11章(3) 宗教的抑圧への芸術的抵抗(Artistic resistances to religious suppressions

  1. (II)一神教的価値観への挑戦  (Challenges to the monotheistic values)

─ダ・ヴィンチコードの真実─ (-Da Vinci Code in reality-)


(ix)《最後の晩餐》に込められた思想(Thoughts inscribed in Da Vinci’s depiction for the ‘the Last Supper’


(2)比較美術史-1─ユダの図法(Comparative studies-1Pictorial methods for Judas


裏切りの図法(Pictorial methods against Judas’ betrayal

「最後の晩餐」の主役はユダである。教会の権威を象徴するペテロ(「イエスの後継者」マタイ伝16:17-19)や、イエスの神性を象徴するヨハネ(「イエスに愛された弟子=福音史家ヨハネ」ヨハネ伝13:23;21:20-24)の位置づけは時代によってまったく異なるが、ユダの裏切りはかならず強調され、明示された。他の弟子たちはいわば匿名である(注1)。

理論上は、「裏切りの図法(Pictorial methods against Judas’ betrayal)」と「ユダの図法(Pictorial methods for Judas)」は異なる。しかし、「最後の晩餐」でユダを描くとは、すなわち裏切り者を描くことと同義だった。ダ・ヴィンチ前の描写(Fig.24 B, C; Fig. 25. A, B, C; Fig. 27 A-I; Fig. 28 A-M)を通観すると、ユダの裏切りを表現する図法(以下、裏切り図法)は次の6つに分類できる。

(1)イエスの手の図法:イエスがユダを指差す、ユダに手を向ける、

(2)ユダの手の図法:ユダがイエスに手を差し出すなどして、食べ物を受けようとする、

(3)光輪の図法:ユダ以外の頭上に光輪を描きユダには描かない、

(4)孤立(隔離)の図法:ユダが他の弟子たちから孤立する、あるいはテーブルを挟んで隔離される、

(5)漆黒(しっこく)の図法:ユダの髪や衣装が漆黒に塗られる、

(6)隠し袋の図法:ユダが金入れ袋を隠し持つ。

それぞれのなかに細かな違いもあるが、大別すればこの6つになる。これらのいくつかを組み合わせて裏切りを非難し、強調することが「最後の晩餐」のルールのようになっていた。

残されたスケッチから、ダ・ヴィンチは遅くとも1481年には「最後の晩餐」の研究を始めたことがわかっている。壁画にとりかかる14年前である。事前に周到な準備を重ねたことが推察される。初期ルネサンスの「最後の晩餐」のいくつかに、彼が精通していたことは知られているが、中世にさかのぼって研究していた形跡もある。

近年の修復時に、《最後の晩餐》に描かれた食材が魚であることがわかった。既に述べたように、魚は初期キリスト教時代にイエスを意味する符号だった。初期ルネサンスで魚を描いた「最後の晩餐」の例は知られていない(Table 14)。さらに、ダ・ヴィンチが描いたテーブル席の配置は、初期ルネサンスだけではなく中世後期にも例がない。トポロジカルな意味で、席の配置には二種類がありうる。テーブルを囲むか(円、方型)、テーブルを前に線状に並ぶか(横長、半円、Π型)である。中世後期から初期ルネサンスにかけて、席の配置と隔離の図法は密接に関連していた。線状の配置で、隔離の図法が使われなかった例は無い(Table 14)。席を線状に配置し、かつ隔離(孤立)の図法を使わない例は、中世初期、盛期に遡ねばならない(Fig. 24 C; Fig. 25 A, C)。

初期ルネサンスに流行した隔離の図法を、ダ・ヴィンチが知らなかったはずはない。先に紹介したヴェニス・スケッチ(Fig. 30 A)にも、この図法が現われている。それをあえて使わないことには何らかの意図あるいは目的があったと思われる。ダ・ヴィンチ前の「最後の晩餐」と、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》で、使われた裏切り図法を比較すると違いは明らかである(Table 14)。



   Table 14. Comparative studies in the history of pictorial methods against Judas’ betrayal used before Da Vinci.


