ人傭兵」と理解されていたという。


42. MP53a:1

D   バッハ   die Kriegsknechte des Landflegers

      直訳     総督の奴隷兵たちは


     英語版     The governor's soldiers

     ZPA        the governor's soldiers

     YS文語     総督の兵卒ども

     YS口語     そこで総督配下の兵卒たち

     TM          総督の兵士たち

     K·M         総督の兵士たち

     RH          総督の兵士たち

     TI            総督の兵卒たち

     KT          地方代官の兵隊奴隷


マタイ伝27:27

ギリシャ語  総督の兵たち


                  οι  στρατιωται  του   ηγεμονος

                             (2)兵隊らは                 (1)総督の


ラテン語    総督の兵たち


                 milites        praesidis

                     (2)兵たちは     (1)総督の


決定版       die Kriegsknechte des Landflegers

カロフ版    die Kriegs Knechte des Landflegers

現代版     die Soldaten des Statthalters

DRB          the soldiers of the governor

KJV          the soldiers of the governor

RSV          the soldiers of the governor

TEV          Pilate's soldiers

文語訳       総督の兵卒ども

口語訳       総督の兵士たち

新改訳       総督の兵士たちは、

新共同訳    総督の兵士たち


「Kriegsknechte」は「Kriegs(戦争[用]の)」と「Knecht(奴隷)」の合成語で「奴隷兵」を意味する。ギリシャ語、ラテン語には「Knecht(奴隷)」に相当する語はないので、聖書学的には「兵たち」と訳しても間違いではない。しかし、ここで「Kriegsknechte」がローマ兵か、ローマが占領しているイスラエルから徴用されたユダヤ兵かあるいはユダヤ人傭兵かと、考えると単に「兵たち」とするか、「奴隷兵たち」と訳すかの違いは重要である。。新共同訳注解によれば、「エルサレム常駐の部隊のほか総督とともにカイサリアから来た部隊もおり、その数はロマ軍の部隊編成から考えて600ないし1000名と推定される。ユダヤ人は兵役を免除されていたので、兵隊は主にパレスチナ内の他民族出身の傭兵であった。彼らが.....イエスを....嬲り者にして嘲弄を加えた。」とある。史実としては、兵たちはユダヤ人ではないのである。


岩隈によれば「『総督の兵士は』カイサレイアから総督について来た部隊に属するもの」という。これらが正しければ、「兵たち」が、イエスが神殿で教えていたときにそばにいることはありえない。ユダヤ人ではないローマ兵はユダヤ教の神殿には入れないし、入りもしないからである。


マリセンはルター訳聖書で「Kriegsknechte」は「ユダヤ人」を意味しないが、ブロッケス受難詞ではこの語は「ユダヤ兵」をさしており、それは神殿でイエスの教えを聞いていたユダヤ人達のことを意味し、ブロッケス受難詞を使っていたバッハやヘンデルもその意味に理解していたという(Marrisen著、Lutheranism, Anti-Judaism, and Bach’s St. John Passion; p28-29)。そうであれば、ここを聖書学的に正しく「総督の兵たち」と訳すとユダヤ人を意味しないので、ユダヤ人を意味しうる「奴隷兵たち」とすべきである。この兵隊がローマ兵であれば、MP63a:14-18の主語、63bを歌う主体がユダヤ兵ではなかったことになる。ロ短調仮説が想定する《マタイ受難曲》で表現されたバッハの思想が崩れるほどの重要なところである(本章57項と逐語訳参照)。



