(2) ト短調とロ短調に差別化されたゲッセマネの祈り (Differential use of G and B minor keys for the prays in Gethsemane)

ロ短調で歌われる曲を探すと、既に述べたように《ヨハネ受難曲》で2曲、《マタイ受難曲》で10曲が見つかった。前者では2曲のどちらもがイエスへの想いとは無関係な内容であったが、《マタイ受難曲》の10曲はすべてがイエスへの哀切、信頼、憎悪など、何らかの想いを表現していた。他方、イエスが歌うパッセージでは、4ヶ所でロ短調が使われていた。その4ヶ所はいずれも、イエスの愛に関わる内容である。イエスはユダヤ人の奸計にはまって、冤罪に落ちた弱者ではなく、自らの自由意志で死を受け入れた。人々のために「犠牲(いけにえ)の小羊」となって血を流す決意をしたイエスの歌にロ短調が使われているのである。

バッハがロ短調に含ませた意味を考える時に、決定的に重要な鍵を与えるのが、文脈が似ているが意味が微妙に異なるテキストが、近接して繰り返される箇所である。なぜなら、両者の間にある歌詞の「微妙な意味の違い」が異なる調性で表現されていれば、その調性の差別化がバッハの調性論を反映している可能性が高いからである。そのような観点で、《マタイ受難曲》の譜を見ると、先に触れた二度の「ゲッセマネの祈り」が、まさにそういう箇所である。MP21:3-7譜例16で「Mein Vater, ists möglich, so gehe dieser Kelch von  mir; doch nicht wie ich will, sondern wie du will.」(わが父よ、出来ることならこの盃を私から取り去って下さい。しかし、私が望むからではなく、あなたの意思でそのようにしてください。)とある箇所が、次に出てくるMP24:11-15譜例17の祈りでは、「Mein Vater, ists nicht möglich, daß dieser Kelch von mir gehe, ich trinke ihn denn, so geschehe dein Wille.(わが父よ、この盃が私から去ることかなわぬなら、その時は私はそれを飲みます。そうすればあなたの意志が適います)(注2)」とある。譜例16と譜例17を比べて、それらの歌詞の微妙な違いとバッハによる調性の差別化を比較していただきたい。

一度目の祈りには、死にたくないというイエスの迷い、死への苦悶が現れている。神への生け贄になるべき運命(さだめ)にイエスの迷いが表白されているのである。まさに苦悶の祈りである。このような迷いがイエスにあったと認めると、彼の神性が貶められるという議論もありうる。現に、ヨハネ伝ではこの場面はない。しかし、逆に言えば、これはイエスの人間性が浮かび上がり、人としてのイエスに我々がたまらなく共感を覚える場面でもある。次に、二度目の祈りでは、「それが父なる神の意志であれば、自分は毒を飲む(死を受け入れる)」というイエスの決意、自発的意思が表白される。人々の(原)罪(the original sin)を負って、身代わりとして十字架に上がることを受け入れる決意、あるいは愛の祈りである。おそらく、これらの祈りに相当する場面が史実としてもあったのであろう。史実にもっとも近いとされるマルコ伝では、イエスは苦悶の祈りしかあげていない。しかし、先に述べたように、4つの福音書でこの部分の記述がすべて異なる。ということは、初期キリスト教団では、これをどう解釈するか、あるいは信者にどのように説明するかという点で混乱があったのであろう。しかし、芸術作品としての《マタイ受難曲》を鑑賞したいというものにとって、問題なのはキリスト教の立場ではなく、バッハの立場であり、思想である。ここで、重要なことは、「苦悶の祈り」がト短調で、「愛の祈り」がロ短調でと、調性が差別化されていることである(注3)。これが意味しているのは、ゲッセマネでの1度目の祈りと、2度目の祈りの対比、差別化である。MP21:3-7の苦悶の祈りを、イエスはト短調で歌い、全音上がったイ短調を経て、MP24:11-15の決意の祈りではさらに二度上ってロ短調(2#)で歌う。そして、きわめつけは、イエスが死刑判決を受ける決定的証拠となる自白(私は神の子であると名乗ったと認める)「du sagests(あなたの言う通りだ)」をロ短調で歌うところである。つまり、ロ短調はイエスが自らの死を受け入れる自由意志、または愛による意思(the will due to the love)を表明するときに使われているのである。