When the pictorial methods against Judas’ betrayal (or simply betrayal methods) are employed, they are indicated by ‘’ and if not by ‘’ in the respective depictions. The numbers of ‘’ are counted in each depiction and shown as [BE] (Betrayal Emphasis). Betrayal Biblicality [BB], namely biblical quality of betrayal methods, is calculated according to the definition for the respective methods for each depiction (See in the text). Briefly, [BB] was calculated by assuming that the elementary biblical quality of betrayal methods, (1), (2), (3), (4), (5) and (6) is +1, +1, 0, -1, -1 and -1, respectively. Food in the main dish for the supper is either fish (F) or lamb (L). ‘?’ means ‘not clear’. The seat arrangement is shown by either ‘’ and ’ , which corresponds to ‘semi-circular, Π- shaped or side-long table’ and to ‘round or rectangular table’, respectively.




  表14ダ・ヴィンチ前に使われた裏切り図法に関する比較美術史的研究


描写のなかで、それぞれの裏切り図法が使われた場合は「+」で、使われなかった場合は「ー」で表わした。「+」の数が裏切りへの非難の強さを反映すると仮定し、その数を[BE](裏切りの強調)として、下から2段目に表わした。裏切り図法の聖書性([BB])は、各描写で使われたそれぞれの図法に与えられた素点を合計して得た。(1)(6)の各図法の聖書性を(1) +1, (2) +1, (3) 0, (4) -1, (5) -1, (6) -1と仮定している(詳細については本文参照)。テーブル中央の皿(鉢)に盛られた料理の食材が、魚または子羊とわかる場合は、それぞれ「魚」または「ラ」で表示し、判定できない場合はで表した。席の配置はまたは で示したが、それぞれ「半円形、Π型、横長」のテーブル、または「円形、方形」のテーブル」に相当する。


注1 ヨハネ伝には、食事後の長い説教の中で「トマス(14:5)」、「ピリポ(14:8)」、「イスカリオテでない方のユダ(14:22)」の名が出てくるが、彼らを明示的に描いた「最後の晩餐」は知られていない。


裏切りの強調 (Betrayal emphasis

各描写がユダの裏切りを非難する強さを、それぞれの描写で使われた裏切り図法の数で6段階評価し、それを [BE](Betrayal Emphasis、裏切りの強調)で表わす。理論上、[BE]の最低値は1、最高値は6になる(1≤[BE]≤6)。ダ・ヴィンチ前では、タッデオ・ガッディの描写(Fig. 27 F;描写番号12)がもっとも強くユダを非難しており、[BE]=4である(Table 14)。最も低いのは、中世後期と初期ルネサンスに三例が(Fig. 27 H, Fig. 28 B, E; 描写番号14, 17, 20)あり、[BE]=1である。ガッディの描写がユダをもっとも強く非難した理由は、おそらく、その直前にイタリアから西欧に広がったペストの大流行と関係がある。ペスト流行の裏にユダヤ人たちの陰謀があったと考えた人々は、彼らの迫害と虐殺を繰り返した。西欧で世俗的反ユダヤ主義が広がった大きな原因の一つである(注1)。しかし、ダ・ヴィンチまでの描写(描写番号2〜28)をペストの大流行を挟んだ二つのグループ(描写番号2〜11、及び12〜28)に分け、それぞれが裏切りを非難する強さを平均値として求めると、両者とも[BE] ≒ 2.4となり時代的変化はない。このことからは、ペスト大流行後に高まった世俗的反ユダヤ主義は「最後の晩餐」の裏切り図法には影響していない、または影響したとしても一過性の現象と言えそうだ(Fig. 32)。

















Fig. 32. Betrayal emphasis in depictions for the Last Supper before Da Vinci (early medieval time to early Renaissance).


Betrayal emphasis ([BE]) is defined as the number of betrayal methods employed in the respective depictions (Table 14). Depiction numbers of 2 to 28 correspond to Fig. 24 B, C; Fig. 25 A to C, Fig. 27 A to I and Fig. 28 A to M, respectively. Black lines indicate periodic changes of [BE]. Blue line represents the mean values from the figure numbers 2 to 28. A vertical broken line in red corresponds to the epidemic burst of the black plague in the medieval time (1346-47).