43. MP53a:2-3

D  バッハ     das Richthaus

     直訳       裁判所の建物


   英語版     the common hall

   ZPA        the praetorium

   YS文語    総督官邸

   YS口語    総督公邸

   TM         官邸

   K·M        官邸

   RH         総督官邸

   TI           官邸

   KT          裁判所の建物


マタイ伝、27:27

ギリシャ語  官邸


                 το  πραιτω   τριον

                              官邸


ラテン語   執政官邸


                praetorio

                   執政官邸


決定版      das Richthaus/

カロフ版   das Richthaus/

現代版  das Prätorium

DRB        the hall

KJV         the common hall

RSV        the praetorium

TEV        the governor's palace

文語訳     官邸

口語訳     官邸

新改訳     官邸

新共同訳  総督官邸


MP45a(マタイ伝27:19)で、すでにピラトが「裁判官席(Richtstuel)」についてイエスに判決したのだから、そのあとで奴隷兵たちがイエスを「裁判所(Richthaus)」に連れていくというのは不自然であるとも言える。実際に多くの聖書はギリシャ語に従って官邸または総督官邸としている。しかし、ピラトは普段はエルサレムには住んでおらず、過越祭のためにカイサリアから出てきているのだから、総督官邸がエルサレムにあるというのも史実としてはおかしい。岩隈は、「総督官邸」ではなく「総督官舎」と訳している。いずれにしても、ルター訳に従ったバッハテキストでは明らかに裁判所を意味しているので、聖書学的に訳すべきではない。KTのように裁判所内の別の建物、あるいは別の家屋と解釈すれば、不自然ではない。



44. MP53a:4

D  バッハ    die ganze Schar

      直訳      部隊の全員


   英語版     all their band

   ZPA        all the troops

   YS文語    全部隊

   YS口語    全部隊

   TM         全部隊

   K·M        全部隊

   RH          部隊の全員

   TI           全部隊

   KT          一群の兵たち


マタイ伝27:27

ギリシャ語   全部隊


                  ολην  την  σπειραν.

                               (1)全         (2)部隊を


ラテン語     全部隊


               eum  universam  cohortem

                   (1)全   (2)部隊を


決定版        die ganze Schar

カロフ版     die ganze Schaar

現代版        die ganze Abteilung

DRB           the whole band

KJV           the whole band of soldiers

RSV           the whole battalion

TEV           the whole company

文語訳        全隊

口語訳        全部隊

新改訳        全部隊

新共同訳     部隊の全員


岩隈は「σπειραν(スペイラはアントニアの城塞にいる守備隊(その隊長を千卒長という)であろうか。」と書いている。史実では「総督の兵たち」とはユダヤ人ではないローマ兵である。しかし、バッハが「総督の兵たち」をユダヤ人傭兵と理解していたのなら、この部分の前後を聖書にそって「正しく」訳すことはバッハから逸脱することになる。日本語で「全部隊」という場合は、「(複数の)部隊を全部」という意味と「ある特定の部隊の全員を」という意味の二通りに解釈出来るが、ドイツ語の「die ganze Schar」は後者の意味である。



45. MP53a:5

E  バッハ     und legeten ihm einen Purpurmantel an

     直訳       そして彼の上に一着の紫色のコートまとわせ


   英語版     and put upon Him then instead a scarlet robe

   ZPA        and put upon him a purple robe

   YS文語    緋色の上衣着せ

   YS口語    緋色の外套まとわせ

   TM          赤い外套着せ

   K·M         赤い外套着せ

   RH          赤い外套着せ

   TI            緋色の上衣着せた

   KT          紫色の衣着せ


マタイ伝27:28

ギリシャ語  彼に緋色の外套まとわせた


                  χλαμυδα  κοκκινην  περιεθηκαν  αυτω,

                             (3)外套を   (2)緋色の   (4)まとわせた  (1)彼に


ラテン語  彼に緋色の外套まとわせた


                  clamydem  occineam  circumdederunt  ei

                       (3)外套を     (2)緋色の     (4)まとわせた        (1)彼に


決定版         vnd legten jm einen Purpur mantel an

カロフ版      und legten ihm einen Purpur Mantel an

現代版         und legten ihm einen Purpurmantel an

DRB          put a scarlet cloak about him.

KJV            and put on him a scarlet robe.