マッテゾンによれば、ト短調は「優美で心地よく、憧憬、満足、真摯さと活気あふれる愛らしさを持つ。中庸な喜びと嘆きにふさわしく利用範囲の広い調であり」、ロ短調は「奇異で不快、メランコリックで、めったに用いられない調で、修道院と僧房から排斥されただけでなく、心に思い浮かべることをも禁じられた調である」。これを読むと、バッハはマッテゾンの調性論に無頓着であったというより、ことごとく逆らっているようにさえ思える。しかし、ゲッセマネの園の場面で、イエスの苦悶の祈りをト短調で、決意の祈りをロ短調でバッハが書いたからと言って、調性の違いがバッハの思想を反映していると即断していいのだろうか。強制ではなく、イエス自身の決意であればこそ、死の選択が愛であり得た(注4)のだとすれば、バッハにとっては、イエスが死を免れたいと思えば、彼はそれを回避できたことが示されていなければならない。マタイ伝を読む限りは、そうは書かれていない。そこでは、ユダヤ人たちの奸計(二人の偽証人の出現)こそがイエスに死をもたらした決定的な証拠とされている。この点において、マタイ伝から逸脱することなしには、イエスの死は彼の意志ではなく、ユダヤ人達の陰謀が成功したためということになる。

イエスへの死刑判決を最終的に下したのは、ローマから派遣された総督のピラトであった。しかし、それはユダヤ人たちには裁判権が奪われていたからであり形式上の問題にすぎない。イエスに実質上、死刑判決を下したのは、祭司長たちによって構成されるユダヤ法廷であった。その審議と判決は、当然、ユダヤ法(ミシュナー法典)によって支配される(注5)。そこで、問題になるのは、ユダヤ法で死刑に値する罪とはどのようなものか、そして実際に死刑判決を下すにはどのような要件が満たされなければならないのかである。イエスはおろかにもユダヤ人による奸計にはまり、冤罪による無念の死を遂げたのか、言い換えればイエスに逃れる術はなかったのか、あるいはユダヤ人の奸計は失敗したにもかかわらずイエスは自らの意思で死を選択したのか。そして、バッハがそれらをどのように知り、解釈し、音楽化したのかを検証しなければならない(8章3節参照)。

言い換えれば、それは、イエスが死ぬことで、人々の救いをもたらす小羊の犠牲の血をもたらすという「イエスの血=救い」の思想が《マタイ受難曲》の主要なテーマであることの証明でもある。50dで「イエスの血が我々と我々の子孫の上に落ちて来る」とユダヤ人たちが歌う合唱は、「イエスの愛の対象は彼らをも包む」と解釈してよいのか、またそれが示されるためになぜロ短調で書かれる必要があったのかということである(注6)。つまり、イエスの愛がロ短調で書かれ、その愛の対象がロ短調で歌い、それがニ長調に転調して終わる事で、イエスの愛が成就する、すなわちイエスによる救いが約束されるという仮説を証明できるのかということである。もし、以上の仮説が正しいなら、イエスの愛は、イエスを愛するもの、イエスを信じるものと同様に、イエスを憎み、嘲笑し、殺意すら抱くものやその子孫までをも包むとバッハは考えていたことになる。これは、当時のルター派教会では明らかな異端であり、公に主張することは不可能だったはずである(当時のドイツでユダヤ人がどのように扱われていたかは次章を参照)。

したがって、この仮説が正しいのであれば、バッハは巧妙で、用意周到な仕掛けを《マタイ受難曲》のなかに、もっとしているに違いない。それを見つけられなければ、単に、そう考える事も可能である程度の議論になり、数象徴論的際物バッハ論の域をでない。そうで無ければ、後世の我々が科学的に検証できる余地はない。本当にバッハ・コードなるものがあるのかということである。そのようなコードが見つかってこなければ、単に50dのテキストを多義的に解釈できるだけで、この曲がユダヤ人たちへの贖罪を意味しているというのはこじつけに過ぎないと言う批判に答える事はできない。つぎに、バッハの時代のドイツ人が、この《マタイ受難曲》を聴いて実際に、そのような異端性を感じ取った可能性があるのかについて検証しなければならない。