ダ・ヴィンチ前の「最後の晩餐」における裏切りの強調


各描写で使われた裏切り図法の数が裏切りの強調([BE])を示すと定義する(表14)。描写番号の228は、それぞれFig. 24 B, C; Fig. 25 A to C, Fig. 27 A to I, Fig. 28 A to Mに対応する。黒い実線は、[BE]値の変化を示す。青の実線は平均値を表わす。垂直の赤い破線は中世のペスト大流行に対応する。


しかし、この結果だけから、宗教画に世俗感情が影響することはないとは断定できない。図法の聖書性、世俗性を評価すると、そうではない事がわかる。ペスト大流行後、少なくともダ・ヴィンチの前までは裏切り図法の世俗化とも呼べる現象が進行していた。


注111世紀に始まる十字軍運動は、本来はイスラムから聖地の奪還を目指すエルサレム遠征を目的としたが、その途中でユダヤ人を始めとする異教徒(東方教会系キリスト教を含む)へ略奪、強盗、強姦を繰り返した。その中で、西欧のユダヤ人は、ゲットーと呼ばれる不潔な集合住宅に押し込められ、土地の所有を禁じられ、一般の職業からも排除された。その結果、彼らが選択できた数少ない職業の一つが金融業だった。それ以来、不潔、邪悪、強欲、吝嗇、金の亡者などがユダヤ人の代名詞になった。ユダとユダヤ(ラテン語でIVDAS IVDEA)の発音が似ているのは偶然であるが、ユダはユダヤ人の象徴となり、イエスの死に責任があるという意味でユダはユダヤ人の代表とされ、三位一体説の立場からは殺神の罪人とみなされた。ナポレオンがフランス革命を西欧に広げ、多くのゲットーが解放されたが、ナポレオンの敗北とともにユダヤ人(キリスト教に改宗したユダヤ人を含む)への差別と迫害は復活し、20世紀まで続いた。その結果がホロコーストである。それをナチスとヒトラーだけの責任に帰すことはできない。


裏切り図法の聖書性(Biblical quality of betrayal methods

6種ある裏切り図法は、それぞれが異なる起原と根拠を持っている。基本的には、聖書的に起原があるものと、ないものに分けられる。それぞれの図法に聖書性に基づくか否かで素点(+1, 0, -1)を与えて、描写ごとに合計すると、各描写がユダを非難する根拠が聖書にあるか世俗感情にあるかを定量的に判断できる。図法の起原が聖書にある場合の素点を+1,世俗にある場合を-1とし、どちらともつかない場合を0とする。以下、その理由を述べる。

(1)「イエスの手図法」と(2)「ユダの手図法」の根拠は聖書にある。最後の晩餐で裏切り者が指定されるとき、「(一緒に)鉢に手を入れている者(マタイ伝26:23)」、「鉢に(手で)パンをひたしている者(マルコ伝14:20)」、「食卓に手をおいている(者)(ルカ伝22:21)」 、「わたしが食物を与える者(ヨハネ伝13:26)」と、すべての福音書がイエスやユダの手の動きを伝えている。したがって、これらの図法の素点は+1である。

(3)「光輪の図法」には、ユダ以外の弟子たちが後に聖人になったという神学的な根拠はあるが、どの福音書も彼らが聖人らしい振る舞ったとは伝えていない。彼らは裏切りの予告に戸惑い、狼狽するだけであり、絵画的に後光が射すイメージからほど遠い。神学的にはともかく、この図法に聖書的根拠があるとは言えない。しかし、この図法が世俗感情を反映しているとも言えない。聖書的、世俗的ともつかない図法であり、素点は±0である。

(4)「孤立(隔離)の図法」、(5)「漆黒の図法」、(6)「隠し袋の図法」に聖書的根拠はない。ユダの席が他の弟子たちから隔たっていたとも、ユダの髪や衣装が黒かったとも福音書は伝えていない。「隠し袋の図法」については注意が必要である。これは、マタイ伝の「裏切りの報酬=銀貨30枚(26:15)」に由来する聖書的図法と誤解されることが多い。しかし、当のマタイ伝も、ユダが晩餐の席に裏切りの報酬を持ち込んだとは伝えてはいない。マルコ伝(14:11)、ルカ伝(22:5)では、報酬は約束されただけで実際には支払われていない。ヨハネ伝にいたっては、そもそも裏切りの提案もなく、報酬の話もない。この図法は、むしろユダヤ人たちが金融業に進出したことと関係しているとみるべきである。「ユダヤ人=吝嗇」、「ユダヤ人=金の亡者」という差別意識が西欧に定着した正確な年代は定かではない。しかし、ユダヤ人たちが一般的職業から追放されたのが11世紀であること、シェイクスピアの「ベニスの商人」が書かれたのが16世紀であることから、中世後期〜初期ルネサンス時代には広がっていたと考えられる。「隠し袋の図法」が初期ルネサンスに現われたこともこの推測と矛盾しない。これらの図法は聖書に起原はなく、世俗感情に基づいているとみなすべきである。素点は—1である。