RSV           and put a scarlet robe upon him,

TEV           and put a scarlet robe on him,

文語訳        緋色の上衣きせ

口語訳        赤い外套着せ

新改訳        緋色の上着着せた

新共同訳     赤い外套着せ


二つの問題がある。最初は「legten」が「legeten」と3音節にされていること。この一語に16分音符を3つ使っている。兵たちがイエスに行った行為を強調することで、受難の悲劇性がより印象づけられる。 直訳は「着せ」を「まとわせ」とすることで、イエスへの侮辱、嘲笑を強調してみた。 英語では「put on」とするより、「put upon」とすることで、同様に音節数を増やすことができる。


二つ目は、「Purpurmantel」である。 古代の王侯や、ロマ皇帝は紫色の王衣を着ていたことから、兵たちがイエスを「ユダヤの王」と嘲って王衣に見立てた外套を着せたというのだが、「赤い」や「緋色の」よりも「紫色の」の方が、「高貴な」イメジがある。また、Purpurはドイツ語ではPurpurschnecke(ほねがい、てっぽらなどの紫色、深紅色の原料となる貝類)に由来するので、日本語の「赤い」で想像する色ではない。緋色は聖書に近いが、上記の意味でも、バッハテキストに忠実であるなら「紫色」と訳すべき。

いいだろう。



46. MP55:5

Cバッハ      funden sie einen Menschen von Kyrene mit Namen Simon;

   直訳        シモンという名を持つ、キュレネから来た一人の男を見つけた。


   英語版      they met there a man from Cyrene, whose name was Simon,

   ZPA         they found a man who came from Cyrene, whose name was Simon,

   YS文語    シモンというクレネ人に会いたれば、

   YS口語    シモンという名のクレネ人に出会あったので、

   TM        (出ていくと)、シモンという名のクレネ人に出会ったので、

   K·M       (出ていくと)、シモンという名のクレネ人に出会ったので、

   RH        (出ていくと)、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、

   TI          (出ていくと)、シモンという名のキレネ人に出会った。

   KT         (外に出ると)キュレネ出身の人物でシモンという名の男を見つけた。


マタイ伝27:32


ギリシャ語  彼らは、名をシモンというクレネの人を見いだして


                 ευρον                       ανθρωπον   Κυρηναιον   ονοματι    Σιμωνα,

                             (1,6)彼らは見出して  (5)人            (4)クレネの    (2)名前を    (3)シモン(という人)を


ラテン語   彼らは、名をシモンというクレネの人を見いだして


                 autem   invenerunt          hominem  cyreneum  nominee  Simonem

                     (1)しかし  (2,7)彼らは見出して  (6)人を         (5)クレネの    (3)名前を     (4)シモンという


決定版       funden sie einen Menschen von Kyrene / mit namen Simon/

カロフ版    funden sie einen Menschen von Kyrene mit namen Simon

現代版       fanden sie einen Menschen aus Kyrene mit Namen Simon;

DRB         they found a man of Cyrene, named Simon:

KJV          they found a man of Çȳ-rē’nē, Simon by name:

RSV          they came upon a  man of Cyrene, Simon by name;

TEV          a man from Cyrene named Simon,

文語訳       シモンといふクレネ人(びと)に会ひしかば、

口語訳       彼らが(出て行くと)、シモンという名のクレネ人(びと)に出会ったので、

新改訳       彼らが(出て行くと)、シモンというクレネ人(じん)を見つけたので、

新共同訳    兵士たちは(出ていくと)、シモンという名前のキレネ人(じん)に出会ったので、


ドイツ語では地名の前のausは出身、出自を表し、vonは空間または時間的な方向、起点を意味する。決定版、カロフ版とバッハテキストでは「キレネという町から来たシモン」の意味になる。現代版はausとしており、ギリシャ語聖書に従ってシモンがキレネの生まれであることを明確にしている。英語のfromはどちらともとれるがニュアンスとしてはvonに近い。ただし、バッハの当時は、von も出身を意味した可能性があるのかもしれないが、筆者にはわからない。RSVなどは「of」として現代版と同じく出身であるとしている。すべての日本語聖書は「キレネ人(又はクレネ人)」としている。しかし、日本語特有の問題ではあるが、「〜人」という訳では、人種(あるいは国籍)と誤解されうる。キレネが北アフリカの地中海に面した町であり、シモンがそこに住むディアラスポラ(イスラエル外に住むユダヤ人)であったことを知る人は少ないだろう。彼らはアレキサンドリヤのディアラスポラなどとともにエルサレムの「解放された奴隷の会堂」派に属していたユダヤ人である(使途行伝6:9)。キリスト教では、「キレネ人」と訳しても問題ないのかもしれないが、バッハテキストの訳としては「キレネからの人」または「キレネ出身の男」とするほうが良い。