マタイ伝の受難物語(26、27章)のイエスの言葉には、ゲッセマネの園の場面を除いて内省的祈りや説教、神との対話は少なく、多くは弟子や、ユダヤ人聖職者、ローマ兵、ユダヤ人群衆との物語進行上のやりとりになっている。従って本来は、ヨハネ伝の方がマタイ伝よりも反ユダヤ主義的な表現は少なく、マタイ伝を定本にした受難曲のほうが、反ユダヤ主義的になりやすい。ヨハネ伝に比べて、マタイ伝はそれ自身がドラマ性に富んでおり、劇的であるということは、言い換えるとより具体的で、感情的な表現が多いということでもある。従って、マタイ伝が、キリスト教に改宗しないユダヤ人たちに対する最後通牒的な意味を持っていたというなら、その受難曲がそのままでは反ユダヤ的になりやすいのは当然の帰結である。したがって、受難物語を劇的にするためだけであれば、バッハがマタイ伝のテキストからあえて逸脱する必要はない。その意味では《ヨハネ受難曲》とは事情が違う。また、バッハが《マタイ受難曲》のなかで、イエスをより人間的に描きたかったとしても、《ヨハネ受難曲》に比べてテキストを書き換え、加筆する必要は無く、調性、リズム、装飾音などの音楽技術上のテクニックだけで十分に可能である。しかし、そうであれば逆に、聴衆がより深い聖書学的知識と音楽的感受性を持たないかぎり、演奏された曲を聴くだけで、マタイ伝とその受難曲の間に横たわるニュアンスの差を感じとることは難しい。非キリスト教圏のわれわれにとってはもちろんのことだが、キリスト教がかってほどに影響力をもたない現在の欧米でもそうである。もし、《マタイ受難曲》にバッハが書き込んだ思想(それが何であれ)を理解せずに批評すれば、「ごてごてした不自然な飾りが多くて混乱を来たしている」と評したシャイベのような批判が出てきてもおかしくはない。しかし、事実は逆である。当時のバッハの聴衆は《マタイ受難曲》を初めて聴いて、おそらく正しく理解したうえで、不快感を持ち、拒絶したのである。そして、初演100年後のメンデルスゾーンによる粗演でさえ、《マタイ受難曲》をいわば換骨奪胎し、バッハの思想を無視して、音楽史上で最高の作品であると絶賛したのである(注7)。それはそれで、間違っているとはいえない。所詮、芸術作品、とりわけ音楽作品は作者の死後に作者の意図から独立した作品として演奏される事は珍しくないし、メンデルゾーンの場合は、《マタイ受難曲》を復活演奏したという功績の方が大きい。しかい、バッハのオリジナルな演奏を復活させたいと思っている演奏家達が同じ事をするのは間違っていると言わざるを得ない。古楽器やソロ歌手による演奏を主張する前にもっと楽譜を研究して欲しい。ただ、バッハその人の思想と動機を誤解した上で、間違って演奏はして欲しくない、鑑賞したくないという立場があるのなら、その誤解を問い直してみる価値はあるだろう。やはり、これほどの名曲が誤解されたまま疎まれるのは残念としかいいようがない。優れた芸術作品を愛するとは、まさにそれをより深く理解したいと望む事である。