以上の素点をもとに、各描写の裏切り図法について聖書性([BB];Betrayal biblicality or Biblical quality of betrayal methods)を集計した。その結果をTable 14の最下段に示す。 ペスト大流行の前では[BB]≥0であるのに対し、その後はほとんどの描写が[BB]≤0になる(例外はFig. 27 F; 描写番号21)。+からーに転化したのは、ここでもガッディ(Fig. 27 F; 描写番号12)からである。これだけでも、「最後の晩餐」が俗化していく傾向が伺えるが、[BB]を比較しただけで時代的傾向を単純に結論できない。なぜなら、[BB]は各描写で実際に使われた裏切り図法の数([BE])を考慮していないからである。「光輪の図法」の聖書性を0としているので、この図法が使われなかった場合との違いが反映されない。そのためには、各描写で使われた裏切り図法あたりの聖書性を計算すべきである。それを裏切り図法の聖書性指数(Biblical Index;[BI])と定義すると、[BI]=[BB]/[BE]となる。Fig. 32と同様に各描写を年代順にプロットすると、時代的傾向が明らかになる(Fig. 33)。
















Fig. 33. Biblical indices of pictorial methods against Judas’ betrayal in depictions for the Last Supper before Da Vinci


Biblical Index ([BI]) for pictorial methods against Judas’ betrayal is given by [BB]/[BE] (Table 14). Depiction numbers are as in Fig. 32. Black lines indicate periodic changes of [BI]. Blue line represents an approximation of the mean values through the figure numbers of 2 to 28. A vertical broken line in red represents approximate position of the epidemic burst of the black plague as Fig. 32.


ダ・ヴィンチ前の「最後の晩餐」における裏切り図法の聖書性指数[BI]


裏切り図法における聖書性指数は[BI]=[BB]/[BE]によって求めた(Table 14)。黒の実線は、[BI]の描写ごとに年代変化を示している。青の実線は全描写を通した変化を近似直線で表わしている。描写番号と垂直の赤破線はFig. 32と同様である。


[BI]の平均値をペスト大流行の前後で比較すると、聖から俗への明らかな変化(+0.68→-0.41)が確認できる。本来は宗教画であるはずの「最後の晩餐」の俗化という現象が進行したのである(Fig. 33)。ダ・ヴィンチが最後の晩餐を描いたのはこのような時代のあとだった。ちなみに、ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》は[BE]=0なので[BI]値は計算できないが、次に明らかにするようにダ・ヴィンチは裏切り図法を使わずともユダを聖書的に表現している(ユダの図法)。それはマタイ伝ではなくヨハネ伝に基づいている。


ユダの図法(Pictorial method for Judas by Da Vinci

「裏切り図法」と「ユダの図法」は同義ではない。裏切り図法を使わずにユダを描くことも理論的には可能である。《最後の晩餐》(Fig. 29;描写番号29)は「裏切り図法」をまったく使っていないので、裏切り図法の聖書性も聖書性指数も決めることはできなかった(Table 14)。では、ダ・ヴィンチが描いたユダが「ユダ」であると言える根拠はなにか?それは、ユダが卓上に持つ金入れ袋にある(Fig. 31 A、印)。これが「隠し袋の図法」ではないことは図法名からも自明である。これは命名上の(terminological)問題ではない。