このシモンは十字架を背負ってイエスに従った人物である。彼の息子二人とともに、イエスに直接教えを受けたことのない最初のキリスト教徒になったとされる。キレネ(クレネ)の発音はギリシャ語「υυ」でも、ドイツ語「y」でも日本語にはない「イ」とも「ウ」ともつかない母音なので「キュレネ」に近い。


新共同訳注解によれば、当時は十字架の縦木は処刑場にあらかじめ立てられており、受刑者が首に罪状書きをぶら下げ背負わされて歩かされたのは、実際には横木だけだという。シモンが十字架を背負ったというのは「十字架=原罪」を背負うという象徴的な意味を持たせるための創作であろう。



47. MP58a:1-3

D  バッハ      Und da sie an die Stätte kamen mit Namen Golgatha, das ist verdeutscht Schädelstätt,

    直訳          そして、彼らはゴルゴタという名の場所に来たが、それはドイツ語で Schädelstätt (処刑場)

        のことである。


   英語版      And when in thiswise they were come to a place called Golgatha, that is to say "The Place

                        of Skulls,"

   ZPA       And when they came unto a place with the name of Golgotha, which is to say, the place of a

                        skull,

   YS文語   かくてゴルゴタという所、すなわち「髑髏(されこうべ)の所」に至り、

   YS口語   こうしてゴルゴタと呼ばれた場所、すなわち「どくろヶ丘」にやって来ると、

   TM        そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所に来たとき、

   K·M       そしてゴルゴタ、訳していえば、されこうべの場、という所に着くと、

   RH        ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、

   TI         こうして彼らはゴルゴタという名のところに来た。これはドイツ語で「されこうべの地」という意味であ

                       る

   KT        そしてゴルゴダという名の場所に来た。訳せば、髑髏の場所という意味である


マタイ伝27:33

ギリシャ語  そして、されこうべの場所と言われているところのゴルゴダと言われる場所に来たとき


                  Και            ελθοντες       εις        τοπον     λεγομενον   Γολγοθα,         ο              εστιν     Κρανιου

                             (1)そして    (11)来たとき  (10)に   (9)場所   (8)言われる    (7)ゴルゴタと   (6)ところの   (5)いる   (2)されこうべの

                              Τοπος          λεγομενος,

                            (3)場所と     (4)言われて


ラテン語     そして、頭蓋骨の場所であるところのゴルゴダと言われる場所に来たとき


                  Et               venerunt     in         locum     qui          dicitur       Golgotha     quod         est  

                              (1)そして    (11)来たとき  (10)に  (9)場所     (8)ところの  (7)言われる   (6)ゴルゴタと   (5)ところの   (4)ある

                               Calvariae   locus

                            (2)頭蓋骨の   (3)場所で


決定版        Vnd da sie an die Stet kamen mit namen Golgatha das ist verdeudschet Scheddelstet

カロフ版     Vnd da sie an die Städte kamen / mit namen Golgatha / das ist / verdeutschet

                       Scheddelstätt

現代版        Und als sie an die Stätte kamen mit Namen Golgatha, das heißt: Schädelstätte,

DRB          And they came to the place that is called Golgotha, which is the place of Calvary.

KJV           And when they were come unto a place called Gŏl’gō-thȧ, that is to say, a place of a skull,

RSV          And when they came to a place called Golgotha (which means the place of a skull),

TEV          They came to a place called Golgotha, which means, "The Place of the Skull,"

文語訳       かくてゴルゴタという處(ところ)、即ち髑髏(されこうべ)の地にいたり、

口語訳       そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、

新改訳       ゴルゴタという所(「どくろ」と言われている場所)に来てから、

新共同訳    そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、


ギリシャ語を音写して直訳すると、「そして、ゴルゴタといわれる場所、それはクラニオウ(ギリシャ語で頭蓋骨)と言われる場所、に来たとき」となる(ゴルゴタはアラム語で頭蓋骨、クラニオウはギリシャ語で頭蓋骨)。ルターは読者に、アラム語の「ゴルゴタ」を音写して残して、ギリシャ語の「クラニオウ(Κρανιου)」をドイツ語の「シェーデル(Scheddel)」に置き換えて「シェーデルステット(処刑場)」とした。そのために、本来はない「verdeutscht(ドイツ語で)」という語を補った。現代版では、ギリシャ語にないこの語を避けて、「heißt(〜と呼ばれる)」という語に修正している。