現代ではドイツ語を母語とする人でさえ、演奏を聴いただけで、バッハが《マタイ受難曲》に書き込んだ思想を理解することは難しい。むしろ、歌詞の意味が分かる故に理解できない、理解しようとすらしない傾向が出来てしまう。歌詞の意味が理解できることで、歌詞と旋律、和声との矛盾に気づかないということもある。これは日本人の歌手が歌う場合もあり得る。ドイツ語歌詞の意味を理解できる故に、深く問う事も無く曲自体を理解したつもりになるのだ。それが誤解かもしれないと思う事さえ無く。むしろ、歌詞よりも、音を理解し、解釈しようとする器楽演奏者のほうが悩み、考える事が多いかもしれない。歌詞の意味を優先的に考えないからだろう。しかし、それにもかかわらずバッハの時代のライプチッヒの上流市民は《マタイ受難曲》の中に、ある種の異端性を感じ取った。バッハのころの教会会衆は現代よりも音楽的感受性が豊かであったと言われる。礼拝にさきだって演奏されるオルガンコラールの出だしを聞いただけで、その日の説教が予想できたという。いわば、オルガン奏者が、牧師の説教を束縛する、あるいはその内容に影響を及ぼすこともあり得たのである。それゆえに、もし牧師の思想と一致しない思想を持つオルガニストがコラール選定権を持てば、牧師にとっては非常にやりにくい状況が現出したと想像できる。先にも触れた、《マタイ受難曲》には目立たない形で、音型論的、情緒論(注8)的な作曲法を応用した他の福音書(特にルカ伝)からの、聖句に頼らない「音楽的引用」が多数ある(MP24:3[ルカ伝22:46]、MP33:9[マルコ伝14:59]、MP42[ルカ伝16:24&32]、MP45a:14[ルカ伝23:20]、MP63a、b[ルカ伝23:47-48節]等(注9)(第8章参照)。これらはマタイ伝からの逸脱だが、多くは歌詞の検閲だけからは分からない。中にはバッハの聖書からの写し間違いかと思わせるような、意味上は重要だが、表面的には些細なものもある(対訳批判MP63c:33-37、MP66a:1-4参照)。もう一つ重要なことはルター訳聖書にも、マタイ伝の受難記事についてルカ伝23:47-48との混同と思われる間違いがあることである(マタ伝27:54、MP63a)。たとえば、新訳聖書のギリシャ語正文によれば、十字架上で死んだイエスを見て、「この人は真に神の子であった」と言ったのは、「百卒長と、彼と一緒に(mit)イエスを見張っていたローマ兵」のはずなのだが、エラスムス版のギリシャ語聖書から訳したとされるルターは、「百卒長と、彼の側にいて(bey)イエスを見守っていた一群の人々」が言ったかのように訳している(ルカ伝23:48)。私が参照したすべての聖書は、beibyそばでではなく、mitwithと共に一緒にと訳していて、ネストレ=アーラント26版に沿っている。このルターによる「誤訳(注10)」が重要な意味を持つことになる。このことは後でもう一度触れる(対訳批判MP63a:14-18参照)。

マリセンによれば、イエスの十字架上の受難の意味については3つの主要な神学上の考えかたがある。ルター派の中では、今でもそれらについての完全な合意は得られていないという。第1の説は古典理論(classic theory)またはキリストの勝利(Christus Victor)と呼ばれるもので、十字架は旧約に予言されたキリストについての言葉が成就されるためであったという説である。ヨハネ伝によるイエスの最後の言葉「事は成就した」がまさにそれである。第2の説はラテン理論(Latin Theory)または贖罪理論(Satisfaction  Theory)と言われるもので、イエスの受難は彼自身による他者の身代わりになるための自発的な意志(voluntarily will)によるものだという説である。この説では、罪なき「人」としてのイエスが浮かび上がって来る。第三の説は、倫理理論(Ethical Theory)と言われるもので、イエスの死は、人の子イエスとして顕現した神の人類への愛を意味するという説である。この説では神はイエスとして肉化したが、イエスの本質はあくまでも神である。最後の晩餐でイエスが「新しい契約のために流される私の血である」とワインを弟子達に与える場面はそのように理解されている。

問題は、バッハの思想はどの説に基づいているかである。すでに何度も述べてきたように、バッハが《マタイ受難曲》の中で採用したのは第2の説に近いものと思われる。そうであれば、イエスは、ユダヤ人たちの謀略に嵌められて、迫り来る死に怯え、苦悶しながら、無実の罪で十字架に付いた冤罪被害者ではない。そうではなく、イエスは愛ゆえに自らの意思で十字架に付いたのである。そのためには、ユダヤ人の謀略は成功しなかったにも関わらず、イエス自らが有罪となるべく「自白した」と表現されねばならない。このことをバッハはどのように音楽化したのであろうか。では、自白がイエスの自由意志であることを音楽的に表現するにバッハはどのような技法を駆使したかを検証しなければならない。そのために、《マタイ受難曲》で使われた聖句がどのようにマタイ伝から逸脱し、それらがどのように理解されているのかを、日本語、英語の種々の対訳と比較しながら検証したい。その前に、ドイツ史におけるユダヤ人問題について触れておくことは、特に日本人読者には必要であると思うので、次章で簡単に述べておく事にする。