ミラノ公は《最後の晩餐》をヨハネ伝に基づいて描くようにダ・ヴィンチに要請した。しかし、裏切りの予告に驚く弟子たちの様子は、ヨハネ伝(13:21-30)だけでなくすべての共観福音書に書かれている(マタイ伝26:21-24、マルコ伝14:18-21、ルカ伝22:21-22)。ダ・ヴィンチがその様子をいかにリアルに描いたとしても、それ自身はヨハネ伝に基づいた証しにはならない。もし、ユダが持つ金入れ袋が裏切りの報酬を意味するなら、ダ・ヴィンチは主役のユダをマタイ伝に基づいて描いたことになる。それはミラノ公スフォルツァの要請に従わなかったことを意味する。ダ・ヴィンチとミラノ公との関係(ダ・ヴィンチはスフォルツァに自薦の手紙を書き、彼はダ・ヴィンチのパトロンになった)から、それは考えにくい。しかし、それだけを理由に、これが裏切りの報酬ではないと断言はできない。金入れ袋の意味を説明できないからである。

各福音書の「最後の晩餐」物語を読み比べると、この金入れ袋がヨハネ伝に基づくことが明らかになる。「金入れ袋=裏切りの報酬」説が浸透しているためか、それに気づいた美術史家もいると思われるが、この点を真剣に考慮した形跡はない。ラドワインもヨハネ伝にある、この記事について触れていない。その議論に入る前に、各福音書が伝えるユダ像の違いについて確認しておきたい。


ユダ像の違い(Differences in Judas’ image

イエスが裏切りを予告したとき、各福音書が伝えるユダ像はかなり異なっている。とりわけ、ヨハネ伝に書かれたユダ像は特異的である。すべての共観福音書は、イエスが「その人(ユダ)はわざわいである(IX-3-(3)-12)」と言ったと伝えている(マタイ伝26:24、マルコ伝14:21、ルカ伝22:22)。マタイ伝とマルコ伝は、「その人は生まれて来なければよかった」とさえ言って、さらにユダをおとしめる。クリスチャンでない筆者のような者には、この憎悪はイエスの人間的弱さと映る。ルカ伝(22:3)は、ユダにサタンが入ったのは、過越祭の数日前であったと伝えている。しかし、ヨハネ伝は多くの点でこれらの記事と矛盾する。ヨハネ伝では、サタンがユダに入った(ユダが裏切りを決意したとも読める)のは過越祭の日であり、しかもイエスが最後の晩餐で彼を裏切り者として指名した後である(ヨハネ伝13:25-26)。その後で、イエスはユダに「しようとしていることを、今すぐするがよい(13:27)」と言う。続いて、「(ユダは)すぐに出て行った。時は夜であった(ヨハネ伝13:30)」と淡々と伝える。イエスがユダを非難し、おとしめる言葉はない。むしろ、何かの目的があって、イエスはユダに「裏切りの役」を依頼したかのようにも読める。そこにはユダへの憐憫さえ漂う。バッハがそうであったように、ダ・ヴィンチもこのような福音書の矛盾に気づいていたはずだ。問題は、ダ・ヴィンチが描いたユダはどの福音書に基づくかである。


教団の会計係(A cashier of the Jesus group

ダ・ヴィンチが《最後の晩餐》をヨハネ伝にもとづいて描いたのであれば、「ユダが裏切りの報酬を晩餐の場に持ち込んだ」という設定はありえない。ヨハネ伝にはユダが大祭司たちに裏切りを提案したとも、報酬をもらったとも書かれていないからである。裏切りの報酬は、「後ろ暗い金(shady money)」、「やましい金(uneasy money)」である。初期ルネサンスの描写では、ユダは背後、または腰の下に人目を避けるように袋を持つ(Fig. 28 D, H, K, M)。まさに、隠し袋の図法と呼ぶ所以である。一方、《最後の晩餐》のユダは金入れ袋を卓上に公然と持つ。これが裏切りの報酬であれば、いかにも露骨な図法である。ダ・ヴィンチが好む表現とは思えない。ユダがイエスの予告に驚き、右手で塩壷(Fig. 31 A 印)を倒す図は、初期の構想ではワイングラスを倒すことになっていたという(注1)。それでは露骨なので、塩壷に変更したとラドワインは推察している(注2)。裏切りの報酬を卓上に置くというのは、それ以上に露骨で、稚拙な図法であるとはいえないだろうか。

ヨハネ伝に基づくように要請されたのであれば、誰よりもまず主役のユダこそヨハネ伝にしたがって描くはずである。ペテロでさえヨハネ伝に基づいて描いたダ・ヴィンチが(後述)、主役のユダをマタイ伝に基づいて描くとは考えられない。しかも、ヨハネ伝には、最後の晩餐の場面で「金入れ(袋)」について触れている重要な記事がある。