岩隈によればギリシャ語としては「λεγομενος(〜と言われる)」は不要で、初期の筆写者が偶然加えたという説もあるという。RSVと新改訳はなぜか、修飾節全体を括弧に入れている。新改訳はネストレ24版によるとあるので、その版にはこの節はないのかもしれない。一方、現代語訳聖書では、フランス語も含めて、チェックした限りの全ての聖書で、ルターのように「ドイツ語では」に相当する国語名を挿入したものはない。しかし、《マタイ受難曲》のバッハテキストの訳としては「verdeutscht(ドイツ語で)」を訳出すべきである。


日本語の「どくろ」、「されこうべ」は死体が白骨化したときの頭骸骨を意味するが、いかにもおどろおどろしく、恐怖心を煽る意図がうかがえる。しかし、ドイツ語のSchädelの原意は「頭部、頭蓋または頭蓋骨」であって必ずしも「白骨化した頭蓋骨」ではない。日本語で「首」が必ずしも「生首」を意味しないのと同様である。「Schädelstätt」は、「Schädel + stätt」からなるが、一語になると一般的に「刑場、処刑場」の意味である。ゴルゴダがアラム語であることや、それが頭蓋骨を意味することは、ギリシャ語では説明されているが、ルターの訳文では地名として使われており、この文脈からはゴルゴダという地名の場所にある処刑場という意味になる。。



48. MP58a:3-5

D  バッハ     gaben sie ihm Essig zu trinken mit Gallen vermischet;

     直訳           胆嚢を漬けこんだ酢を飲ませるため、彼に与えた。


   英語版     they gave him vinegar to drink that was mingled with gall,

   ZPA        they did give him vinegar to drink which had been mixed with gall;

   YS文語    苦艾(にがよもぎ)を混ぜたる葡萄酒を飲ませんとしたるに、

   YS口語    苦よもぎを混ぜたを飲ませようとしたが、

   TM         にがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、

   K·M        にがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、

   RH          苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、

   TI           イエスに、苦いものを混ぜた酸いぶどう酒を与えた。

   KT          イエスに苦りを混ぜた酢を与えた。


マタイ伝27:34

ギリシャ語   彼らは、彼に、苦みを混ぜられたぶどう酒を飲むために与えた


                  εδωκαν                   αυτω     πιειν              οινον              μετα   χολης     μεμιγμενον

                             (1, 9)彼らは与えた    (2)彼に  (7)飲むために  (6)ぶどう酒を  (4)を   (3)苦味    (5)まぜられた


ラテン語   そして、彼に、苦みと一緒に混ぜられたぶどう酒を飲むために与えた


      Etdederunt        ei        vinum            bibere          cum           felle          mixtum

(1)そして(2, 9)彼らは与えた   (3)彼に   (7)ぶどう酒を    (8)飲むために     (5)と一緒に   (4)苦味   (6)混ぜられた



決定版   gaben sie im Essig zu trincken mit Gallen vermischet

カロフ版  Gaben sie ihm Eßig zu trincken mit Gallen vermischt

現代版         gaben sie ihm Wein zu trinken mit Galle vermischt;

DRB           And they gave him wine to drink mingled with gall.

KJV            They gave him vinegar to drink mingled with gall:

RSV           they offered him wine to drink, mingled with gall;

TEV           There they offered Jesus wine mixed with a bitter substance;

文語訳        苦味を混ぜたる葡萄酒を飲ませんとしたるに、

口語訳        彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、

新改訳        彼らはイエスに、苦みを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした。

新共同訳     苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、


ギリシャ語の「οινονοινον)」はぶどう酒である。たとえば、οινον−ποτηςοινον−ποτησ)は「大酒飲み」であり、「酢」という意味はない。KJVが「οινον」をvinegar (酢)としたのは、英語の酢の語源がフランス語(vin+aigre[酸っぱいぶどう酒])なので混同したのだろうか。ドイツ語の「Essig(酢)」は、ラテン語のacetum(酢)が語源なので、英語とは異なり、「vin(ブドウまたはぶどう酒)」の含意は無い。ルターはなぜ、ぶどう酒を酢と訳したのかはわからない。ラテン語の「vinum」とは関係ないので、ウルガータ本からの重訳のせいとも思えない。 ルターはKJVを参考にしたのだろうか。