(注1)しかし、マタイ伝26:60-61を読むと、ユダヤ人の奸計は成功し、二人の証人が、イエスが死刑に値する犯罪者であることを一致して証言したことになっている。ユダヤ人にすべての罪を押し付け、ピラトさえ免罪してローマ帝国内で存続を目指すマタイ教団の意図が見える。しかし、マルコ伝14:55-59では、証人による証言は細部に置いて一致せず、犯罪の証明は失敗したことになっている。ルカ伝22:66-71では該当する証人の登場はないが、イエス自身が死刑に値する神を冒涜する発言をしたことになっている。ヨハネ伝18:19-24では、大祭司が一般的な質問をするものの、死刑に値する犯罪者かどうかを詰問する審判は行われていない。証人の登場もないし、イエス自身による死刑に該当する発言もない。国教化を目指している教団らしい福音書になっている。バッハはここで、テキストではマタイ伝を逸脱しておらず、大祭司達がイエスの犯罪を証言する証人を捜したが見つからず(MP31:11-16、同33:1-3)、最後に二人の偽証人が現れた(マタイ伝26:59-60)。二人とも「イエスが神殿を壊して三日のうちに立て直すと発言した」と一致した証言を行う(MP33:5-11)。これはユダヤ法では神殿侮辱罪にあたり死刑にあたいする犯罪であった。しかし、同時にユダヤ法では、死刑判決を下すには、二人以上の証言が一致する必要があるとミシュナの法典で定められている。ここでバッハは、巧妙な方法でマタイ伝を逸脱している。MP33:9譜例23で二人の証言が細部に置いて一致しなかったことを、臨時記号の♭一つを用いて音楽的にマルコ伝を引用することで、ルカ伝からの引用でイエス自身の自由意志で死刑判決を受け入れたとする伏線を敷いているのである。このように、テキスト変えずに音楽的に巧妙な方法を使ってマタイ伝を逸脱し、マルコ伝とルカ伝を引用しているのである。詳細は対訳批判の章を参照。(注2)ここ使われたテキストはルター訳聖書によるものだが、厳密には二度目の祈りはギリシャ語正文や、現代ドイツ語訳を含む英語訳、フランス語訳などのの現代語訳聖書と違っている。ここでは詳しいことは避けるが、これはエラスムス版の間違いではなく、ルターの誤訳である。これがバッハにとって重要な意味をもつ。詳しくは、対訳批判の章で述べるが、二度目の祈りで、ルター訳聖書だけが、「ich trinke(私は飲む)」と直接法現在形でイエスの決意を示している。他の聖書は、「私が飲まなければ、」「飲まない限り、」などと条件となっている。後者では、イエスの意思=「愛の決意」は表現できない。聖書的に対訳を修正すると、バッハの改ざんになる典型的な箇所である。

(注3)これに関連して興味あるのは、神学者ヴァルター・ブランケンブルクの指摘である。以下は、小林義武による(「バッハによる調性の美学」音楽の宇宙、皆川達夫先生古希記念論文集、音楽之友社)。「ロ短調ミサ曲の調性はほとんどが2#のロ短調/ニ長調であるが、唯一《アニュス・デイ》だけはト短調で書かれている。これはイザヤ書第53章によれば、十字架に付けられたイエスを象徴する「神の子羊」は神性に対する極端な蔑みであり、ニ長調の下属短調であるト短調という低い調によって表現されていると、彼は説明している」という。小林はこれに対して、この論自身の説得力はあるが、そうならば、十字架刑というもっと直接に神性が辱められる場面である《Crucifixus》では(ホ短調が使われて[THG挿入])なぜト短調が使われないのか」と、疑問を呈している。しかし、私には、イザヤ書からというブンランケンブルクの解釈よりも、《マタイ受難曲》の苦悶の祈りで使われたト短調の延長に成立する解釈のほうが正しいのではないかと思える。神への犠牲の子羊になることへのイエスの苦悶こそが、イエスの神性と人間性に関する問いへのバッハの思想的な表現であり、それゆえにト短調になったのである。《Crucifixus》のホ短調は十字架(Kreuz=#)に向かうイエスの歩みをホ短調で表現した《マタイ受難曲》の開曲のホ短調の延長にあり、その意味でも、《ミサ曲ロ短調》は《マタイ受難曲》の延長上にあることをバッハが書き込んでいるのである。詳しくは《ロ短調ミサ曲》の章を参照。