ヨハネ伝には、イエスが「しようとしていることを、今すぐするがよい(13:27)」と言ったあと、「席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもいなかった。ある人々は、ユダが金入れをあずかっていたので、イエスが彼に、『祭のために必要なものを買え』と言われたか、あるいは、貧しい者に何か施させようとされたのだと思っていた(13:28-29)」とある。また、ヨハネ伝12:6には「(ユダが)財布を預かっていて」ともある。つまり、ユダはイエス教団の会計係だったのである。しかも、この記事は、最後の晩餐でユダが「金入れ(袋)」を持っていたことを示唆している。ダ・ヴィンチではなくても、「他の弟子たちは、その袋が眼前に見えたからこそ、このような想像をした」と考えても不思議ではない。会計係が金入れ袋を持つのは当然であり、隠し持つ理由もない。このことはヨハネ伝だけが伝えており、どの共観福音書にも書かれていない。結論を言う。この金入れ袋は、「この人物は教団の会計係である」と表現しているにすぎない。これは「ユダの図法」ではあっても「裏切りの図法」ではない。言葉遊び(terminological playing)ではないことも明らかである。


ユダと他の弟子たちとの平等(Equality of Judas to other disciples

ダ・ヴィンチがユダを差別していない証拠がもう一つある。先にも述べたが、中世後期の半ばから初期ルネサンスにかけて、横長のテーブルを前にイエスが中央に座る構図がしばしば現われた。その構図では、ユダだけが必ずテーブルの反対側に孤立する「隔離の図法」が使われた(Fig. 27 F, G; Fig. 28 A, C, G, I, J, L, M)。中世後期から初期ルネサンスの200年間で例外はない。しかし、ダ・ヴィンチは同様に横長のテーブルを使ったにもかかわらず、ユダをイエスや他の弟子たちと同列に座らせた。当時、もっとも普及していた「光輪の図法」でユダを差別化することもしていない。「光輪の図法」は、全体の70%(中世後期〜初期ルネサンスでは83%)で使われた。繰り返しになるが、ダ・ヴィンチはこれらの伝統的図法や当時の流行を研究し、熟知していた。その上であえて使っていないのである。意識的に避けたことは間違いない。これらを占星術で解釈することに根拠がないことはすでに述べた。

ダ・ヴィンチはいずれの「裏切り図法」も使っていないので「裏切り図法」の俗化にも染まっていない。「ユダの図法」としても、完全に聖書(ヨハネ伝)的に書かれている。しかし、ここまでなら、「《最後の晩餐》がヨハネ伝に基づいて描かれたのは、注文主のミラノ公スフォルツァの意向に従っただけであり、それがダ・ヴィンチの思想を表現している」とは言えない。ここで、《最後の晩餐》の副主人公とも言えるペテロとヨハネの図法についても検証することだ必要である。


注1 これについて、Ladweinは次にように述べている。「これ(倒れた塩壷)は、すでに原画での識別はできないが、模写絵と(レンブラントの)版刻画で見ることができる。レオナルドの手記の中で明らかにユダについて述べている部分で、彼のもとのアイデアでは、ユダがワイングラスを倒している図を描こうと考えていた。しかし、おそらくこのアイデアは露骨にすぎたために、それをやめて塩壷にしたのであろう。」(“The Significance of Various Elements in the Composition of the Painting”, Note 16. p126, ibid.

注2 Ladweinは、塩壷の図法は、マタイ伝(5:13)、マルコ伝(9:50)、ルカ伝(14:34-35)にある「地の塩」のたとえを引用して、ユダの脱落すなわちユダの裏切りを表現したと解釈する。しかし、模写絵でしか確認できないことを差し引くとしても、ヨハネ伝にこのたとえはないことから、この解釈は支持できない。ユダも他の弟子たちと同様にイエスの言葉に驚いたと解釈するのが妥当である。ワインを倒す図では大げさすぎるとダ・ヴィンチが判断した理由としても納得できる。「塩を振る」が中東の言葉で「裏切る」を意味するという解釈もあるが、あえて論評しない。



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