ちなみに、ヘブライ語、ギリシャ語で書かれた聖書は、長くラテン語訳しか許されていなかったが、ウルガータ本から重訳されたものを除けば、最初に聖書を自国語に訳したのはルターではなくウィリアム・チンダルの英語訳である。スイス、イギリスで発行され、その多くがKJVに反映された。ルターはギリシャ語が得意ではなかったと言われ、ウルガータ本を参考にしたらしいので、KJVも参照した可能性があるのかもしれない。


いずれにしても、ルターはここを「Essig(酢)」と訳した。MP11(マタイ伝26:29)の最後の晩餐の場面でイエスが「これからはブドウの実からできたものを飲まない」と言っているのに対応させたのかもしれないが、いずれにしても結果的にイエスはこれを飲まなかった。しかし、新共同訳注解によれば、本来は「エルサレムの女性団体は受刑者に多少の麻酔効果のあるぶどう酒を与え、断末魔の苦しみを和らげてやることにしていた」ことに由来しているという。そうだとすれば、これは人道的行為である。しかし、酢を与えることはイエスへの惨い仕打ちであり、受難の悲劇性がより強調される。


発酵学的には、アルコール発酵を経て酢酸発酵にいたるので、醸造に失敗して、ぶどう酒が酢になるというのはありうる。しかし、この酢は「Gallen(胆嚢の複数形)」が混ぜられていた(胆嚢が漬け込まれていた)。単数形の「Galle」には「(動物の)胆汁」、「苦み」や「不機嫌」などの意味があるがこれらは複数形をとらない。ギリシャ語の「χολη」は「胆汁」、「苦み」の意味だが、七十人訳聖書ではヘブル語の「苦よもぎ」のギリシャ語訳として使われているので、聖書学的には「苦よもぎ」と訳しても間違いでない。ラテン語の「fel」は「胆汁」。「Gallen」には日本語で言う海水からとれる「苦り」の意味はない。英語の「mingled with gall」、「mixed with gall」は「胆汁を混ぜた」という意味。いずれにしても、十字架上のイエスに与えられたものは、惨いものであった。



49. MP58a:10-15

D  バッハ    auf daß er füllet würde, das gesagt ist durch den Propheten: Sie haben meine Kleider unter

                       sich geteilet, und über mein Gewand haben sie das Los geworfen.

    直訳      それは預言者を通して次のように言われたことが成就するためである。「彼らは私の身ぐるみ一切

                      自分たちの間で分け、そして、彼らは私の上着をくじ引きにした。」


   英語版    that there might be accomplished that which by the prophet was spoken: "My garments they

          have parted, pated them among them, and for my vesture lots have they cast, yea lots

                      cast for it."

   ZPA     that it might be accompalished what had once been said by the prophet: "They have divided

                      all my garments among them and over mine own vesture did they cast lots."

    YS文語  こは、預言者によりて言われしことの成就せんためなり。いわく、「彼らわが衣(ころも)を互いに

                      分かち、わがのゆえに籤を引けり。」

   YS口語  これは預言者によって告げられたことが成就するためである。いわく、彼らがわがを互いに分かち、

                      わがのゆえにくじをひけり。」

   TM       これは、『彼らは互いにわたしの上着を分けあい、わたしのをくじ引きにした』と預言者の言ったこと

                      が成就されるためである。

   K·M     それは預言者の言ったことが成就するためである。すなわち「彼らは私の着物を分け、それをくじ引き

                      にした」とある。

   RH       これは預言者たちによって言われたことが、成就するためである。「彼らはわたしのを分けあい

                     わたしののためにくじを引いた」

   TI         それは、預言者を通じて言われたことが成就するためである。「彼らは私のを仲間内で分け、私の

                     めぐってくじを引いた。」

   KT        またその着ていたものを分け、籤を引た。予言者たちによって言われていることが成就するためであ

                     る。


マタイ伝27:35(異本による)

ギリシャ語   該当無し。ただし、異本として以下の挿入が注として示されている。

                       ινα πληρωθη το ρηθεν δια (υπο) του προφητου (+λεγοντος) διεμερισαντο τα ιματια μου εαυτοις,

                               και επι τον ιματισμον μου ελαβον κληρον.