(注4)私はここで、マキシミリアノ・マリア・コルベ (Maksymilian Maria Kolbe、1894 - 1941) を思い出す。彼は、ポーランド人のカトリック司祭で、1930年から日本の長崎で布教にあたっていたが、会議のために1936年に一時帰国したとき、ナチス・ドイツのポーランド侵攻(1939年)に遭遇し、そのまま留まることになる。彼の思想は反ナチ的であるとして、1941年5月に逮捕され、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所に送られた。同年7月に脱走者が出て無作為に選ばれた10人の餓死刑が決まったときに、その中にポーランド人のレジスタンス活動家がいた。彼が、妻子ある身で死にたくないと泣き叫んだときに、コルベ神父は縁者でもない彼に代わって処刑されることを願い出た。それは認められ、水も食料もない地下の餓死室に他の9人とともに全裸で入れられた。つぎつぎと餓死する中で、2週間後も息絶えなかった4人とともに彼はフェノールの静脈注射により息絶える。その時、彼は進んで腕を出したという。神父は1982年にヴァチカンによって聖人の列に加えられた。イエスの死後2000年近くたった現在でも、イエスの行いが信徒に伝わり、影響を与えている例である。

(注5)ミシュナー法典が実際に編纂されたのは2世紀の初めだが、内容は口伝で伝えられていた過去のユダヤ法の体系である。イエスの時代もその内容が適用されていたと考えられている。「新共同訳注解」による。

(注6)マリセンによれば、ここで「イエスの血」を「罪の赦しの力(the redemptive power)」と解釈することが可能であると、Renate Steigerが彼女の著作(Bach und Israel)で指摘しているという。しかし、実際にバッハがその意味でここを作曲したかどうかの検証はない。

(注7)マリセンは、メンデルスゾーンは《マタイ受難曲》の反ユダヤ的な曲を省略して演奏したらしいという。もっとも重要な曲の一つであるMP42を省略したことは、メンデルスゾーンは《マタイ受難曲》の本質を理解していなかったといえる。

(注8)情念論(Affektenlehre)ともいう。アリアなどの曲想をその歌詞の中にあるキーとなる特定の単語の意味に求めて作曲する方法。例えば、「悲しみ」という語がキーであれば、一般に短調でゆっくりとした旋律が選ばれ、「喜び」がキーであれば長調の明るい調性と跳躍的旋律が使われる。従って、歌詞と曲想に、矛盾した組み合わせがあるときには作曲者の意図にどのような思想的背景があるかを慎重に検証しなければならない。

(注9)マタイ伝を含むこれらの共観福音書は比較的史実に近いとされるが、《マタイ受難曲》にそれらからの引用はあっても、後代に書かれたヨハネ伝からの引用は、原則的にはない。唯一の例外はヨハネ伝19:38からの単語「Leichnam(遺体)」が使われたMP63c:35である。しかし、これは引用というよりも、借用と言うべきであろう。意味上の引用ではなく、いわば語句のトリックである(対訳批判参照)。これは明らかなルター訳聖書マタイ伝とヨハネ伝間の不統一であり、ギリシャ語聖書、ウルガータ本ではどちらも同じ「σϖμα(からだ)」「corpus(からだ)」であるが、ルター訳は、マタイ伝で「Leib(本来は生体の意)」、ヨハネ伝で「Leichnam」を採用している。間違いとはいえないまでも、ギリシャ語正文に合わせるならどちらかに統一すべきである。第7章第2節の表3、および対訳批判(63c:15、66a:2)参照。

(注10)このギリシャ語をドイツ語綴りにすると met(~といっしょに) なので、ドイツ語の mitと近く、わざわざbeiと訳すのは、単純な間違いとは想像しにくい。ルターの意図的な誤訳なのか、あるいは当時のドイツ語ではmitとbeiに意味上のちがいはないのかなどは浅学な著者には分からない。どちらにしても、バッハにとってはここがmitではなく、beiと訳されたこと事の意味は重要である(後述)。


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