                    「(これは)預言者によって言われた、『彼らはわたしの着物を自分たちで分配した、そしてわたしの

                       着物のことでくじを引いた』という言葉が成就されるため(であった)」。引用は詩編22:18

                     (ヨハネ伝19:24参照)。

ラテン語      該当無し。ただし、異本として以下の挿入が注に示されている。

                       mittentes + ut impleretur (adimpleretur P) quod dictum est per prophetam (+dicentem

                       ZPΦc) diuiserunt sibi (om. Z) uestimenta mea et super uestem meam (uestimentum

                      meum P) miserunt sortem AZPΦc

決定版         Auff das erfüllet würde/das gesagt ist durch den Propheten/Sie haben meine Kleider vnter

                       sich geteilet/Vnd vber mein Gewand haben sie das Los geworffen.

カロフ版      auf daß erfüllet würde / das gesagt ist/ durch den Propheten Sie haben meine Kleider

                       unter sich getheilet/ und uber mein Gewand haben sie das Loß geworfen.

現代版        該当無し。ただし、異本として以下の挿入が注として示されている。

》damit erfüllt werde, was gesagt ist durch den Propheten (Psalm 22, 19): Sie haben meine

                       Kleider unter sich geteilt und haben über mein Gewand das Los geworfen 《 (vgl. Joh

                       19, 24)

DRB           that it might be fulfilled which was spoken by the prophet, saying: They divided my

                       garments among them; and upon my vesture they cast lots.

KJV           that it might be fulfilled which ws spoken by the prophet, They parted my garments among

                       them, and upon my vesture did they cast lots.

RSV          該当無し。

TEV          該当無し。

文語訳       該当無し。

口語訳       該当無し。

新改訳       該当無し。

新共同訳    該当無し。


ここはギリシャ語正文にはない。エラスムス版に由来すると思われる。現代版ウルガータ本も注で示しているが、本文に含めていない。ウルガータ本からの重訳であるDRBは本文に含めている。エラスムス版を底本にしたKJVも本文に含めている。ルター訳の現代版も異本として紹介している。この文章は日本語訳聖書にはないためか対訳の不統一が目立つ。


ルターはギリシャ語複数形の「ιματια衣服)」に複数形の「Kleider(全ての衣服)」を当てて、単数形の「ιματισμον」に単数形の「Gewand(下着は含まない式服、衣装、法衣などの上着)」を当てている。ラテン語も、ギリシャ語と同様に、複数形「vestimenta」と単数形「vestimentum(vestumは省略形)」で分けている。


情景としては、兵たちは、イエスから全ての衣服をはぎ取り、素裸にされたイエスの前で、それらの衣服の一つ一つを分けあった光景が目に浮かぶ。その過程で、上着については、くじ引きを行った。ルターが単に、複数形、単数形とせずに別の単語を宛てて「Kleider」、「Gewand」としているのは、そのように解釈したからであろう。日本語対訳は統一されていない。このことは、バッハテキストの解釈が、バッハが読んだこともない現代語訳聖書によって強く影響されていることを改めて示している。 英語訳聖書(DRB、KJV)は、「garments(下着、上着を含む衣服一般)」と「vesture(下着は含まない服装、単数形しか無い)」という別単語に訳しているので、英語対訳でもそれが踏襲されている。


衣服をはぎ取って分け合うことは、当時の習慣であり、イエスにだけ行われたことではない。しかし、ユダヤ兵たちが役得として死刑囚の衣服を奪うことは、「苦難を受ける義人」としてのイエスが受けた「受難、苦痛、恥辱」の惨さを強調するために伝承されて来た。しかし、《マタイ受難曲》では、前項の「酢」と同様に、イエスの受難の悲劇性を強調することで、そのような悲惨を受けいれ、身代わりの神の子羊となったイエスの愛を際立たせる効果を生むことになる。


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